7-1. 解き放たれて ②
文字数 2,157文字
ナイルは飛竜にまたがったまま、荒く息をついていた。
周囲からいっせいに槍 と三叉戟 を突きだされ、身動きが取れなくなっていた。飛竜はシューッと威嚇しながらも、じりじりと壁際に追い詰められていく。人間たちは飛竜と主人を取り囲みながらも、興奮して「もっと寄せろ!」「近づきすぎるな!」と矛盾しあうことを口々に叫んでいた。メドロートとシーリアを捕らえたのはガエネイス王の特殊な部隊であり、いまアエディクラに残っているのはほとんどが研究員と一般兵だけだった。彼らは竜に相対することが少ないので、どうやって捕縛するのかという知識も薄いのだ。
竜を取り囲んでいる武器のなかから、「どけ、どけ」とかきわけるようにして頭をあらわした男がいた。アエディクラの研究者、キャンピオンだ。
「なんとしたことか」
揉み手をしながら竜に近づこうとするのを、兵士の一人が止めた。「おやめください、危険です、キャンピオンさま」
「危険、危険、おお、危険でない竜などになんの意味があろうか?」キャンピオンはもつれた髪をかきまぜた。機嫌のいいときの笑みが口端に浮かんでいる。
「これはこれは、ナイル・カールゼンデン卿ではありませんかな? いや、確信はないが。なにしろお顔を拝見したことがない」
ナイルは答えないが、キャンピオンはまったく気にした様子もなく続ける。
「だが、メドロート公の次の後継者はあなたと聞いていますからな。この白竜に呼ばれてきたなら、おそらくそうでしょう。髪は亜麻色、目はスミレ色、痩身長躯、と。お聞きした特徴にも合致している」
その言葉を聞いて、ナイルがぴくっと身体を動かした。乱れた髪でなかば隠されていた目が、ようやく焦点を結ぶ。そして、「大叔父を殺したのはおまえか」とささやき声で言った。
「殺したとは! これは何たる!」
キャンピオンは仰々しく両手を掲げてみせた。「まさか、ナイル卿、そのようなことは。われわれはできるかぎり丁重に、領主にふさわしい待遇でお迎えしたつもりですよ。ただ、ご理解いただきたいのですが、生物相手の実験というのはどうしても数を重ねますと被験者に負担がかかるのは否めないものでして」
「愚かな」
ナイルはかすれた声で呟いた。「卑小な人間ふぜいが、白竜のあるじ、〈種守〉を殺すとは。その報いは、おまえたちの土地が引き受けることになるだろう。おまえたちの子孫七代にいたるまで、芽吹かぬ土地に血と汗を撒き散らし、種の一粒、赤子の一人とて育つことなく死ぬがいい」
呪いそのもののような台詞に、兵士たちのなかには後ずさるものがあった。だがキャンピオンは首を傾げただけでひるまなかった。
「メドロート公は死んでしまったが、後継者が私の手の内に飛びこんできた。私の日ごろの行いを神もご照覧になり、祝福してくださっているのだろう」
その言葉を合図にするように、青年はゆっくりと顔をあげた。リアナと同じ、スミレ色の瞳が焦点を合わせる。長い腕が前方に向かって伸びた。手のひらに水蒸気が集まり、小さな雲のように渦を巻いている。集まってきた風に長い髪をはげしくはためかせて、ナイルは命じた。
「滅びろ」
言葉と同時につむじ風が起こり、兵士たちの足元をうねるように通り過ぎた。兵士たちはたたらを踏み、声をあげて後ろに退却していく。
「ひるむな! 直接は当たらない!」キャンピオンが背後の兵士たちを振り返って命じた。「ナイル卿を捕獲しろ!」
「当たるとも」ナイルは低い声で言う。「〈フローチェイサー〉よりシーリアへ。フェイルセーフを解除」
シーリアはまばたきをしない竜の目で、新たな主人を見下ろした。彼らだけに通じる何らかの命令があり、そして命令は受け取られた。
ナイルが片腕を横にかまえ、横に向かって薙ぎはらうようなしぐさをすると、そよ風のようなやわらかい動きが周囲に広がった。野分のような強風を予想して腕で頭をかばっていた兵士たちが、一瞬とまどうような顔をみせたが、すぐにその表情は恐怖に変わった。あちこちで、首を絞められた家畜のような悲鳴が響く。口を大きく開き、手はなにかを求めてもがくように動いている。しだいに痙攣しはじめ、ばたばたと倒れていく。
「ほら、できた」ナイルは暗い微笑みを浮かべた。
〔ナイル! もう十分よ!〕
リアナの声に、はっとしたように青年が振り返った。だが、そこには誰もいない。少女の声が、なぜ、どこから聞こえるのか、ナイルには一瞬わからなかった。
〔〈呼 ばい〉、そうか、あなたは僕のつぎの継承者なんだ〕
〔ナイル、自分を取り戻して〕
〔陛下――〕
〔彼の死の恐怖と絶望に、わたしたちまで囚われちゃだめ!〕
泡が弾けるように竜の魔法が消え、地面に転がったままの兵士たちが咳き込み、荒く息をつく。だが、半数ほどは息絶えてしまったようにみえる。
ナイルの目を通して見たその光景に、リアナは違和感を覚えた。
(……酸欠? ……まさか)
周囲の空気を遮断して、広範な火災を鎮めたり、あるいは多数の兵士たちの息を止めたりするのは、黒竜のライダーだけが使うことのできる、文字通り必殺の魔術だ。
――ヒトを害する可能性のある竜術は使えない……
それが、竜術の大原則のはずだ。
「そうではなかったの?……」リアナはぼうぜんとして呟いた。
周囲からいっせいに
竜を取り囲んでいる武器のなかから、「どけ、どけ」とかきわけるようにして頭をあらわした男がいた。アエディクラの研究者、キャンピオンだ。
「なんとしたことか」
揉み手をしながら竜に近づこうとするのを、兵士の一人が止めた。「おやめください、危険です、キャンピオンさま」
「危険、危険、おお、危険でない竜などになんの意味があろうか?」キャンピオンはもつれた髪をかきまぜた。機嫌のいいときの笑みが口端に浮かんでいる。
「これはこれは、ナイル・カールゼンデン卿ではありませんかな? いや、確信はないが。なにしろお顔を拝見したことがない」
ナイルは答えないが、キャンピオンはまったく気にした様子もなく続ける。
「だが、メドロート公の次の後継者はあなたと聞いていますからな。この白竜に呼ばれてきたなら、おそらくそうでしょう。髪は亜麻色、目はスミレ色、痩身長躯、と。お聞きした特徴にも合致している」
その言葉を聞いて、ナイルがぴくっと身体を動かした。乱れた髪でなかば隠されていた目が、ようやく焦点を結ぶ。そして、「大叔父を殺したのはおまえか」とささやき声で言った。
「殺したとは! これは何たる!」
キャンピオンは仰々しく両手を掲げてみせた。「まさか、ナイル卿、そのようなことは。われわれはできるかぎり丁重に、領主にふさわしい待遇でお迎えしたつもりですよ。ただ、ご理解いただきたいのですが、生物相手の実験というのはどうしても数を重ねますと被験者に負担がかかるのは否めないものでして」
「愚かな」
ナイルはかすれた声で呟いた。「卑小な人間ふぜいが、白竜のあるじ、〈種守〉を殺すとは。その報いは、おまえたちの土地が引き受けることになるだろう。おまえたちの子孫七代にいたるまで、芽吹かぬ土地に血と汗を撒き散らし、種の一粒、赤子の一人とて育つことなく死ぬがいい」
呪いそのもののような台詞に、兵士たちのなかには後ずさるものがあった。だがキャンピオンは首を傾げただけでひるまなかった。
「メドロート公は死んでしまったが、後継者が私の手の内に飛びこんできた。私の日ごろの行いを神もご照覧になり、祝福してくださっているのだろう」
その言葉を合図にするように、青年はゆっくりと顔をあげた。リアナと同じ、スミレ色の瞳が焦点を合わせる。長い腕が前方に向かって伸びた。手のひらに水蒸気が集まり、小さな雲のように渦を巻いている。集まってきた風に長い髪をはげしくはためかせて、ナイルは命じた。
「滅びろ」
言葉と同時につむじ風が起こり、兵士たちの足元をうねるように通り過ぎた。兵士たちはたたらを踏み、声をあげて後ろに退却していく。
「ひるむな! 直接は当たらない!」キャンピオンが背後の兵士たちを振り返って命じた。「ナイル卿を捕獲しろ!」
「当たるとも」ナイルは低い声で言う。「〈フローチェイサー〉よりシーリアへ。フェイルセーフを解除」
シーリアはまばたきをしない竜の目で、新たな主人を見下ろした。彼らだけに通じる何らかの命令があり、そして命令は受け取られた。
ナイルが片腕を横にかまえ、横に向かって薙ぎはらうようなしぐさをすると、そよ風のようなやわらかい動きが周囲に広がった。野分のような強風を予想して腕で頭をかばっていた兵士たちが、一瞬とまどうような顔をみせたが、すぐにその表情は恐怖に変わった。あちこちで、首を絞められた家畜のような悲鳴が響く。口を大きく開き、手はなにかを求めてもがくように動いている。しだいに痙攣しはじめ、ばたばたと倒れていく。
「ほら、できた」ナイルは暗い微笑みを浮かべた。
〔ナイル! もう十分よ!〕
リアナの声に、はっとしたように青年が振り返った。だが、そこには誰もいない。少女の声が、なぜ、どこから聞こえるのか、ナイルには一瞬わからなかった。
〔〈
〔ナイル、自分を取り戻して〕
〔陛下――〕
〔彼の死の恐怖と絶望に、わたしたちまで囚われちゃだめ!〕
泡が弾けるように竜の魔法が消え、地面に転がったままの兵士たちが咳き込み、荒く息をつく。だが、半数ほどは息絶えてしまったようにみえる。
ナイルの目を通して見たその光景に、リアナは違和感を覚えた。
(……酸欠? ……まさか)
周囲の空気を遮断して、広範な火災を鎮めたり、あるいは多数の兵士たちの息を止めたりするのは、黒竜のライダーだけが使うことのできる、文字通り必殺の魔術だ。
――ヒトを害する可能性のある竜術は使えない……
黒竜
を除いては。それが、竜術の大原則のはずだ。
「そうではなかったの?……」リアナはぼうぜんとして呟いた。