6-1. 家庭教師サラートの思惑
文字数 3,750文字
(美しい城、美しい街だ)サラートは思った。
彼が学を修めたのは、大陸最大の学術都市と言われているアエディクラの〈知恵の塔〉だった。だが詩歌のなかに出てくるような
湖の上を、一羽の竜が
(力強き竜が守る、もっとも美しい国――)
もっと似つかわしい王位継承者がいればよかったのに。
つい、皮肉気に考えてしまうのは学者の習い性だろうか。
今日も、その王太子リアナは授業の開始時刻を送らせたうえ、まだたっぷり三十分以上ある授業を切り上げると言いだした。教師としては、王となる人物を
(ケイエからの旅程で亡くなった兵士の葬儀がある――とか言っていたか?)
王太子リアナの現在の政治基盤は、かなり
舞台から立ち去ってもらいたい
と思った者がいても、まったく不思議ではない。(兵士の葬儀に出席? くだらない。偽善的だ)
たしかに、飲み込みが早い子ではある。
退室する際、王佐のエサル公とすれ違ったことを思いだした。こちらが深くお辞儀をしても意にも留めず、大股で歩いていく。ちらりとうかがうと、リアナとエサル公は真剣な面持ちで何事かを話しあっていた。
――エサル公か……
もう一人の王位継承者であるデイミオン卿と比べて支持基盤が弱いリアナが、補佐役に選んだのが南の辺境フロンテラの領主エサルだったことは、周囲に驚きをもって受け止められている。母の生家であるノーザンの領主メドロートのほうが
♢♦♢
考え事をしていたせいだろうか、館に着いた頃には約束の時刻をかなり過ぎていた。そこは
館の持ち主はさる中級貴族だが、美しい邸宅とセンスのいいもてなしで王都に名を知られており、ここでのパーティは城内に上がるような位の高い貴族も顔を出していたりする。季節のちょっとした
いかにも学者然とした上着と帽子を預け、サラートは火酒の誘いを断って薄めたワインを頼んだ。食事以外でアルコールを嗜む習慣はサラートにはない。
ゴブレットを手に客間を渡っていく。目当ての集団はすぐに見つかった。
見知った顔の青年貴族が、屋敷の主エヴァイアン卿と向かい合ってボードゲームで対戦していた。ゲームをながめながら、陶製の鉢からピスタシオをつまんでいるのは城の
サラートは周囲を見まわす。
(エンガス卿の近縁者が多いが……領地で言うと、リンガルーに、ササン領も。東部領のものは、さすがにいないか)
だが、有力者が数名いるのを認めないわけにはいかない。サラートは優秀な学者だったが、どちらかといえば研究者肌であり、人を
(認めるのは悔しいが、それだけの人材が、ここには集まっている)
そして、とりわけ目を引く
「先生、どうぞこちらへ」
歌うような、穏やかな声がかれを呼んだ。
サラートは、
「言っておきますが、まだ協力すると決めたわけではありませんよ」中年教師は、慎重に言った。
「先日も申し上げましたが、あなたがたの計画には穴が多すぎる。成功するとは思えませんね。……〈試しの儀〉でも、やはり失敗したでしょう?」
「ええ」アーシャは認めた。
「〈
「〈
「おっしゃるとおりですわ」
髪と目の色に合わせた、銀糸の縫い取りのある青いドレスが、テーブルランプの灯りを映してオレンジ色の模様を浮かび上がらせた。
「でも、城にはわたくしの協力者がおおぜいいます。これから戴冠式まで、チャンスはいくらでもあります」
「〈黒竜大公〉のいる王城で?」サラートは鼻で笑った。「最強の竜を従えた後継者が、彼女と〈
「ええ、ですから、先生の協力が必要ですの」アーシャはしれっと言った。
「デイミオン卿といえども、四六時中王太子に張りついているわけではありません。式典の準備もありますし、国境沿いではデーグルモールが出没しているとか。黒竜に乗っても、すぐには飛んでこられない距離に離れることだってあるはずですわ。先生はかなりの時間を殿下と過ごしておられますし……」
(なにを寝ぼけたことを)
サラートは
「いくら二人きりになろうとも、
こと
を起こすなら王城に着くまでに済ませるべきだったんだ。今となっては、警備に隙などできようはずもない。かりに彼らを遠ざけることができたところで、あの〈アーシャは笑みを深めた。「それも、もう解決しました」
〈
♢♦♢
一方、同時刻のタマリス城下街。
夕方からの
貴族たちのタウンハウスや、公使、役人たちの邸宅が立ち並ぶ山の手からは、だいぶん距離がある。
メドロートは、ライダーが葬儀に参列しては遺族のほうが気を
家はごく小さく、リアナたちがそこにたどりついたときには、すでにカロスという名前のその兵士の棺は運び出されようとしていたところだった。黒衣の男たちが担ぐ棺の後ろを、家族の近くについて歩いていた一人の男が、リアナの姿を認めて驚いた顔をした。