5-5. 試される王 ③

文字数 2,206文字

 窓のほうに数歩、踏み出したので、昼の光が落ちて人影の顔が見えた。年齢も背丈もリアナと同じくらい。柔らかそうな栗色の髪をした、聡明な顔つきの少年だった。仔竜は捕まったせいか、走り回って満足したのか、おとなしくリアナの腕に戻った。
「本を汚すまえでよかった、ありがとう」

「仔竜と護衛つきとは、どこのお姫さまが来たのかな」
 少年が面白そうに問うた。リアナはちらりとフィルを見た。四角四面なデイミオンあたりなら無礼を(とが)めそうだが、フィルはなんとでもとれる笑顔を作ってみせただけだった。
「えーと」
 いまだに慣れない立場を口にすべきか迷ったが、やめておく。この少年の話を聞きたいという気持ちのほうが先に立った。なるべくなら、嘘にならない範囲で……。
「わたしはリアナ、この竜はレーデルルって言うの。この人は護衛というか……友達というか……」
「友達なんてひどいな、ちょっと傷つきますよ」フィルがおかしな冷やかしをした。

「そう。僕はファニーと呼ばれてる。どうぞよろしく」二人は握手をした。
「ファニー? 変わった名前ね。……ここで働いているの?」
 少年の簡素な服は、下働きといっても通りそうなものだった。フード付きの白い長衣に、黒いレギンス、やわらかそうな革のブーツ。
「うん」少年はにっこりした。「そんなところ。……きみは?」
「えっと、わたしは、最近来たばっかりなの」
「後ろの彼は違うみたいだけどね」ファニーはやんわりと言った。
「まあ僕も、同じような感じ」

「ここの史料って、どんなものがあるの? 昔のこととかわかる? 戦時中のこととか」
「戦争って、先のイティージエン戦役のこと?」
 リアナがうなずくと、ファニーは「そうだね……」と、ぐるりと首をまわして書架を眺めた。
「ここに収めてあるのは、建国初期からの王国記。航海記録や地図、五公十家の家系図に、大陸の他の国についての伝聞記録もあるかな。王城からの問い合わせがあったらすぐ貸し出せるように、こうして整理してある。……でも、戦時中の史料なら、まだ製本されていないものも多くて、また別の場所になるよ」
 よどみなく言う少年に、リアナは感心した。「詳しいんだ?」
「まあね」ファニーは肩をすくめた。「僕はここの本の管理を任されている……ようなものだから」
 彼の言葉にも、当たり障りないように濁した部分が少しばかりあるようだ。
 ともかく、それはありがたい、とリアナは思った。いい時にいい人物に出会ったわけだ。
「あのね、わたし調べたいことがあって。もしよかったら、手伝ってくれない?」
「もちろんだよ。喜んで」
 少年は意味ありげな間をおいた。「でも、たぶん君の

が無事、終わってからがいいんじゃないかな?」

                 ♢♦♢

 同時刻、掬星城(きくせいじょう)にて。

「メドロート公」
 戴冠式に向けた打ち合わせ。その会が閉じ、部屋を出ようとしていた広い背中を、デイミオンは呼びとめた。
「あれ……いや、殿下の竜術の教育は、どこまで進んでおられる?」
 デイミオンをも見下ろすほどの巨体は立ち止まって顔を向けたが、「必要ない」と言って踵を返した。
「私には報告の必要がないと?」と、デイミオン。「彼女になにかあった場合、次に王になるのは、王太子である私なのだが」
 北の領主は長い間黙っていたが、口のなかに(こも)るような小声で言った。
「……そっだら、ことでねぐ」
 否定したもののすぐには続けず、眉間のしわを指で延ばしている。もともと、寡黙すぎるほど寡黙な男なのだ。公的な場で領主らしくふるまうのは苦手なのかもしれない。

もライダーなら、わかっぺや。ライダーが竜の力を使うのに、訓練だば必要ね。必要なのは、使い方を知るごどだけだ」
 それを聞いたデイミオンは考えるそぶりをした。言葉足らずではあるが、言いたいことは分かる。あの廃城にとらわれているあいだ、リアナに教えたことの基本と同じだ。
「それはそうだが、ほかにも教えておくことはいろいろあるでしょう? 白竜の力は

だ。使い方にはご注意いただかないと、こちらも困る」
「ん」メドロートはうなずく。「そこは、おれがしっかり教えておくでな。案ずるでね」
「頼みます」
 ならいいが。
 デイミオンは用件を終えて立ち去ろうとしたが、立場上メドロートのほうが目上なので、いちおう彼の退室を待った。しかし、公はぐずぐずと、なかなか退室しないでいる。
 なにか言いたいことでもあるのかと、忙しい青年は目でうながした。
 かなり長い間があった。
「……あの()は、親もねぐ、一人で頑張ってきたんだべな」
 メドロート公は呟いて、髭に覆われた顔をぺろりと撫でた。「……もごさいなぃ」
「えっ」柄にもなく間抜けな声が出てしまった、デイミオンである。
「だすけ……だすけな、黒竜の若君よ。あの()にひどくあたってはなんねぞ。縁あって王と王太子さなっただはんで。二人でよく、(たす)けあってな」
(ええーっ)
 白竜公の目の端にきらりと慈愛の涙が光るのを見て、デイミオンの心は、棒でつつかれたサワガニのごとく跳びすさった。
 まさかこのヒグマの頭のなかには、手に手を取って王国を導く清く美しいカップルの図でも浮かんでいるのだろうか。現実のリアナとデイミオンの間に存在するのは、政治的対立関係だけなのだが。
 彼の心境としては、()しくも数日前に公に相対した時のリアナとそっくりだった。

 ――なにがなんだか、わからない。
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登場人物紹介

リアナ・ゼンデン

本作の主人公。竜騎手(ライダー)にあこがれる平凡な田舎少女だったが、竜たちの王となる運命が待っていた。

すなおで活発、売られたケンカは買うタイプ。

養父の教育もあり、なかなかの政治手腕を見せることも。

デイミオン・エクハリトス(デイ)

フィルに続き里にリアナを迎えに来た竜騎手。彼女の次の王位継承権を持つ。

王国随一の黒竜アーダルの主人(ライダー)。

高慢な野心家で、王位をめぐってリアナと衝突するが……。

群れを率いるアルファメイルで、誇り高く愛情深い男でもある。

フィルバート・スターバウ(フィル)

襲撃された里からリアナを救いだした、オンブリアの元軍人。彼女をつねに守るひそかな誓いを立てている。

ふだんは人あたりよく温厚だが、じつは〈竜殺し〉〈剣聖〉などの二つ名をもつ戦時の英雄。

リアナに対しては過保護なほど甘いものの、秘密をあかさないミステリアスな一面ももつ。

レーデルル(ルル)

リアナが雛から育てた古竜の子ども。竜種は白で、天候を操作する能力をもつ。

グウィナ卿

五公(王国の重要貴族)の一員で、黒竜のライダー。私生活ではデイ・フィルの愛情深い叔母、二児の母。

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