6-1. 家庭教師サラートの思惑

文字数 3,750文字

 夕刻(ゆうこく)、教師サラートは城下街を歩いていた。王太子リアナへの講義が終わったところで、史料(しりょう)を包んだ布袋を肩から下げている。街は山の中腹から下る形で広がっており、登城(とじょう)するのは大変だが、帰りはいくぶん楽だった。石畳(いしだたみ)が敷かれた坂道をゆっくりと下っていくと、建物の合間から、左手側に湖を見下ろすことができる。今の時刻は夕焼けが反射して、湖をバラ色に染めていた。

(美しい城、美しい街だ)サラートは思った。
 彼が学を修めたのは、大陸最大の学術都市と言われているアエディクラの〈知恵の塔〉だった。だが詩歌のなかに出てくるような壮麗(そうれい)な場所ではなく、歴史や美観ではタマリスの足もとにも及ばない。もっとも、自分が属していた頃には、あまり風景に気を配る余裕がなかっただけかもしれない。
 湖の上を、一羽の竜が旋回(せんかい)している。遠目なので、黒い影のようにしか見えないが、夕食を探しているように見えた。
(力強き竜が守る、もっとも美しい国――)
 もっと似つかわしい王位継承者がいればよかったのに。
 つい、皮肉気に考えてしまうのは学者の習い性だろうか。

 今日も、その王太子リアナは授業の開始時刻を送らせたうえ、まだたっぷり三十分以上ある授業を切り上げると言いだした。教師としては、王となる人物を(しん)に思うなら叱るべきなのだろうが、あいにくそこまでの思い入れを彼女に持っていない。むしろ好都合だったので、「御意(ぎょい)に」と退室して今にいたる。
(ケイエからの旅程で亡くなった兵士の葬儀がある――とか言っていたか?)
 王太子リアナの現在の政治基盤は、かなり脆弱(ぜいじゃく)だ。正式に王位に就く前に

と思った者がいても、まったく不思議ではない。
(兵士の葬儀に出席? くだらない。偽善的だ)

 たしかに、飲み込みが早い子ではある。五公十家(ごこうじゅっけ)の家系図や、竜騎手(ライダー)議会の重要人物などは、何度も教えるまでもなくきちんと覚えてきた。だが、政策の多くをその五公十家と議会が決めているいま、この国で王に求められるのは、象徴的存在でしかない。つまり、所作や儀礼こそ彼女に必要なものなのだ。サラートが教えようとしているのも、まさにその点なのだが……。

 退室する際、王佐のエサル公とすれ違ったことを思いだした。こちらが深くお辞儀をしても意にも留めず、大股で歩いていく。ちらりとうかがうと、リアナとエサル公は真剣な面持ちで何事かを話しあっていた。

 ――エサル公か……
 もう一人の王位継承者であるデイミオン卿と比べて支持基盤が弱いリアナが、補佐役に選んだのが南の辺境フロンテラの領主エサルだったことは、周囲に驚きをもって受け止められている。母の生家であるノーザンの領主メドロートのほうが後見(こうけん)にはふさわしいだろうと(もく)されていたからだ。だが、公の性格からして彼女を全面的に庇護(ひご)することは明白で、となれば政治的には重要ポジションはもっと効果的に使うほうがよい。そこまで読んでの決定なら、リアナという少女、単なる辺境育ちの小娘とばかりも言えないかもしれない。……

 ♢♦♢ 

 考え事をしていたせいだろうか、館に着いた頃には約束の時刻をかなり過ぎていた。そこは瀟洒(しょうしゃ)な私宅で、階段の上の扉には、ドラゴンの首をかたどった真鍮(しんちゅう)のノッカーがついている。鳴らすと、変わった衣装の従僕(じゅうぼく)からすぐに中へと通された。
 館の持ち主はさる中級貴族だが、美しい邸宅とセンスのいいもてなしで王都に名を知られており、ここでのパーティは城内に上がるような位の高い貴族も顔を出していたりする。季節のちょっとした(もよお)し以外にこれといった特徴はないが、秘密厳守だとは聞いていた。領主貴族たちはここでカード遊びや賭け事に(きょう)じたり、竜や選挙や議会について夜どおし議論したりすることを楽しむとのことだった。
 いかにも学者然とした上着と帽子を預け、サラートは火酒の誘いを断って薄めたワインを頼んだ。食事以外でアルコールを嗜む習慣はサラートにはない。耽溺(たんでき)は頭脳を鈍らせ、判断を誤らせると信じていた。
 ゴブレットを手に客間を渡っていく。目当ての集団はすぐに見つかった。

 見知った顔の青年貴族が、屋敷の主エヴァイアン卿と向かい合ってボードゲームで対戦していた。ゲームをながめながら、陶製の鉢からピスタシオをつまんでいるのは城の御用(ごよう)商人。城内で見たことのある顔がそこここにあった。
 サラートは周囲を見まわす。
(エンガス卿の近縁者が多いが……領地で言うと、リンガルーに、ササン領も。東部領のものは、さすがにいないか)
 だが、有力者が数名いるのを認めないわけにはいかない。サラートは優秀な学者だったが、どちらかといえば研究者肌であり、人を()きつける魅力に欠いている自覚はあった。「計画」に必要な人脈にはまだ穴が多い。うまく立ち回って味方を作れば、一気に計画を進められるかもしれない。
(認めるのは悔しいが、それだけの人材が、ここには集まっている)
 そして、とりわけ目を引く豪奢(ごうしゃ)なドレス姿の女性は、アーシャ姫だった。
「先生、どうぞこちらへ」
 歌うような、穏やかな声がかれを呼んだ。
 サラートは、竜祖(りゅうそ)は信仰しているが、この国の神官制度は気に入らなかった。託宣(たくせん)と称して年端もいかない少年少女を大神官に担ぎだし、政治経済に口をさしはさむ。ばかばかしいにもほどがある。
「言っておきますが、まだ協力すると決めたわけではありませんよ」中年教師は、慎重に言った。
「先日も申し上げましたが、あなたがたの計画には穴が多すぎる。成功するとは思えませんね。……〈試しの儀〉でも、やはり失敗したでしょう?」
「ええ」アーシャは認めた。
「〈()ばい〉が通じなければ、〈門〉のなかにも入れないと思ったのですけれど。神殿のなかにもネズミがいるようですわ。テヌーは頼りにならないし」
「〈御座所(おわすところ)〉でことを起こすのは、おやめになったほうがいい。あなたの、ひいてはエンガス卿の足元が揺らぐことになりかねませんよ」
「おっしゃるとおりですわ」
 髪と目の色に合わせた、銀糸の縫い取りのある青いドレスが、テーブルランプの灯りを映してオレンジ色の模様を浮かび上がらせた。
「でも、城にはわたくしの協力者がおおぜいいます。これから戴冠式まで、チャンスはいくらでもあります」
「〈黒竜大公〉のいる王城で?」サラートは鼻で笑った。「最強の竜を従えた後継者が、彼女と〈()ばい〉でつながっているんですよ。なまなかな暗殺者では手も出せますまい」
「ええ、ですから、先生の協力が必要ですの」アーシャはしれっと言った。
「デイミオン卿といえども、四六時中王太子に張りついているわけではありません。式典の準備もありますし、国境沿いではデーグルモールが出没しているとか。黒竜に乗っても、すぐには飛んでこられない距離に離れることだってあるはずですわ。先生はかなりの時間を殿下と過ごしておられますし……」
(なにを寝ぼけたことを)
 サラートは眉間(みけん)をおさえ、美姫を脳内でののしった。
「いくら二人きりになろうとも、近衛(このえ)竜騎手(ライダー)つきですよ。

を起こすなら王城に着くまでに済ませるべきだったんだ。今となっては、警備に隙などできようはずもない。かりに彼らを遠ざけることができたところで、あの〈竜殺し(スレイヤー)〉がいては……」

 アーシャは笑みを深めた。「それも、もう解決しました」

 衝立(ついたて)の後ろから、影そのもののように出てきた人物を見て、サラートは今度こそ息をのんだ。

 〈竜殺し(スレイヤー)〉フィルバート・スターバウが、そこにいた。

  ♢♦♢

 一方、同時刻のタマリス城下街。

 夕方からの葬儀(そうぎ)に出る予定のリアナだったが、城下街に降りるのは初めてで、詳しく場所を聞いてこなかったことを後悔しはじめていた。護衛の竜騎手(ライダー)は、「このあたりの住宅については、よく存じませんので」とそっけなく答えるのみ。
 貴族たちのタウンハウスや、公使、役人たちの邸宅が立ち並ぶ山の手からは、だいぶん距離がある。竜車(りゅうしゃ)が入れない狭い路地が多かった。振り返れば竜騎手たちの不満顔を見ることになりそうで、あえてさっさと歩く。
 メドロートは、ライダーが葬儀に参列しては遺族のほうが気を(つか)うだろう、と言っていた。今ごろになって、(彼が正しかったのかもしれない)と思いはじめていた。

 家はごく小さく、リアナたちがそこにたどりついたときには、すでにカロスという名前のその兵士の棺は運び出されようとしていたところだった。黒衣の男たちが担ぐ棺の後ろを、家族の近くについて歩いていた一人の男が、リアナの姿を認めて驚いた顔をした。
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登場人物紹介

リアナ・ゼンデン

本作の主人公。竜騎手(ライダー)にあこがれる平凡な田舎少女だったが、竜たちの王となる運命が待っていた。

すなおで活発、売られたケンカは買うタイプ。

養父の教育もあり、なかなかの政治手腕を見せることも。

デイミオン・エクハリトス(デイ)

フィルに続き里にリアナを迎えに来た竜騎手。彼女の次の王位継承権を持つ。

王国随一の黒竜アーダルの主人(ライダー)。

高慢な野心家で、王位をめぐってリアナと衝突するが……。

群れを率いるアルファメイルで、誇り高く愛情深い男でもある。

フィルバート・スターバウ(フィル)

襲撃された里からリアナを救いだした、オンブリアの元軍人。彼女をつねに守るひそかな誓いを立てている。

ふだんは人あたりよく温厚だが、じつは〈竜殺し〉〈剣聖〉などの二つ名をもつ戦時の英雄。

リアナに対しては過保護なほど甘いものの、秘密をあかさないミステリアスな一面ももつ。

レーデルル(ルル)

リアナが雛から育てた古竜の子ども。竜種は白で、天候を操作する能力をもつ。

グウィナ卿

五公(王国の重要貴族)の一員で、黒竜のライダー。私生活ではデイ・フィルの愛情深い叔母、二児の母。

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