6-2. 継承 ①
文字数 2,619文字
イティージエンを出発した一行は、南部領 を右手に、さらに南西の国境沿いへと飛んでいた。なだらかな盆地に、人の町を示す建造物たちが点々と集まっていた。
〔……そろそろ国境だ〕デイミオンは、前を行く二人に〈呼 ばい〉で告げた。
〔その先はアエディクラになる。ここは両国のあいだの係争地域になるが、先の大戦での条約で、オンブリアの制空権が認められている〕
〔つまり、上空を竜で飛行する分には、問題ないということね〕リアナが返す。
〔そうだ〕
〔ずいぶん破壊されてしまっているのですね……〕ナイルが言う。〔大きな町だったように見えますが、もはや、人が住んでいる気配はない〕
ナイルの言うとおり、散らばる町や集落のほとんどが遠目で見てもわかるほど破壊され、農耕地ももはや人の手が入っておらず、放棄されているようだった。
〔卿は先の戦争は経験していないんだったな〕デイミオンはほとんど呟くように言った。
〔それじゃあ、ここが、イティージエンがあった場所なのね〕
〔ああ〕
リアナはぼうぜんと眼下を見つめた。〔ここを、わたしの母が破壊した……〕
〔――そうだ〕
〔街も、そこに住んで暮らしていた人たちの生活も破壊され、多くの人が殺されて……〕
〔それが戦争だ〕
〔でも……〕
〔リア〕デイミオンは固い声で言った。〔おまえの母がやったことは、本来ならば、王として私の母がやらなければならなかったことだ。黒竜は国を防衛するための兵器で、主人 はその使用の責任を負う。……イティージエンは我が国に侵攻してきていた。エリサ王が彼らの都を壊滅させたことで、人間たちは竜族の領土への侵攻などといった愚かな考えをやめたのだ。必要なことだった〕
〔……本当に?〕
リアナの目は、まだ眼下の光景に向けられている。〔本当にそう思っているの、デイミオン?〕
〔当たり前だ〕デイミオンの声に怒りが混じる。〔それとも、おまえには国家を守る意思がないとでも?〕
〔わたしのことじゃないわ、デイ〕リアナは声を震わせた。
〔もしまた彼らが侵攻してきたら、次はあなたが同じことをするの? わたしが、あなたにそう命じるの?〕
眼前に、かつてのイティージエンの都、セメルデレ遺跡群が近づいてきていた。まるで王宮への道筋を示しているかのように、ところどころに橋のような建造物が残っている。おそらくは一本の長い水道橋だったのかもしれない。〈呼 ばい〉はその先から送られてきているようだ、とナイルが説明した。アエンナガルがあると思われる場所と合致している。
亡国イティージエンには、オンブリアがいまだに到達することのできないほど高い建築技術があったのだ、とリアナは思った。それらは、彼女の母によって滅ぼされ、失われてしまった。どんな理由があったとしても、それは許されることではないように思えた。黒竜の炎をもって、圧倒的な戦力差で、焼きつくし、滅ぼしつくす。それは結局、〈隠れ里〉で起こったこととなにも違わないのではないか?
アエンナガルに向かい、大叔父メドロートを救い出す。そのためにこうして、デイミオンとともに飛んできたけれど、もしもデーグルモールたちと戦闘になったとき、自分は戦うという決断ができるのだろうか?
考えこんでいると、ふと海の映像が浮かんできて、リアナを戸惑わせた。浮かぶ、というより、目の前に差し込まれるような、意志によらない強制的なものだ。
〔なに?〕
〔どうしたんだ?〕
〔何か、知らない景色が急に――〕
映像は紙芝居のようにつぎつぎに現れては、とどめる間もなく消えていく。
アイスブルーの海に浮かぶ氷山。青と桃色と淡い紫に染められた北国の静謐 な朝焼け。はるか眼下に小さく見える一頭の北極熊。短い夏と雪解け。荒々しく流れ落ちる滝、まばゆいほど美しい緑の絨毯。
額の中心に力があり、イメージはそこから広がっていった。見たことのあるはずのない、ノーザン領の風景が次々に流れ込んでくる。その意味が唐突にわかって、リアナは大きく目を開いた。竜の背で風になぶられ、涙が小さな玉になって背後に飛び散った。
「ネッド!」彼女は叫んだ。
〔リアナ! どうしたんだ!?〕
黒竜の背から、デイミオンが呼んだ。
頭の中の穏やかなイメージとは真逆に、三人のライダーが飛ぶ空は不穏な気配を強めていた。一面を鉛色の雲が覆っていた。雲はすばやく動き、その切れ目からは、不吉なオレンジ色の夕焼けがこぼれている。
「メドロート卿!? いやぁ!」
耳をふさいで頭を振っても、イメージの濁流は消えない。ナイルも悲鳴をあげていた。彼には、さらに巨大な力の奔流が襲いかかってきていた。亜麻色の髪が、強風になびいて生き物のようにうねる。雨が降りだしていた。
青年の慟哭 が、リアナには獣の咆哮 のように響く。
〔リアナ! リアナ、いったい――〕
「……ネッドが! どうして!?」
リアナは必死に、切れぎれに叫んだ。
「『領主権』よ、デイ、新しい〈呼 ばい〉が――」
デイミオンからのものとは違う、ナイルからの〈呼 ばい〉が、まるで千の鐘のようにリアナの頭のなかで鳴り響いている。
「おまえは『後継者』だったのか」デイミオンが呆然と呟いた。「北の領主の、ナイルの次の――そうだ。当然、そう考えるべきだった」
「どういうこと?」
「そもそも、メドロートの次の領主権は竜王エリサが持っていた。彼女が死んで甥のナイルに移ったんだから、おまえにも領主権があっておかしくない」
「ナイル、やめて、落ち着いて!」
だが、ナイル・カールゼンデンはぐんぐんと飛竜を駆って飛んでいく。弓から放たれたばかりの矢のように、一直線に、彼のものである白竜のもとへと引き寄せられているのだ。
「危険だ!」
デイミオンが二人に警告した。
「領主権が移ったということは、メドロート公が
「無理よ! ナイル卿を止められないわ!」
――そして、自分とレーデルルは、ナイルの〈呼 ばい〉に引きずり込まれる。
ぱたぱたっ、と横殴りの雨がリアナに降りかかった。レーデルルが、のたうちまわるように身体をくねらせる。リアナはバランスを崩した。
「きゃあ……!」
手をつこうとしたところが雨で滑り、身体が斜めに傾いだかと思うと、そのまま真下に落下した。引っ張られるかのように落ちながら、はるか真下の地面が目に飛び込んできて――
――落ちる!
〔……そろそろ国境だ〕デイミオンは、前を行く二人に〈
〔その先はアエディクラになる。ここは両国のあいだの係争地域になるが、先の大戦での条約で、オンブリアの制空権が認められている〕
〔つまり、上空を竜で飛行する分には、問題ないということね〕リアナが返す。
〔そうだ〕
〔ずいぶん破壊されてしまっているのですね……〕ナイルが言う。〔大きな町だったように見えますが、もはや、人が住んでいる気配はない〕
ナイルの言うとおり、散らばる町や集落のほとんどが遠目で見てもわかるほど破壊され、農耕地ももはや人の手が入っておらず、放棄されているようだった。
〔卿は先の戦争は経験していないんだったな〕デイミオンはほとんど呟くように言った。
〔それじゃあ、ここが、イティージエンがあった場所なのね〕
〔ああ〕
リアナはぼうぜんと眼下を見つめた。〔ここを、わたしの母が破壊した……〕
〔――そうだ〕
〔街も、そこに住んで暮らしていた人たちの生活も破壊され、多くの人が殺されて……〕
〔それが戦争だ〕
〔でも……〕
〔リア〕デイミオンは固い声で言った。〔おまえの母がやったことは、本来ならば、王として私の母がやらなければならなかったことだ。黒竜は国を防衛するための兵器で、
〔……本当に?〕
リアナの目は、まだ眼下の光景に向けられている。〔本当にそう思っているの、デイミオン?〕
〔当たり前だ〕デイミオンの声に怒りが混じる。〔それとも、おまえには国家を守る意思がないとでも?〕
〔わたしのことじゃないわ、デイ〕リアナは声を震わせた。
〔もしまた彼らが侵攻してきたら、次はあなたが同じことをするの? わたしが、あなたにそう命じるの?〕
眼前に、かつてのイティージエンの都、セメルデレ遺跡群が近づいてきていた。まるで王宮への道筋を示しているかのように、ところどころに橋のような建造物が残っている。おそらくは一本の長い水道橋だったのかもしれない。〈
亡国イティージエンには、オンブリアがいまだに到達することのできないほど高い建築技術があったのだ、とリアナは思った。それらは、彼女の母によって滅ぼされ、失われてしまった。どんな理由があったとしても、それは許されることではないように思えた。黒竜の炎をもって、圧倒的な戦力差で、焼きつくし、滅ぼしつくす。それは結局、〈隠れ里〉で起こったこととなにも違わないのではないか?
アエンナガルに向かい、大叔父メドロートを救い出す。そのためにこうして、デイミオンとともに飛んできたけれど、もしもデーグルモールたちと戦闘になったとき、自分は戦うという決断ができるのだろうか?
考えこんでいると、ふと海の映像が浮かんできて、リアナを戸惑わせた。浮かぶ、というより、目の前に差し込まれるような、意志によらない強制的なものだ。
〔なに?〕
〔どうしたんだ?〕
〔何か、知らない景色が急に――〕
映像は紙芝居のようにつぎつぎに現れては、とどめる間もなく消えていく。
アイスブルーの海に浮かぶ氷山。青と桃色と淡い紫に染められた北国の
額の中心に力があり、イメージはそこから広がっていった。見たことのあるはずのない、ノーザン領の風景が次々に流れ込んでくる。その意味が唐突にわかって、リアナは大きく目を開いた。竜の背で風になぶられ、涙が小さな玉になって背後に飛び散った。
「ネッド!」彼女は叫んだ。
〔リアナ! どうしたんだ!?〕
黒竜の背から、デイミオンが呼んだ。
頭の中の穏やかなイメージとは真逆に、三人のライダーが飛ぶ空は不穏な気配を強めていた。一面を鉛色の雲が覆っていた。雲はすばやく動き、その切れ目からは、不吉なオレンジ色の夕焼けがこぼれている。
「メドロート卿!? いやぁ!」
耳をふさいで頭を振っても、イメージの濁流は消えない。ナイルも悲鳴をあげていた。彼には、さらに巨大な力の奔流が襲いかかってきていた。亜麻色の髪が、強風になびいて生き物のようにうねる。雨が降りだしていた。
青年の
〔リアナ! リアナ、いったい――〕
「……ネッドが! どうして!?」
リアナは必死に、切れぎれに叫んだ。
「『領主権』よ、デイ、新しい〈
デイミオンからのものとは違う、ナイルからの〈
「おまえは『後継者』だったのか」デイミオンが呆然と呟いた。「北の領主の、ナイルの次の――そうだ。当然、そう考えるべきだった」
「どういうこと?」
「そもそも、メドロートの次の領主権は竜王エリサが持っていた。彼女が死んで甥のナイルに移ったんだから、おまえにも領主権があっておかしくない」
「ナイル、やめて、落ち着いて!」
だが、ナイル・カールゼンデンはぐんぐんと飛竜を駆って飛んでいく。弓から放たれたばかりの矢のように、一直線に、彼のものである白竜のもとへと引き寄せられているのだ。
「危険だ!」
デイミオンが二人に警告した。
「領主権が移ったということは、メドロート公が
死んだ
ということだ。もう公を助けることはできない
んだ。どういう状況下であれ、安全が確認されるまで近づくな!」「無理よ! ナイル卿を止められないわ!」
――そして、自分とレーデルルは、ナイルの〈
ぱたぱたっ、と横殴りの雨がリアナに降りかかった。レーデルルが、のたうちまわるように身体をくねらせる。リアナはバランスを崩した。
「きゃあ……!」
手をつこうとしたところが雨で滑り、身体が斜めに傾いだかと思うと、そのまま真下に落下した。引っ張られるかのように落ちながら、はるか真下の地面が目に飛び込んできて――
――落ちる!