エピローグ 里の真実とフィルの嘘 ①
文字数 2,534文字
黒地に金の肩章がついた軍服に、フィルバートは袖 を通した。
かつての連隊の、草色の地味な軍服とは違って、いくらか派手に感じる。「かっこいいのがいいじゃない」とリアナが主張し、エサル公が賛同したというデザインだ。新王と王佐は南部出身らしい派手好みで、そのあたりの意見が合うらしい。
制服はともかく、隊の再建についてはまだ見通しが立っていない。ほかならぬフィルが二の足を踏んでいるからだ。
〈ハートレス〉への偏見と差別を取りのぞき、オンブリアの貴族社会にきちんとした席を与えたい、というリアナの提案には驚いた。ほんのひと月ほど前には、王が誰であるかすら知らなかったような少女が、そんなことを言うのだから。
でも、リアナは〈ハートレス〉たちに光を当てたいと言った。連れ去られた子どもたちを取り戻そうとする行動もそうだ。力あるライダーだけではない、そこにはオンブリアのすべての民に向けるまなざしがある。
それを、今のフィルは代えがたく思う。たとえ王として成熟していくなかで当初の理想が輝きを失うかもしれなくても、リアナは王にふさわしい。
そう思えてよかった、とフィルはあらためて思った。彼女を選んだ自分の判断は、間違っていなかった。
――とはいえ、連隊についてはまた別だ。
彼自身がかつての戦争体験にまだ整理をつけられていないと感じていたし、それに彼女が即位してしばらくの間は、やはり護衛のポジションを近衛兵に譲れないとも思っていた。
いつか、連隊を再建することができれば……
それはもしかしたら、自分にとっての宿願かもしれない。しかし、今はそれよりもはるかに重要なことがある。
――
その実感こそ、いまのフィルが生きる理由だった。決意を新たにすると、フィルは鏡も見ずに自室を出た。
気の重い任務が残っているのだった。
♢♦♢
城の規模から考えると小さな、ガラス張りの温室に足を踏み入れる。ほとんどの鉢は花も葉もなくむき出しのままで春を待っていたが、奥のほうに冬薔薇 が満開で並んでいた。雪と氷に包まれる掬星城 を冬の間なぐさめ、春には枯れる孤独な花だ。竜王リアナはそのバラの手入れなどをしているかに見えた。フィルの足音を聞くと、凍りついたように身を固くして、振りかえった。
形ばかりの挨拶をして、すぐに本題に入った。
フィルが小さなガーデンテーブルの上に広げたのは、歴代の竜騎手たちの名前を記した羊皮紙の束だった。もう一枚は、〈隠れ里〉が開かれたときに王にあてて書かれた誓約書。
〈御座所〉の書庫から、彼自身が探してきたもの。そして、彼女には見てほしくないと思っていたものだった。
しかし、もう隠しておくことはできない。
どう切り出そうかと悩んだが、リアナのほうが、先に口を開いた。
「子どもたちの半数を殺したのは……里長 のウルカなのね?」
「……どこから、それを?」
問われたリアナは乾いた笑みを漏らした。「
「わたしの悪夢のなかからよ。あれから毎日、ずっと考えてたわ。何度も何度も、くり返し……。子どもたちを殺す必要があるのは、アエディクラでも、デーグルモールでもない。
そして、スミレ色の目でフィルを見すえた。
「あなたは知っていたのね?」
フィルバートは瞑目 した。
この瞬間が来るのを、彼は里を出てからずっと、恐れていたのだった。
「俺は林のなかにいて、襲撃の瞬間は見ていませんでした」
できるだけ衝撃をあたえないように、事務的に言う。
「あの湖にいたのは、しばらく内偵 して成人の儀のことを知っていたから……最初からあなた一人を守るつもりでした。でも襲撃のあとを改 めれば、何が起こったかはわかります。兵士ですから……」
「
どうして秘密にしていたのか、とその声は問うている。あるいは、
フィルはエリサ王と里長の誓約書を手にした。
「あなたに知ってほしくなかった。子どもたちの半数を殺したのは、たしかに里長 だと思います。……貴重な能力者を、敵の――人間側の戦力として渡さないために、それは里をひらいたときに彼自身がエリサ王と交わした誓約でした。
先の戦争が終結したころ、竜騎手たちの一部が戦いに倦 み疲れ、軍を離れて静かに暮らしたいと王に願い出たのが、〈隠れ里〉のはじまりでした。人間の女性と恋仲になった竜騎手たちがいたのだと言われています。
王との約束を守ることが、ライダーとしての里長の最後の矜持 だったのです。あなたには狂気の沙汰に思えるでしょうが……」
リアナは両手で顔を覆ったまま、くぐもった声で「あなたが知っていることを、全部教えて」と言った。
フィルは一呼吸ぶんだけためらってから、語りだした。
「遺体の状況からの推測ですが、里長を殺したのは、里の人間――あなたの言う、パン屋のロッタではないかと思います。
おそらくは子どもたちをそれ以上殺させないために、彼を止めるためにとっさに殺したのでしょう。そして残った数名の子どもたちを森へ逃がした――それが正しかったかどうかわかりません。結果として彼らはデーグルモールに捕らえられ、そして今回また連れ去られてしまった。
ロッタの最期は……
めちゃくちゃに切りつけられていたことを覚えていますか? ひどく破損して、腕が黒焦げになっていたことを? 近くに黒焦げの遺体がありましたね? おそらくこうです。
デーグルモールのグループにライダーは一人。そして複数のコーラーがいたのだと思います。
生き残りの子どもたちをまとめて連れ去るため、コーラーと数名の兵士が囲うようにして追い立てていました。
そこにロッタが現れて……
コーラーめがけて斬りこんでいったのです。おそらく一気に剣の間合いに入り、相手が剣を抜かざるを得ないように仕向けた。……そして、どうにかしてお互いの血を流し……その血をさかのぼって逆に
彼にはそれができた。彼は
黒竜の新たな主となったロッタは、彼に連なるすべてのコーラーを自分ごと焼きつくしました……」
かつての連隊の、草色の地味な軍服とは違って、いくらか派手に感じる。「かっこいいのがいいじゃない」とリアナが主張し、エサル公が賛同したというデザインだ。新王と王佐は南部出身らしい派手好みで、そのあたりの意見が合うらしい。
制服はともかく、隊の再建についてはまだ見通しが立っていない。ほかならぬフィルが二の足を踏んでいるからだ。
〈ハートレス〉への偏見と差別を取りのぞき、オンブリアの貴族社会にきちんとした席を与えたい、というリアナの提案には驚いた。ほんのひと月ほど前には、王が誰であるかすら知らなかったような少女が、そんなことを言うのだから。
でも、リアナは〈ハートレス〉たちに光を当てたいと言った。連れ去られた子どもたちを取り戻そうとする行動もそうだ。力あるライダーだけではない、そこにはオンブリアのすべての民に向けるまなざしがある。
それを、今のフィルは代えがたく思う。たとえ王として成熟していくなかで当初の理想が輝きを失うかもしれなくても、リアナは王にふさわしい。
そう思えてよかった、とフィルはあらためて思った。彼女を選んだ自分の判断は、間違っていなかった。
――とはいえ、連隊についてはまた別だ。
彼自身がかつての戦争体験にまだ整理をつけられていないと感じていたし、それに彼女が即位してしばらくの間は、やはり護衛のポジションを近衛兵に譲れないとも思っていた。
いつか、連隊を再建することができれば……
それはもしかしたら、自分にとっての宿願かもしれない。しかし、今はそれよりもはるかに重要なことがある。
――
立てた誓いが重いほど
、それは困難のなかで生きのびる力を与えてくれる
。その実感こそ、いまのフィルが生きる理由だった。決意を新たにすると、フィルは鏡も見ずに自室を出た。
気の重い任務が残っているのだった。
♢♦♢
城の規模から考えると小さな、ガラス張りの温室に足を踏み入れる。ほとんどの鉢は花も葉もなくむき出しのままで春を待っていたが、奥のほうに
形ばかりの挨拶をして、すぐに本題に入った。
フィルが小さなガーデンテーブルの上に広げたのは、歴代の竜騎手たちの名前を記した羊皮紙の束だった。もう一枚は、〈隠れ里〉が開かれたときに王にあてて書かれた誓約書。
〈御座所〉の書庫から、彼自身が探してきたもの。そして、彼女には見てほしくないと思っていたものだった。
しかし、もう隠しておくことはできない。
どう切り出そうかと悩んだが、リアナのほうが、先に口を開いた。
「子どもたちの半数を殺したのは……
「……どこから、それを?」
問われたリアナは乾いた笑みを漏らした。「
どこから
ですって?」「わたしの悪夢のなかからよ。あれから毎日、ずっと考えてたわ。何度も何度も、くり返し……。子どもたちを殺す必要があるのは、アエディクラでも、デーグルモールでもない。
オンブリアの人間だけなの
……」そして、スミレ色の目でフィルを見すえた。
「あなたは知っていたのね?」
フィルバートは
この瞬間が来るのを、彼は里を出てからずっと、恐れていたのだった。
「俺は林のなかにいて、襲撃の瞬間は見ていませんでした」
できるだけ衝撃をあたえないように、事務的に言う。
「あの湖にいたのは、しばらく
「
どうして
?」どうして秘密にしていたのか、とその声は問うている。あるいは、
どうして
彼女一人を守ったのかと。フィルはエリサ王と里長の誓約書を手にした。
「あなたに知ってほしくなかった。子どもたちの半数を殺したのは、たしかに
先の戦争が終結したころ、竜騎手たちの一部が戦いに
王との約束を守ることが、ライダーとしての里長の最後の
リアナは両手で顔を覆ったまま、くぐもった声で「あなたが知っていることを、全部教えて」と言った。
フィルは一呼吸ぶんだけためらってから、語りだした。
「遺体の状況からの推測ですが、里長を殺したのは、里の人間――あなたの言う、パン屋のロッタではないかと思います。
おそらくは子どもたちをそれ以上殺させないために、彼を止めるためにとっさに殺したのでしょう。そして残った数名の子どもたちを森へ逃がした――それが正しかったかどうかわかりません。結果として彼らはデーグルモールに捕らえられ、そして今回また連れ去られてしまった。
ロッタの最期は……
めちゃくちゃに切りつけられていたことを覚えていますか? ひどく破損して、腕が黒焦げになっていたことを? 近くに黒焦げの遺体がありましたね? おそらくこうです。
デーグルモールのグループにライダーは一人。そして複数のコーラーがいたのだと思います。
生き残りの子どもたちをまとめて連れ去るため、コーラーと数名の兵士が囲うようにして追い立てていました。
そこにロッタが現れて……
コーラーめがけて斬りこんでいったのです。おそらく一気に剣の間合いに入り、相手が剣を抜かざるを得ないように仕向けた。……そして、どうにかしてお互いの血を流し……その血をさかのぼって逆に
黒竜ごと
支配した。彼にはそれができた。彼は
黒竜のライダー
だからです。黒竜の新たな主となったロッタは、彼に連なるすべてのコーラーを自分ごと焼きつくしました……」