8-3. フィルの苦悩・来襲 ①

文字数 1,921文字

 フィルバートは図書室の前を通りかかり、隙間から漏れる光と、かすかな話し声に気がついた。〈鉄の王〉とリアナだろう。扉周辺の安全は何度か確認してあったし、王自身も熟練の武人ではあるので、フィルは扉の前を守るのはやめて衛兵たちのいる望楼(ぼうろう)へ向かい、階段をのぼっていった。衛兵たちの数人とはすでに顔見知りになっていて、差し入れのワインとフラットブレッドは喜んで受けとられた。
 毛布を借り、柱の近くにスツールを引っ張ってきてそこに陣取った。
 兵士たちは凍える手を火鉢で温めていた。だが、フィル自身は寒さをほとんど感じない。身体の周囲に空気の層を作って、冷気を遮断することができるからだった。
 ひっそりした夜のなかで、すぐ近くに霧が渦巻いている。白竜のライダーとなった今では、その流れのすべてが手に取るように感じ取れた。まるで自分自身が夜の毛布となって広がっているかのようだ。
竜騎手(ライダー)たちが安全に無頓着になるのも、しかたがないな。これほど遠くまで、はっきりと感知できるんだから……)
 兵士としての自分の能力を卑下することはないが、それでも、自分が苦労して身につけてきた能力をあっさりと上まわる巨大な力は、フィルに複雑な思いを抱かせるのに十分だった。
(まして、リアナは……)
 〈隠れ里〉で再会したときから、ずっとライダーになることを夢見てきた少女だったのに、望んでいないこととはいえその力を自分が奪ってしまったのだ。彼女が自分を恨んでいるとは思わないが、どれほど無力感にさいなまれているだろうと胸が痛む。
 さらに、タマリスに戻ることを考えると、解決するべき問題が山積みだった。
 〈()ばい〉が切れて一週間近く経っていることを考えても、王位継承権はすでにデイミオンに移っており、新しい王太子が立っているのは間違いない。いまからリアナが王城に戻っても、〈ハートレス〉となった彼女が王として復権するのは容易ではなさそうだ。
 一番いいのは、もうしばらくニザランに滞在して、クローナンたちの助けを借りながら、リアナがライダーに戻れるかどうかを検証することだ。これなら、タマリスの権力構造に悩まされることなく健康問題に注力できる。復位はその後で考えればいい話だ。だが、リアナは同意しないだろう。
 彼女の身を案じるデイミオンのことを思えば、それも当たり前ではあるが……。だが、二人が夫婦(つがい)の誓いを立てたのは彼女が王でライダーだった時だ。〈ハートレス〉となった今の彼女を、デイミオンは――そして、エクハリトス家は、受け入れることができるだろうか? ……
「見張りか?」
 もの思いにふけっているところで、ふと話しかけられてフィルは顔をあげた。痩せた小柄な姿と黒髪で、すぐに誰だかわかった。
「クローナン陛下」
 立ちあがろうとするのをいつも通りに手で制止される。
「私はここでは王ではないよ。君も知っている通り」
「なぜこちらに?」
「わが女王が寝ついたのでね、星でも見ようかと思ったわけだ」
 かつては大国の王であった男が、ままごと遊びをするような幼女を王と呼び、のんびりと子守りなどしている。フィルには理解できない感覚だったが、クローナンの顔はたしかに穏やかではあった。かれは自分の毛布を男に差しだした。「ここは冷えますから」
「それも、君が使いなさい。われわれの身体は温度の変化に鈍感でね」
 フィルは落ち着きなく座りなおした。「昔の癖で、つい。すみません」
「構わないさ。私は病弱だったからね」
「侍従たちがいつも、気候の変化を気にしていましたね。あなたが風邪をひかないか、喉を傷めないか、食べる量が少ないとか……」
「私の家系は竜の忠誠度が高い。力を持ったライダーを多く輩出し、その少なからぬ者たちが私と同じく病弱で短命だった」
「やはり、〈竜の心臓〉の使い過ぎは身体に負担が大きいんでしょうか?」
 フィルはリアナのことを思いながら聞いた。
「いや……その仮説を検証するのは難しい。エクハリトス家のように、強大さと頑健さをそなえた血筋もあるからな。脆弱さについては、私の一族は――ゼンデン家もそうだが、長い歴史のなかで血族結婚が多いせいかもしれない。婚姻の相手に十貴族以外の中流貴族が好まれる最近の傾向も、親権のことよりもむしろ無意識に血族結婚を避ける性向が働いているのではないかと思う」
 クローナンがバスケットから杯を取りだしたので、フィルはワインを注いだ。かつて王だった男は優雅な手つきでくるりとひと回しし、晩餐会の食卓であるようにワインの香りをかいだ。「君はすっかりワイン倉の番人を買収したらしいな。私の寝酒よりいいものを出しおって」
 二人は形だけ乾杯し、しばらくはワインをすすっていた。 
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登場人物紹介

リアナ・ゼンデン

本作の主人公。竜騎手(ライダー)にあこがれる平凡な田舎少女だったが、竜たちの王となる運命が待っていた。

すなおで活発、売られたケンカは買うタイプ。

養父の教育もあり、なかなかの政治手腕を見せることも。

デイミオン・エクハリトス(デイ)

フィルに続き里にリアナを迎えに来た竜騎手。彼女の次の王位継承権を持つ。

王国随一の黒竜アーダルの主人(ライダー)。

高慢な野心家で、王位をめぐってリアナと衝突するが……。

群れを率いるアルファメイルで、誇り高く愛情深い男でもある。

フィルバート・スターバウ(フィル)

襲撃された里からリアナを救いだした、オンブリアの元軍人。彼女をつねに守るひそかな誓いを立てている。

ふだんは人あたりよく温厚だが、じつは〈竜殺し〉〈剣聖〉などの二つ名をもつ戦時の英雄。

リアナに対しては過保護なほど甘いものの、秘密をあかさないミステリアスな一面ももつ。

レーデルル(ルル)

リアナが雛から育てた古竜の子ども。竜種は白で、天候を操作する能力をもつ。

グウィナ卿

五公(王国の重要貴族)の一員で、黒竜のライダー。私生活ではデイ・フィルの愛情深い叔母、二児の母。

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