2-3. 商人ヴェスラン ①
文字数 1,546文字
ヴェスランは二人を人気のない台所に招いた。屋敷の豪華さと比較すると、小ぢんまりとしてくつろいだ雰囲気の場所だ。火が落とされて間もないようで、竈 の近くは暖かく、スツールを引っ張ってきて座ったリアナはほっとした。ヴェスランがオーブンのなかから保温されていたラム肉を見つけ、ワインとともにふるまった。パンはバターの風味がきいてぱりっと香ばしく、肉とともにほどよく温かくて、美味しかった。肉が食べられたことに、リアナは自分でも驚いた。
「うん、実にいい、火入れの具合も非の打ち所がない」ヴェスランは立ったままでパンと肉とを口に入れた。行儀悪く咀嚼しながらオーブンのなかをあさり、ほかにめぼしいものがないか見ている。「マッシュポテトがあればなぁ。あれは冷めると食えたもんじゃないから、しかたがないが。……ラム肉をもっとお召し上がりなさい、陛下。とても栄養があるんですから」
「ありがとう」礼を言って肉の載ったパンを受け取ったリアナは、自分が致命的な失態をおかしたことに気づいた。王冠を頭に乗せて名乗ったも同然だ。
助けを求めてフィルを見るが、青年は苦笑いして、「いいんですよ」と言った。
「ヴェスランは、俺の隊で昔、補給係をしていました」そう説明する。「補給路が途絶えた涸れ谷で、ともに死ぬ思いをしながら生き延びた仲間です。それでも、いつもどこからか必要なものを持ってくるので、『運び屋』と呼んでいたんですよ」
リアナはにっこりしてヴェスランに向きなおった。「だからあなたも、冷たい食事が嫌い」
ヴェスランは微笑んだ。「ご名答」
そして椅子の向きをフィルのほうに合わせて、言った。
「さあ、聞かせていただきましょうか。このヴェスランになにをお望みなんです? 『救国の英雄』どのは?」
「その前に、おまえがどのくらい事情を知っているのか確認しておきたい」フィルが抜け目なく言った。
「テオとは連絡を取っているな? ケヴァンは? ロックはどうだ?」
「おお、あのドブネズミどもなら、しょっちゅううちに入り浸ってタダ酒をくらってますよ。あいかわらず、食い意地の張った連中でねえ。あなたに酒代を請求したいくらいだ」
「上等だ」フィルは口端をあげた。
「じゃあ、俺がアエディクラに潜入していたことは知っているな? その理由は?」
「哀れにも身分違いの愛に身も心も引き裂かれ、醜聞 とびかう王都に耐えかね、傷心のために国を出たとか」
「ヴェス」フィルが冷たい目でにらみ、商人は肩をすくめた。
「まあ、あとは、アエディクラの軍事機密を探るためとか。理由はいろいろ聞きおよんでいるんですよ、でも、あなたは読めない人ですからねぇ」デカンタからワインを注ぎ、続ける。「ただもっとも大きな目的は、ある科学者の手記だと聞いていますよ」
「……手記……?」問いを挟んだリアナに、商人は笑みを向けた。
「そう、手記。たいへん貴重な研究記録で、手稿 、と呼ばれているようですよ」
「マリウス……〈黄金賢者〉マリウス?」
ヴェスランがリアナの後を続ける。「あるいは、反逆者マリウス」
「そうだ」フィルがため息をついた。
「反逆者マリウスのノートには俺にとって――俺たちにとって極めて重要な情報が含まれているとにらんでいたんだ。オンブリアではすでに失われた知識が、アエディクラの軍によって引き継がれ、知見を重ねられていると」
「身の毛もよだつような生体実験を繰りかえしながらね」
「ああ」
「戦時中はどこの国でもあった類のものだ。唾棄すべき所業でも、貴重な研究に違いはない。……戦後のどさくさであちらに渡ったんでしょうかね?」
「それは重要じゃない。内容だ」
「何だったんです、その内容というのは? 噂はいろいろありましたが、なにしろ錯綜していましてね」
「うん、実にいい、火入れの具合も非の打ち所がない」ヴェスランは立ったままでパンと肉とを口に入れた。行儀悪く咀嚼しながらオーブンのなかをあさり、ほかにめぼしいものがないか見ている。「マッシュポテトがあればなぁ。あれは冷めると食えたもんじゃないから、しかたがないが。……ラム肉をもっとお召し上がりなさい、陛下。とても栄養があるんですから」
「ありがとう」礼を言って肉の載ったパンを受け取ったリアナは、自分が致命的な失態をおかしたことに気づいた。王冠を頭に乗せて名乗ったも同然だ。
助けを求めてフィルを見るが、青年は苦笑いして、「いいんですよ」と言った。
「ヴェスランは、俺の隊で昔、補給係をしていました」そう説明する。「補給路が途絶えた涸れ谷で、ともに死ぬ思いをしながら生き延びた仲間です。それでも、いつもどこからか必要なものを持ってくるので、『運び屋』と呼んでいたんですよ」
リアナはにっこりしてヴェスランに向きなおった。「だからあなたも、冷たい食事が嫌い」
ヴェスランは微笑んだ。「ご名答」
そして椅子の向きをフィルのほうに合わせて、言った。
「さあ、聞かせていただきましょうか。このヴェスランになにをお望みなんです? 『救国の英雄』どのは?」
「その前に、おまえがどのくらい事情を知っているのか確認しておきたい」フィルが抜け目なく言った。
「テオとは連絡を取っているな? ケヴァンは? ロックはどうだ?」
「おお、あのドブネズミどもなら、しょっちゅううちに入り浸ってタダ酒をくらってますよ。あいかわらず、食い意地の張った連中でねえ。あなたに酒代を請求したいくらいだ」
「上等だ」フィルは口端をあげた。
「じゃあ、俺がアエディクラに潜入していたことは知っているな? その理由は?」
「哀れにも身分違いの愛に身も心も引き裂かれ、
「ヴェス」フィルが冷たい目でにらみ、商人は肩をすくめた。
「まあ、あとは、アエディクラの軍事機密を探るためとか。理由はいろいろ聞きおよんでいるんですよ、でも、あなたは読めない人ですからねぇ」デカンタからワインを注ぎ、続ける。「ただもっとも大きな目的は、ある科学者の手記だと聞いていますよ」
「……手記……?」問いを挟んだリアナに、商人は笑みを向けた。
「そう、手記。たいへん貴重な研究記録で、
しかるべき市場では
、マリウス「マリウス……〈黄金賢者〉マリウス?」
ヴェスランがリアナの後を続ける。「あるいは、反逆者マリウス」
「そうだ」フィルがため息をついた。
「反逆者マリウスのノートには俺にとって――俺たちにとって極めて重要な情報が含まれているとにらんでいたんだ。オンブリアではすでに失われた知識が、アエディクラの軍によって引き継がれ、知見を重ねられていると」
「身の毛もよだつような生体実験を繰りかえしながらね」
「ああ」
「戦時中はどこの国でもあった類のものだ。唾棄すべき所業でも、貴重な研究に違いはない。……戦後のどさくさであちらに渡ったんでしょうかね?」
「それは重要じゃない。内容だ」
「何だったんです、その内容というのは? 噂はいろいろありましたが、なにしろ錯綜していましてね」