8-3. フィルの苦悩・来襲 ②
文字数 2,078文字
「リアナは――ライダーに戻れるでしょうか?」
しばらくして、フィルは今一番気になっていることを聞いた。
「ある程度の見込みがなければ、できるとは最初から言っていない。だがなにしろ、われわれのときとは勝手が違うからな」
クローナンは櫓の外を眺めながら言った。「レーデルルの断片的な話を総合すると、どうやら〈竜の心臓〉は彼女の身体から排出された時点から自己修復をはじめるらしい。修復が成功すれば、おまえが心臓を得たときと同じやり方で元に戻すことは可能だろう」
それを聞いたフィルはほっと安堵の息をついた。
「――君たちは
クローナンが尋ねた。マリウスのように直接ずけずけと聞かない彼の奥ゆかしさが、かえってフィルの顔を赤くさせた。あの嵐の夜、二人は神聖な儀式のように何度も名前を呼び交わしたのだった。血については、言うまでもない。
かろうじて、「思い当たる節はあります」とだけ答えたが、クローナンにはお見通しだっただろう。
「古竜の力はあまりにも神がかって強い。まったくの憶測だが、〈ハートレス〉たちはずっと以前には、ライダーの代替要員として機能していたのかもしれないな」クローナンはやんわりと言った。
もしそれが事実なら、〈ハートレス〉たちにとってはおおいに意味がある。フィルはうなずいた。
「俺が彼女の心臓の容 れ物になることはできるでしょうか? 必要なときだけ、取りだすというような……」
「そうだな」クローナンは心を動かされた様子で言った。
「だが、むしろライダーからどの程度〈竜の心臓〉を離しておけばよいのか、という数字がない。入れ替えそのものより、そちらのほうが問題だな。長期的にどんな影響があるのか、誰にもわからない、ということだ」
「データはない?」
「君は生体実験には反対していなかったかね? 愛する者が関わっていれば話が別か? ずいぶん、身勝手な発言だな」
「リアナさえ無事なら――俺は、もともと身勝手な人間ですよ」
「だとしても、いつまでもそうあれとは誰も言うまい」
リアナも同じようなことを言っていたことを思いだし、フィルは顔をそむけた。「〈鉄の王〉みたいに隠者めいた助言を与えてくださることに、感謝するべきですか?」
男は「ハハッ」と声をもらして笑った。「どうやら、私もマリウスのように人間味を失いかけているらしいな? 不死者の戯言だ、許せよ」
自分を不死者だというクローナンは、たしかにかつての竜王とは異なっているようにフィルには感じられた。兄であるエンガス卿と、五公十家や歴代の王たちとの調停に追われる病弱な王という印象があったが、いまはより泰然と物事を俯瞰しているように見えた。
たぶん、そのせいなのだろう。フィルは自分でも思ってもみなかったようなことをクローナンにうち明けていた。
「俺は身勝手な人間で……たぶん、こんなふうに罪悪感を感じるのは、俺がこれをどこかで望んでいたんじゃないかと思うからなんです」
クローナンはうなずいて、聞いているということを示した。
「〈ハートレス〉の名誉と尊厳のためにと戦ってきたつもりだったけれど、結局……もしライダーだったなら、俺が耐えてきた苦難のほとんどは経験せずに済んだでしょう。英雄と呼ばれ、〈ハートレス〉でいることに覚悟も誇りも持ってきたつもりだった。情けないけれど、今になって、そのこととどう折りあいをつければいいのかわからないんです。
命に代えてもリアナを守ると誓ったのは、彼女がいずれ王になると知っていたからだった。それは、自分がライダーになれない代わりだったのか? じゃあ、こうしてライダーになった今、俺にとってリアナはなんなんだ?」
フィルは片手で顔を覆った。
「一歩でも間違えば、俺は彼女を失ってしまう。あの雪山で、何に代えても生きてさえいてくれればいいと思ったのに。あのとき……二人で死んでしまっていればよかったんだ。そうしたら、俺の忠誠も、彼女への愛も、疑問を抱かずにそのまま、永遠を信じていられたのに」
クローナンがなにか言おうとしたとき、青年はそれを手で押しとどめ、腰を浮かして窓に近づいた。もはや悩める青年ではなく、兵士の顔つきになっている。「森に侵入者がいる」
「ニザランの民か?」
「――違う」野生動物のように、遠くの一点を凝視したまま気配に集中している。「あなたたちはほとんど呼吸していない。呼吸はある、だが、体温はかなり低い――八、十一、……十二人いる」
「デーグルモールだ」クローナンも立ちあがった。「〈呼 ばい〉を開け。私は王たちに報告を送る」
「お願いします。もう半リーグもない」
クローナンが〈鉄の王〉に〈呼 ばい〉を送るあいだにも、フィルバートはすでに臨戦態勢を整えていた。白竜の力を蓄えはじめたために、周囲にうっすらと弱い風が流れ、青年の短髪を暗闇になびかせている。
「――リアナ、俺に命令を。捕縛か、殲滅か?」
フィルはスミレ色に輝く瞳孔を闇に向け、〈鉄の王〉とともにいるはずの少女に問うた。
しばらくして、フィルは今一番気になっていることを聞いた。
「ある程度の見込みがなければ、できるとは最初から言っていない。だがなにしろ、われわれのときとは勝手が違うからな」
クローナンは櫓の外を眺めながら言った。「レーデルルの断片的な話を総合すると、どうやら〈竜の心臓〉は彼女の身体から排出された時点から自己修復をはじめるらしい。修復が成功すれば、おまえが心臓を得たときと同じやり方で元に戻すことは可能だろう」
それを聞いたフィルはほっと安堵の息をついた。
「――君たちは
契約
しているとレーデルルが言った。血と名前によって結ばれていると。心当たりはあるかね?」クローナンが尋ねた。マリウスのように直接ずけずけと聞かない彼の奥ゆかしさが、かえってフィルの顔を赤くさせた。あの嵐の夜、二人は神聖な儀式のように何度も名前を呼び交わしたのだった。血については、言うまでもない。
かろうじて、「思い当たる節はあります」とだけ答えたが、クローナンにはお見通しだっただろう。
「古竜の力はあまりにも神がかって強い。まったくの憶測だが、〈ハートレス〉たちはずっと以前には、ライダーの代替要員として機能していたのかもしれないな」クローナンはやんわりと言った。
もしそれが事実なら、〈ハートレス〉たちにとってはおおいに意味がある。フィルはうなずいた。
「俺が彼女の心臓の
「そうだな」クローナンは心を動かされた様子で言った。
「だが、むしろライダーからどの程度〈竜の心臓〉を離しておけばよいのか、という数字がない。入れ替えそのものより、そちらのほうが問題だな。長期的にどんな影響があるのか、誰にもわからない、ということだ」
「データはない?」
「君は生体実験には反対していなかったかね? 愛する者が関わっていれば話が別か? ずいぶん、身勝手な発言だな」
「リアナさえ無事なら――俺は、もともと身勝手な人間ですよ」
「だとしても、いつまでもそうあれとは誰も言うまい」
リアナも同じようなことを言っていたことを思いだし、フィルは顔をそむけた。「〈鉄の王〉みたいに隠者めいた助言を与えてくださることに、感謝するべきですか?」
男は「ハハッ」と声をもらして笑った。「どうやら、私もマリウスのように人間味を失いかけているらしいな? 不死者の戯言だ、許せよ」
自分を不死者だというクローナンは、たしかにかつての竜王とは異なっているようにフィルには感じられた。兄であるエンガス卿と、五公十家や歴代の王たちとの調停に追われる病弱な王という印象があったが、いまはより泰然と物事を俯瞰しているように見えた。
たぶん、そのせいなのだろう。フィルは自分でも思ってもみなかったようなことをクローナンにうち明けていた。
「俺は身勝手な人間で……たぶん、こんなふうに罪悪感を感じるのは、俺がこれをどこかで望んでいたんじゃないかと思うからなんです」
クローナンはうなずいて、聞いているということを示した。
「〈ハートレス〉の名誉と尊厳のためにと戦ってきたつもりだったけれど、結局……もしライダーだったなら、俺が耐えてきた苦難のほとんどは経験せずに済んだでしょう。英雄と呼ばれ、〈ハートレス〉でいることに覚悟も誇りも持ってきたつもりだった。情けないけれど、今になって、そのこととどう折りあいをつければいいのかわからないんです。
命に代えてもリアナを守ると誓ったのは、彼女がいずれ王になると知っていたからだった。それは、自分がライダーになれない代わりだったのか? じゃあ、こうしてライダーになった今、俺にとってリアナはなんなんだ?」
フィルは片手で顔を覆った。
「一歩でも間違えば、俺は彼女を失ってしまう。あの雪山で、何に代えても生きてさえいてくれればいいと思ったのに。あのとき……二人で死んでしまっていればよかったんだ。そうしたら、俺の忠誠も、彼女への愛も、疑問を抱かずにそのまま、永遠を信じていられたのに」
クローナンがなにか言おうとしたとき、青年はそれを手で押しとどめ、腰を浮かして窓に近づいた。もはや悩める青年ではなく、兵士の顔つきになっている。「森に侵入者がいる」
「ニザランの民か?」
「――違う」野生動物のように、遠くの一点を凝視したまま気配に集中している。「あなたたちはほとんど呼吸していない。呼吸はある、だが、体温はかなり低い――八、十一、……十二人いる」
「デーグルモールだ」クローナンも立ちあがった。「〈
「お願いします。もう半リーグもない」
クローナンが〈鉄の王〉に〈
「――リアナ、俺に命令を。捕縛か、殲滅か?」
フィルはスミレ色に輝く瞳孔を闇に向け、〈鉄の王〉とともにいるはずの少女に問うた。