4-2. 雪山越え ④

文字数 2,063文字

 壮年の竜騎手は、ゆっくりと頭をめぐらせた。なにが起きたのかわからないという顔でリアナを見るが、目をかっと見開き、両腕から力が抜けた。そのあとに見下ろして彼女の盾の影に隠れていたものを目にした。そして、あえぐような声をもらした。

「あなたの短剣を使わせてもらったわよ」
 そういうと、リアナは短剣に〈霜の火〉を込めた。男の内部で剣先が氷をまといながら成長し、心臓にまで達するのを、柄を握る手から感じた。
 ハリアンはよろりと一歩下がって、自分の胸に刺さった短剣を手でつかんだ。「エサル(さま)」そして、信じられないものを見たような目で彼女を見た。「エリサ王。竜祖よ、お許しを」
 

 最後の竜騎士が絶命すると、あたりは静まりかえり、ふたたび雪と嵐に閉ざされた。フィルは多少よろめきながらも、ちゃんとした足取りでリアナのもとに来た。六人の竜騎手(ライダー)を相手に、さらに弓兵までいたことを考えれば、驚くほどのフィルの戦闘能力がうかがい知れた。本当に、竜術のひとつも扱うことができないのに、なんという強さなのだろう。近づいてきたフィルを抱きよせると、頬にできた傷がすでに凍りかかっていた。茶色い髪から血が糸のように垂れ、青年の顔を青白く見せていた。

「フィル」
 腕をまわして引き寄せると、フィルは素直に彼女の肩口に頭をあずけた。「リアナ」

 彼は一度だけ強く抱きしめてから、そっとリアナの腕を離した。移動して、死体のひとつから自分の剣をつかみ、足で押さえつけて引き抜いた。腕をあげて〈大喰らい(グラトニー)〉をあらためるとそれを捨て、別の死体からもっとましで刃こぼれしていない剣を抜いた。

「先を急ぎましょう」

  ♢♦♢

 フィルは、わずかな時間で決めなければならなかった。このままこの峠道を進み続けるか、それとも分岐点まで引き返し、より安全な北の峠道を行くか。
 あるいは、そのどちらでもない道――ここからまっすぐに北上し、北の峠道に行きあたるのを祈るか。

 おそらく、このまま峠道を進み続けるのが最善だろうと一度は考えた。騎手たちはすべて殺したのだし、自分たちがこの峠道を進んでいることを知っている人間はほかにいないはずだ。荷物をいくらか捨てて竜を軽くして急げば――この道ならば、乏しい備蓄でも踏破できる。なにより、リアナの負担が一番少ない。

 ――だが、相手は訓練された竜騎手(ライダー)たちだ。
 彼らが戻らなければ作戦の失敗はすぐに知れるだろう。直前まで〈呼び手(コーラー)〉を使って交信していたに違いない。もし騎手たちのなかに高度な〈呼び手(コーラー)〉がいれば、さらに詳しい情報を伝えていたとも考えられる。エサル公なら、仮にもクーデターを図っておいて、この程度の手ぬるい追撃では終わるまい。 

 そして、もう一度、今度は万全の態勢で襲いかかられたとすれば――逃げきれない可能性が高い。残念な思いでそう結論づけた。そして、第三の道に賭けることにした。

 フィルはリアナにそれを説明し、重要なことを尋ねた。
「その術具で、しばらくのあいだ、天候にかかわる軽い竜術を使えますか? つまり、風の向きや強さ、温度や湿度を正確に感じられるか、ということなんですが」
 北の峠道は熟知していたが、ここからそこにいたるまでの道があったとしても、そこを使うには情報が少なすぎる。

 彼女は力の蓄えはさっきの戦闘でほぼ使い尽くしたと説明したが、うなずいた。「できるわ。ただし、気象を変えるほどの力はない」
 フィルは「十分です」と言った。

 それから、リアナを安全な岩場に隠して入念に入り口と痕跡を消し、竜にまたがって一人来た道を戻り、半刻もしないうちに息を切らせて戻ってきた。
 心配そうな顔をしている彼女に、あらためて告げる。
「分岐点まで戻らず、直接北上して、北のカレン峠を行きます」

「道はあったの?」
「高地に棲むヤギの通った跡が、岩山を縫って北上するような獣道になっていました。おれ一人では無理だけど、あなたが周囲の情報を教えてくれれば、到達できるはずです」
 リアナはうなずいた。「わかったわ」

 その夜は岩場に野営したが、火を焚くこともできず、備蓄の蜂蜜酒と干し肉だけで夕食を終えた。フィルは彼女のために、一年のうちでこの時期だけ出回る、日持ちはしないが高価で柔らかい干し肉を買い求めていたのだが、リアナはそれさえ食べることができなかった。フィルはこっそりとため息をつき、少なくとも自分がその肉にありついたことを喜ぶべきだろうと思った。いくらかは彼女の養分にもなるのだから。

 前腕を切って血を与えたが、彼女は血が止まる程度にわずかに舐めただけで、それ以上摂取しようとはせず、眠ってしまった。

 マリウス手稿には、どの程度の量の血を、どれくらいの頻度で与えるべきかの指示がなかった。だから、数日前のあの量で足りたのかもしれないが、フィルには不安が残った。ニザランにいる男は、本当にデーグルモールと化した彼女を救う方法を知っているのだろうか。あれこれと考えながら、彼女を毛布でくるんで抱きかかえるようにして、ほとんどまんじりともせずに過ごした。

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登場人物紹介

リアナ・ゼンデン

本作の主人公。竜騎手(ライダー)にあこがれる平凡な田舎少女だったが、竜たちの王となる運命が待っていた。

すなおで活発、売られたケンカは買うタイプ。

養父の教育もあり、なかなかの政治手腕を見せることも。

デイミオン・エクハリトス(デイ)

フィルに続き里にリアナを迎えに来た竜騎手。彼女の次の王位継承権を持つ。

王国随一の黒竜アーダルの主人(ライダー)。

高慢な野心家で、王位をめぐってリアナと衝突するが……。

群れを率いるアルファメイルで、誇り高く愛情深い男でもある。

フィルバート・スターバウ(フィル)

襲撃された里からリアナを救いだした、オンブリアの元軍人。彼女をつねに守るひそかな誓いを立てている。

ふだんは人あたりよく温厚だが、じつは〈竜殺し〉〈剣聖〉などの二つ名をもつ戦時の英雄。

リアナに対しては過保護なほど甘いものの、秘密をあかさないミステリアスな一面ももつ。

レーデルル(ルル)

リアナが雛から育てた古竜の子ども。竜種は白で、天候を操作する能力をもつ。

グウィナ卿

五公(王国の重要貴族)の一員で、黒竜のライダー。私生活ではデイ・フィルの愛情深い叔母、二児の母。

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