5-1. 調査班の旅 ②
文字数 2,716文字
テオは自分の飛竜の足輪を確認し、尾の近くを優しく叩きながら何ごとかを命じていた。荷物を下ろし終えた飛竜たちは、彼の飛竜が羽ばたく動きを見せると追随し、その合図で次々に飛び立っていく。
「人間の土地に入れば、飛竜は使えないし、宿にも置いておけません。目立ちすぎますからね」
竜舎から宿の入り口に向かいながら、テオがそう説明した。好奇心旺盛なベスは「竜たちだけで、大丈夫なのですか?」と尋ねる。
「この飛竜は訓練されてるんで、明日にはタマリスの竜舎まで戻ってますよ」
「あなたも飛竜の訓練をなさるの?」
テオは肩をすくめた。「まあ、ひと通りはね」
「宿に泊まれるのは今日までです。明日からは野営になりますから、覚悟してくださいね」
「だろうね」ファニーはうんざりした顔をした。遺跡群、というくらいなので、宿があるような便のいい場所ではないのだ。
「まあ……わたくしのような温室育ちに務まるかしら」ベスは顔を曇らせた。「でも、精一杯やらせていただきます。これもリアナ陛下のおんためですものね」
「セラベス卿は、案外大丈夫じゃないかって気がしますけどね」テオが笑った。
♢♦♢
翌日は快晴だった。ベス自身は兄の手伝いで領地をまわることもあり、宿に泊まることは珍しくないのだが、侍女のいない不便さというのが案外新鮮で面白かった。化粧水をつけろと言われることもないし、昼と夜とで服を替える必要もない。旅行用のドレスは黒髪に合わせた臙脂色の動きやすいもので、それも気に入っていた。
早朝から三人で荷物を持ち、宿には商用で数日で戻ると言い残してある。ベスは東部から珍しい種苗の買い付けに来た商人で、ファニーは侍女、テオは用心棒兼ガイドという役回りだ。男性ではあるが小柄なファニーは貴族の子弟には見えないので、侍女というのは名案だとベスは思った。
宿に紹介された交易所で荷運び竜 を借り、行き先をごまかすための多少の寄り道を経て、東南のセメルデレ遺跡群を目指す。冬が訪れはじめたタマリスに比べていくらか暖かく、竜に乗っての移動も楽しい。〈老竜山〉の山なみを背にすることになるが、はじめて目にする景色はどれもベスの目を楽しませた。
最初の野営地はポプラの小さな森のなかに設置された。周囲より一段高くなっていて、水場も近く、別のテントや火を焚いた跡もそこここにあった。なかなか素敵な場所だ。
「なにをしたらよいのか、教えてくださる?」
わくわくしながら尋ねると、テオが手招きした。
「じゃ、おれと閣下はテントを張ってみましょう。ファニー卿は炊きつけになる枝を集めてきてもらえますか」
それで、ベスはテオに習いながらテントを設置した。支柱自体はそう重くないものの、組み立て方がややこしく、相当な力もいる。それでも四苦八苦して、なんとかやってのけた。
「さあ、これでよし。何度かやれば、すぐに上手になりますよ」
「そうだといいのですが。……女の細腕で、ご迷惑をおかけします」
「どういたしまして。体格は体力の一部ですよ、閣下。あなたはエピファニー卿に比べれば背が高くて腕も長いから、それほど力がなくてもうまく持ち上げられます。てこの原理ってやつですね」
テオがにっこりした。女性に笑いかけ慣れている笑顔だ。
「まあ」ベスは目を丸くした。「たしかに、そのとおりですね」
野営の準備は思ったよりも楽しく、あっという間に食事の時間になった。テオは火の点け方から調理まで説明しながら実演してくれ、旅空の食卓には豪華な料理が並んだ。鍋で焼いたほかほかのフラットブレッド、肉団子と野菜の入ったシチュー、香草入りのお茶。三人で会話をしながら食事をしていたが、しだいにファニーがうつらうつらしはじめた。ベスは自分の荷物からひざかけを出してかけてやった。
「お疲れなのね。学舎や陛下のお仕事で、お忙しいのでしょう」
「優しいんですね」テオが言う。
ベスは少しばかり残念な笑顔をつくる。「優しいというのは、ほかに褒める場所がない女性に使う言葉ですね」
「そんなこたないと思うけど。なんかありました?」
青年の口調に気遣いが見え、ベスは慌てて首を振った。
「ごめんなさい。ちょっと卑屈になりました。よくないことだわ」
気がつくと、東に広がる砂地に陽が沈みかけていた。タマリスと違い、さえぎられうもののない雄大な夕焼けに目を奪われる。
「そういや、ちょっと気になってたんですけど」
食後の香草茶を手渡してくれながら、テオが聞いてくる。「デイミオン閣……陛下からの餞別って、何だったんです?」
「ああ、あれね」ベスはうんざりした顔をした。
別に黙っていることでもないので、言う。「お金です」
「はー、お金」
「ええ、お金」
そして、お茶をひと口すすり、思い出してため息をついた。妙齢の女性が美しい男性から受け取る贈り物がお金だなんて、物悲しすぎる。そもそもデイミオンとの関係も、婚資という名のお金をこちらが支払うことではじまっているのに、さらに関係の最後までお金のやりとりで終わってしまうと考えると、どうにもいたたまれないものが残ったのだった。そういうことを説明した。
「〈乗り手 〉の姫君っていうのも大変ですね」テオもお茶をすすった。「ま、デイミオン卿は、というかあの兄弟は、モテるわりにどっちもそういう無神経なとこがありますけどね」
それはなんだか愚痴のようでもあり、慰めのようでもあった。ともあれ、誰かに聞いてもらうと笑い話のようで、ベスの心がいくぶん軽くなったのも事実だった。
固形燃料が静かに燃えつき、灯火草のほのかな明かりだけが頼りとなった。ファニーは疲れきってすぐに眠ってしまい、テオは自分が最初の見張りに立つと言った。セラベスは寝る前に星を眺めたいと思ったが、明日の旅程に差し障るといけないので我慢して寝袋に入った。それでも、もともと宵っ張りなのでなかなか寝つけない。これまでに読んだ本を思い返したりして、どれくらいか経った頃、テオに揺り起こされた。
「――閣下。起きてください。静かに、物音を立てずに」ひそめた声がそう言った。
「これを持って」冷たいものを手渡される。暗さでほとんど見えず、手探りだが、短剣のようだ。胸が早鐘を打つ。
――なにか、危険が迫っているの?
身体を起こしてそうっと寝袋から這い出た。立ち上がって天幕から出ると、闇の中にうっすらとテオの姿と、星のわずかな明かりを反射する剣が見えた。ファニーも自分と同じように近くにいるのに違いないが、はっきりとは見えない。闇の中に目を凝らすと、森の奥の方がちらちらと明るく見えた。あれはなんだろう?
「山賊か、脱走兵です。囲まれている」テオが簡潔に言った。
「人間の土地に入れば、飛竜は使えないし、宿にも置いておけません。目立ちすぎますからね」
竜舎から宿の入り口に向かいながら、テオがそう説明した。好奇心旺盛なベスは「竜たちだけで、大丈夫なのですか?」と尋ねる。
「この飛竜は訓練されてるんで、明日にはタマリスの竜舎まで戻ってますよ」
「あなたも飛竜の訓練をなさるの?」
テオは肩をすくめた。「まあ、ひと通りはね」
「宿に泊まれるのは今日までです。明日からは野営になりますから、覚悟してくださいね」
「だろうね」ファニーはうんざりした顔をした。遺跡群、というくらいなので、宿があるような便のいい場所ではないのだ。
「まあ……わたくしのような温室育ちに務まるかしら」ベスは顔を曇らせた。「でも、精一杯やらせていただきます。これもリアナ陛下のおんためですものね」
「セラベス卿は、案外大丈夫じゃないかって気がしますけどね」テオが笑った。
♢♦♢
翌日は快晴だった。ベス自身は兄の手伝いで領地をまわることもあり、宿に泊まることは珍しくないのだが、侍女のいない不便さというのが案外新鮮で面白かった。化粧水をつけろと言われることもないし、昼と夜とで服を替える必要もない。旅行用のドレスは黒髪に合わせた臙脂色の動きやすいもので、それも気に入っていた。
早朝から三人で荷物を持ち、宿には商用で数日で戻ると言い残してある。ベスは東部から珍しい種苗の買い付けに来た商人で、ファニーは侍女、テオは用心棒兼ガイドという役回りだ。男性ではあるが小柄なファニーは貴族の子弟には見えないので、侍女というのは名案だとベスは思った。
宿に紹介された交易所で
最初の野営地はポプラの小さな森のなかに設置された。周囲より一段高くなっていて、水場も近く、別のテントや火を焚いた跡もそこここにあった。なかなか素敵な場所だ。
「なにをしたらよいのか、教えてくださる?」
わくわくしながら尋ねると、テオが手招きした。
「じゃ、おれと閣下はテントを張ってみましょう。ファニー卿は炊きつけになる枝を集めてきてもらえますか」
それで、ベスはテオに習いながらテントを設置した。支柱自体はそう重くないものの、組み立て方がややこしく、相当な力もいる。それでも四苦八苦して、なんとかやってのけた。
「さあ、これでよし。何度かやれば、すぐに上手になりますよ」
「そうだといいのですが。……女の細腕で、ご迷惑をおかけします」
「どういたしまして。体格は体力の一部ですよ、閣下。あなたはエピファニー卿に比べれば背が高くて腕も長いから、それほど力がなくてもうまく持ち上げられます。てこの原理ってやつですね」
テオがにっこりした。女性に笑いかけ慣れている笑顔だ。
「まあ」ベスは目を丸くした。「たしかに、そのとおりですね」
野営の準備は思ったよりも楽しく、あっという間に食事の時間になった。テオは火の点け方から調理まで説明しながら実演してくれ、旅空の食卓には豪華な料理が並んだ。鍋で焼いたほかほかのフラットブレッド、肉団子と野菜の入ったシチュー、香草入りのお茶。三人で会話をしながら食事をしていたが、しだいにファニーがうつらうつらしはじめた。ベスは自分の荷物からひざかけを出してかけてやった。
「お疲れなのね。学舎や陛下のお仕事で、お忙しいのでしょう」
「優しいんですね」テオが言う。
ベスは少しばかり残念な笑顔をつくる。「優しいというのは、ほかに褒める場所がない女性に使う言葉ですね」
「そんなこたないと思うけど。なんかありました?」
青年の口調に気遣いが見え、ベスは慌てて首を振った。
「ごめんなさい。ちょっと卑屈になりました。よくないことだわ」
気がつくと、東に広がる砂地に陽が沈みかけていた。タマリスと違い、さえぎられうもののない雄大な夕焼けに目を奪われる。
「そういや、ちょっと気になってたんですけど」
食後の香草茶を手渡してくれながら、テオが聞いてくる。「デイミオン閣……陛下からの餞別って、何だったんです?」
「ああ、あれね」ベスはうんざりした顔をした。
別に黙っていることでもないので、言う。「お金です」
「はー、お金」
「ええ、お金」
そして、お茶をひと口すすり、思い出してため息をついた。妙齢の女性が美しい男性から受け取る贈り物がお金だなんて、物悲しすぎる。そもそもデイミオンとの関係も、婚資という名のお金をこちらが支払うことではじまっているのに、さらに関係の最後までお金のやりとりで終わってしまうと考えると、どうにもいたたまれないものが残ったのだった。そういうことを説明した。
「〈
それはなんだか愚痴のようでもあり、慰めのようでもあった。ともあれ、誰かに聞いてもらうと笑い話のようで、ベスの心がいくぶん軽くなったのも事実だった。
固形燃料が静かに燃えつき、灯火草のほのかな明かりだけが頼りとなった。ファニーは疲れきってすぐに眠ってしまい、テオは自分が最初の見張りに立つと言った。セラベスは寝る前に星を眺めたいと思ったが、明日の旅程に差し障るといけないので我慢して寝袋に入った。それでも、もともと宵っ張りなのでなかなか寝つけない。これまでに読んだ本を思い返したりして、どれくらいか経った頃、テオに揺り起こされた。
「――閣下。起きてください。静かに、物音を立てずに」ひそめた声がそう言った。
「これを持って」冷たいものを手渡される。暗さでほとんど見えず、手探りだが、短剣のようだ。胸が早鐘を打つ。
――なにか、危険が迫っているの?
身体を起こしてそうっと寝袋から這い出た。立ち上がって天幕から出ると、闇の中にうっすらとテオの姿と、星のわずかな明かりを反射する剣が見えた。ファニーも自分と同じように近くにいるのに違いないが、はっきりとは見えない。闇の中に目を凝らすと、森の奥の方がちらちらと明るく見えた。あれはなんだろう?
「山賊か、脱走兵です。囲まれている」テオが簡潔に言った。