7-3. 発現 ②
文字数 3,253文字
予想は残念ながら当たった。
炎に気を取られている隙に、イオは柱のあいだを縫うように走って、一気に距離をつめてきた。逃げるか、それとも防御壁を維持するために留まるか、一瞬の判断の遅れが生じた。イオは柱を蹴るように跳躍し、天井近くから降ってくるように跳んだ。その常人ばなれした動きは、おそらくは竜術を移動の補助に使ってのもの。そして、水流のない頭上近くからの攻撃。武器は背中ほどの長さの短めの剣。一本だけを抜いているが、二本を同時に使うことは前に見て知っていた。
リアナのほうは、護身用の短剣が一本だけ――しかも、その扱いはお世辞にも長けているとはいえない。
ガキッ、と重い音がして、かろうじて一太刀目を受けた。剣の重さによろめき、押される一方で次の攻撃への準備ができずに焦る。イオがわずかに身体を引き、安堵しかけたのもつかの間――彼の手が動いたかと思うと、身体に強い風圧を感じ、背後に弾きとばされた。
「うそ……」
痛みよりも、圧倒的な異物感が先に来た。それから、熱と痛みとが爆発して、全身が支配される。全身が痛みと熱になる。
「う、ぐっ」
(痛い、痛い、痛い)
「安心しろよ」リアナの腹にずっぷりと剣を差しいれたまま、イオがささやいた。「俺はデーグルモールの殺し方を知ってる。
(痛い、痛い、痛い、痛い)
なにひとつ考えることができず、見開いた目に映ったものも信じられなかった。自分の腹部から、銀色の二本の刃がのぞいている。貫かれたその二本の剣によって、円柱の高い位置に縫いとめられている。柱の下部、緑色に変色した土台のあたりに石造りの顔がうち棄てられ、横向きになっているのが見えた。
〔危険! 危険! 危険!〕
どこかすぐ近くで、そう警告する竜の声が聴こえる。でも、もう遅い。
自分の手が、なにかをつかむように空中をさまよう。熱いものが喉にせりあがってくる。だが、誰の名前を呼ぶこともできない。なにひとつ、頭に浮かんでこない。いつのまにか〈呼 ばい〉は遠のいていて、祭りの日に遠くで聞こえる楽隊の音ほどにかすかだった。いま感じられるのは痛みと熱、痛みと熱だけだ。
夜のとばりが下りるように自然に、目の前が暗くなっていく。肺から空気が漏れ、心臓がどくどくと鳴っている。竜とヒト、どちらの心臓かはわからない。
竜はなお、頭のなかで警告を叫び、リアナには理解できない竜の言葉でなにかを伝えようとしてきたが、もはや彼女はそれを理解できなかったし、聞こえてもいなかった。痛みと熱がしだいに遠のきはじめ、太陽にあてた羽根毛布のように優しく温かく、死が彼女をおおいはじめた。
心臓が止まった。
「仕組みがわかったわ」リアナは宙を見つめながらつぶやいた。
「
そして、勢いよく頭を振りおろした。
「なっ!?――」
剣に刺し貫かれた体勢からは考えられない動きに、イオが声をあげる間もほとんどなく、リアナは血にまみれた頭をあげた。
ぐしゃっ、と果実がつぶれるような音とともに、デーグルモールが頭をのけぞらせる。
竜の力を失いかけ、空中からすべり落ちようとするが、なにかがひっかかったかのようにずるりと空中にとどまっていた。
「ぐおっ……」
うめき声が漏れるが、リアナはそれをほとんど聞いてもいなかった。その手に、氷の剣が出現していた。
その先は、イオの腹部を刺し貫いている。手にあまるほど巨大な刃に、細い刃がいくつもついていて、それが返しになって青年の身体を空中にとどめていたのだった。リアナが二人分の体重を支えることができず、二人は腹に剣を刺したまま地上に落下していく。
その数秒。地面に叩きつけられる瞬間、リアナはもう一本の剣を出現させ、さらに青年の腹につきたてた。
「これで、おあいこね」
〈竜の心臓〉がある場所は暗闇でもすぐにわかった。血の流れがはじまる中心部はイメージの中で青く明るく輝いている。そのすぐ隣に、活動を停止している赤い心臓がある。リアナが刺し貫いたのはそのどちらでもなかった。大きな臓器で、とても血が集まっている、ということしかわからない。〈竜の心臓〉は固く、また骨に守られているので、腹部を狙っただけだった。ごぼっ、という嫌な音とともに血があふれた。
氷の剣を腹部に刺した状態で、地面に倒れたイオの肩を足で踏みつけた。非力なリアナでも、この体勢なら男を張りつけにしておくことができる。自分の腹にも、まだ剣が刺さったままだった。無造作に二本とも抜き、投げ捨てる。出血は止まっていて、腹部の筋肉がいそがしく修復をはじめていた。
網 にかなり大量の気配を感じて、リアナは顔をあげた。この距離ではまだ、仲間か、デーグルモールかはわからない。
「……あなたの仲間がまだ、近くにいるはずね」
なにか、やらなければならないことがあった気がする。そう思って、聞いたのだった。だが、それがなにかを思い出せない。
「全員殺せ。殺すがいい」
イオは乾いた声で言った。「その中から、不死者がまた生まれる。俺たちの一族 は、不滅だ」
「どうかしら」リアナはつぶやく。「いままさに、あなたが死にかけているというのに?」
イオは答えなかった。だが、不死者と呼ばれるはずの男の身体からとめどなくあふれ出していく生命が、言葉よりも雄弁に自説の正しさを裏づけていた。
「デーグルモールの不死には限界があるの? 何度でも永遠によみがえるわけではないのね?」
肺に水が入ったような音を立てて、イオはわずかに笑ったようだった。「馬鹿め」
答えないのか。リアナは声を低めた。
「……わたしの質問に答えて捕虜になるなら、血の流れを止めて傷を塞いであげる」
いいながら、だがそれは嘘になるだろうと感じていた。血と一緒に流れ出している生命は、もはや彼のなかに戻すことができないものだと直感したのだ。
それはイオにもわかっているようだった。
「ゾンビだってなぁ、……殺しつづければ死ぬんだよ。竜の心臓の再生回数には、おそらく、限りが……」そして、また咳きこんだ。「まぁいい。死ぬ。死ぬんだ。あんたが殺して、俺が死ぬ」
そうだ。わたしは、この男を殺した。もう、あと数回呼吸をするだけの間で、おそらくそうなる。
手足が断続的に痙攣するのを、リアナはどこか無感動に見下ろしていた。
「あぁ、死。……これが死なら、なんだ、俺はもうずっと前から……」
穏やかにつぶやきながら、青年は絶命した。
♢♦♢
兵士たちの一団はもう、目視できる距離まで迫ってきている。
もしもそれがデーグルモールたちなら、滅ぼさなければ、とリアナは思った。立って歩く死、同胞殺しの腐肉喰らいたち。故郷を滅ぼした敵。
だが、あらわれた兵士たちは予想と違い、オンブリアの竜騎手 たちだった。長衣 の色からして、南部領主エサルの領兵たちだろう。
「陛下!」
「ご無事ですか、陛下!」
ばたばたと軍靴の音とともに、ライダーの数名が駆けつけた。二人ほどがイオの生死を確認するために、そちらに近づいていく。
だが、ライダーたちの足が止まった。リアナが振り向くと、はっと息をのむ音が聞こえた。血のしたたる顔も、全身に浮き出た黒い樹の紋様も、彼女には見えないのだったが、それはエサル卿の兵士たちに衝撃を与えるに十分だった。
「――デーグルモール!」
イオの説明をしようとしたが、彼らが見ているのは地面に転がるデーグルモールの死体ではなく、
そしてもう一度、「半死者 」というささやきが聴こえたとき、彼女はそれが
炎に気を取られている隙に、イオは柱のあいだを縫うように走って、一気に距離をつめてきた。逃げるか、それとも防御壁を維持するために留まるか、一瞬の判断の遅れが生じた。イオは柱を蹴るように跳躍し、天井近くから降ってくるように跳んだ。その常人ばなれした動きは、おそらくは竜術を移動の補助に使ってのもの。そして、水流のない頭上近くからの攻撃。武器は背中ほどの長さの短めの剣。一本だけを抜いているが、二本を同時に使うことは前に見て知っていた。
リアナのほうは、護身用の短剣が一本だけ――しかも、その扱いはお世辞にも長けているとはいえない。
ガキッ、と重い音がして、かろうじて一太刀目を受けた。剣の重さによろめき、押される一方で次の攻撃への準備ができずに焦る。イオがわずかに身体を引き、安堵しかけたのもつかの間――彼の手が動いたかと思うと、身体に強い風圧を感じ、背後に弾きとばされた。
浮かされている
、その意味に気がついたときには、もう衝撃が襲っていた。最初は、背中がなにかにぶつかったのだと思った。だが、衝撃は背中だけではなく、腹部にも来た。驚くほど間近に、イオの笑みが見え、そして彼の剣が、自分の腹を貫いている。「うそ……」
痛みよりも、圧倒的な異物感が先に来た。それから、熱と痛みとが爆発して、全身が支配される。全身が痛みと熱になる。
「う、ぐっ」
(痛い、痛い、痛い)
「安心しろよ」リアナの腹にずっぷりと剣を差しいれたまま、イオがささやいた。「俺はデーグルモールの殺し方を知ってる。
同胞
を長くは苦しませない」(痛い、痛い、痛い、痛い)
なにひとつ考えることができず、見開いた目に映ったものも信じられなかった。自分の腹部から、銀色の二本の刃がのぞいている。貫かれたその二本の剣によって、円柱の高い位置に縫いとめられている。柱の下部、緑色に変色した土台のあたりに石造りの顔がうち棄てられ、横向きになっているのが見えた。
〔危険! 危険! 危険!〕
どこかすぐ近くで、そう警告する竜の声が聴こえる。でも、もう遅い。
自分の手が、なにかをつかむように空中をさまよう。熱いものが喉にせりあがってくる。だが、誰の名前を呼ぶこともできない。なにひとつ、頭に浮かんでこない。いつのまにか〈
夜のとばりが下りるように自然に、目の前が暗くなっていく。肺から空気が漏れ、心臓がどくどくと鳴っている。竜とヒト、どちらの心臓かはわからない。
竜はなお、頭のなかで警告を叫び、リアナには理解できない竜の言葉でなにかを伝えようとしてきたが、もはや彼女はそれを理解できなかったし、聞こえてもいなかった。痛みと熱がしだいに遠のきはじめ、太陽にあてた羽根毛布のように優しく温かく、死が彼女をおおいはじめた。
心臓が止まった。
そして、額の目が開いた
。「仕組みがわかったわ」リアナは宙を見つめながらつぶやいた。
「
この
凍らせる力、これは、古竜の力と無関係なのね。――だから、攻撃に使える」そして、勢いよく頭を振りおろした。
「なっ!?――」
剣に刺し貫かれた体勢からは考えられない動きに、イオが声をあげる間もほとんどなく、リアナは血にまみれた頭をあげた。
ぐしゃっ、と果実がつぶれるような音とともに、デーグルモールが頭をのけぞらせる。
竜の力を失いかけ、空中からすべり落ちようとするが、なにかがひっかかったかのようにずるりと空中にとどまっていた。
「ぐおっ……」
うめき声が漏れるが、リアナはそれをほとんど聞いてもいなかった。その手に、氷の剣が出現していた。
その先は、イオの腹部を刺し貫いている。手にあまるほど巨大な刃に、細い刃がいくつもついていて、それが返しになって青年の身体を空中にとどめていたのだった。リアナが二人分の体重を支えることができず、二人は腹に剣を刺したまま地上に落下していく。
その数秒。地面に叩きつけられる瞬間、リアナはもう一本の剣を出現させ、さらに青年の腹につきたてた。
「これで、おあいこね」
〈竜の心臓〉がある場所は暗闇でもすぐにわかった。血の流れがはじまる中心部はイメージの中で青く明るく輝いている。そのすぐ隣に、活動を停止している赤い心臓がある。リアナが刺し貫いたのはそのどちらでもなかった。大きな臓器で、とても血が集まっている、ということしかわからない。〈竜の心臓〉は固く、また骨に守られているので、腹部を狙っただけだった。ごぼっ、という嫌な音とともに血があふれた。
氷の剣を腹部に刺した状態で、地面に倒れたイオの肩を足で踏みつけた。非力なリアナでも、この体勢なら男を張りつけにしておくことができる。自分の腹にも、まだ剣が刺さったままだった。無造作に二本とも抜き、投げ捨てる。出血は止まっていて、腹部の筋肉がいそがしく修復をはじめていた。
「……あなたの仲間がまだ、近くにいるはずね」
なにか、やらなければならないことがあった気がする。そう思って、聞いたのだった。だが、それがなにかを思い出せない。
「全員殺せ。殺すがいい」
イオは乾いた声で言った。「その中から、不死者がまた生まれる。
「どうかしら」リアナはつぶやく。「いままさに、あなたが死にかけているというのに?」
イオは答えなかった。だが、不死者と呼ばれるはずの男の身体からとめどなくあふれ出していく生命が、言葉よりも雄弁に自説の正しさを裏づけていた。
「デーグルモールの不死には限界があるの? 何度でも永遠によみがえるわけではないのね?」
肺に水が入ったような音を立てて、イオはわずかに笑ったようだった。「馬鹿め」
答えないのか。リアナは声を低めた。
「……わたしの質問に答えて捕虜になるなら、血の流れを止めて傷を塞いであげる」
いいながら、だがそれは嘘になるだろうと感じていた。血と一緒に流れ出している生命は、もはや彼のなかに戻すことができないものだと直感したのだ。
それはイオにもわかっているようだった。
「ゾンビだってなぁ、……殺しつづければ死ぬんだよ。竜の心臓の再生回数には、おそらく、限りが……」そして、また咳きこんだ。「まぁいい。死ぬ。死ぬんだ。あんたが殺して、俺が死ぬ」
そうだ。わたしは、この男を殺した。もう、あと数回呼吸をするだけの間で、おそらくそうなる。
手足が断続的に痙攣するのを、リアナはどこか無感動に見下ろしていた。
「あぁ、死。……これが死なら、なんだ、俺はもうずっと前から……」
穏やかにつぶやきながら、青年は絶命した。
♢♦♢
兵士たちの一団はもう、目視できる距離まで迫ってきている。
もしもそれがデーグルモールたちなら、滅ぼさなければ、とリアナは思った。立って歩く死、同胞殺しの腐肉喰らいたち。故郷を滅ぼした敵。
だが、あらわれた兵士たちは予想と違い、オンブリアの
「陛下!」
「ご無事ですか、陛下!」
ばたばたと軍靴の音とともに、ライダーの数名が駆けつけた。二人ほどがイオの生死を確認するために、そちらに近づいていく。
だが、ライダーたちの足が止まった。リアナが振り向くと、はっと息をのむ音が聞こえた。血のしたたる顔も、全身に浮き出た黒い樹の紋様も、彼女には見えないのだったが、それはエサル卿の兵士たちに衝撃を与えるに十分だった。
「――デーグルモール!」
イオの説明をしようとしたが、彼らが見ているのは地面に転がるデーグルモールの死体ではなく、
リアナ
だった。そしてもう一度、「
自分に
向けられていることを知った。