4-2. 義務と衝動 ①
文字数 2,975文字
♢♦♢ ――デイミオン――
繁殖期 も、竜神祭を過ぎるとそろそろ終盤となる。
竜騎手 団の再編成は、かなりの難題になりそうだった。王都に人が集まるこの時期に合わせて、通常は領地にいる若い竜騎手 候補者たちへのリクルートがあり、入団のための面談がある。経過はあまり思わしくなく、デイミオンは王城の執務室に缶詰になっていた。王の巡幸ははじまったばかりで、イーゼンテルレに無事到着、まずはイーサー公子の結婚式に出席する、との報告を受けている。日程を見るに、今夜がその結婚式だ。
リアナとのあいだにはいくらか険悪なムードもあったが、外遊中は〈呼 ばい〉を勝手に切るなと厳命してある。王佐のエサル公がついているとはいえ、無謀なことをしていないかと思うと胃が痛む。リアナには、思わぬときに無鉄砲になるところがある。
副官のハダルクが外遊に帯同しているため、代役としてアマトウという団員が書類の手伝いなどしてくれていた。自己主張の強いライダーたちのなかにあって貴重な、ハダルクと同じ女房役タイプの男だ。
「名簿の集まりが悪いな」
竜騎手 団はその性質上、オンブリアの領主貴族に存在する乗り手 の数の把握も業務に入っている。どの家も新たに〈成人の儀〉を迎えた子どもたちの階級を報告する書面を提出する義務があるのだが、その集まりが悪い、とデイミオンは言っているのである。
「昨今はどの家も、団員を出したがりませんからね」
アマトウが思案気に言った。「リアナ陛下が乗り手 の死因統計を作ると計画なさっていましたが、この状況だとそちらもなかなか、骨が折れそうですね」
そうだった。失念していた。
「――灰死病か。そっちもあったな」
オンブリアで静かに広がりつつある孤発性の奇病は、『灰死病』という名で呼ばれている。爆発的な流行というのではないが、子どもの少ない貴族階級では特に恐れを生んでいて、王としての対策が迫られていた。
「エンガス卿と青の癒し手 たちが情報を持っていそうなんだがな。あれこれと理屈をつけてうまく断られているんだ」
「クローナン王時代から、医療に関する統計はすべてエンガス卿の管轄ですからね。……しかし、同じ青の癒し手 である私が言うのもなんですが、エンガス卿は思った以上によく乗り手 たちを掌握していますね」
言いたいことは理解できる。デイミオンはうなずいた。「ああ」
王の諮問機関という体を取る五公会だが、リアナの即位前後には二つの派閥に分かれていた。すなわち、リアナと大叔父のメドロート、王佐のエサルに対して、王太子デイミオンとエンガスという構図だ。
「アーシャ姫のこともあったし、いまの五公十家は、少なくとも五公だけでいえば完全に現王 寄りだ。中立派のメドロートを後見に持てる立場なのも大きいし、グウィナ卿も基本的には彼女に支持的だ。エサル卿を王佐に選んだのが賢明な一手だった。彼は南部領主で経済基盤が強い」
「それに、閣下も陛下と対立するのが、お辛くなってきたみたいですしね」アマトウは拳を口にあてて、笑いをこらえるそぶりをした。
「俺は……いや、それは今はいい」
デイミオンは渋い顔をしたが、ハダルクと同年代のアマトウからすれば、それは照れ隠しにしか見えなかった。
「知識や経験が不足していることは否めないが、リアナは王に足る資質がある。それは認める」
「ええ」
「だから……正直、エンガス派はもっと弱体化していると思っていた」
だが、先日エンガスとの会談をもったデイミオンは、卿にはまだ余裕がある、と見た。リアナのことで揺さぶりをかけてきたのは、エンガス派だった自分への牽制として想定の範囲内としても、気にかかることがいくつかある。
「その件に関して、調べてほしいことがあるんだが――」
アマトウに指示しようとしていたところ、突然、雷鳴のごとき男の声が割って入った。
「デイミオン!」
必要以上に大きな音を立てて、その男が執務室に入ってくる。その後ろを、制止しそびれたらしい若手の竜騎手たちが、慌て顔で追ってきている。
ばん、どすどす、がみがみ。ヒュダリオン・エクハリトスは、あらゆる意味でエクハリトス家のエッセンスと言えた。黒髪碧眼、威風堂々たる美丈夫、血統すぐれたる「雄のなかの雄 」、黒の竜騎手 、そして、大きな声と足音。
「ヒュー、叔父上」
デイミオンは座ったまま軽く会釈した。シーズンのわずらわしさのひとつは、普段は疎遠な親戚と顔を合わせることだろうな、と思いながら。
現在、東部の大領主であるエクハリトス家の領主権はデイミオンにあるが、その後継者は父の弟のヒュダリオンである。王権と同じく、ここでも、当主より年長の後継者というわけだ。おそらくデイミオンに子どもが生まれれば領主権が移動するだろうが、今のところその兆しはないため、そういうことになっている。
「いったい何としたことだ!?」叔父はわんわんと怒鳴った。
「繁殖期 の務めを放りだすなど。おまえらしくないぞ」
耳を塞ぎたくなるのをこらえて言う。「考えあってのことです。ご心配なさらないよう」
叔父――親しいものからはヒューと呼ばれている――は鼻を鳴らした。「考え? おまえが竜王陛下にうつつを抜かしていることくらい、わが田舎領地にまで伝わってきとるぞ。どこがいいんだ、あんな生っちろい北部のもやし娘」
デイミオンは目をつぶって、押し寄せるいらだちと怒りをおさめる努力をした。
「ヒュー。あなたにはあなたのご意見がおありでしょうが、これは私の繁殖期 で、ほかのものに口出しされる筋合いではない」
「そうも言っておられるまい。婚資がもらえないうえに、こちらから違約金を払うことになれば財政面でもキツいぞ」
アマトウがゴブレットを運んでくると、ヒュダリオンは中身を見もせずに一気に飲み干した。
「それでなくても、兄上の子はおまえ一人だろう?」
「フィルバートがいますが」
「あれは〈ハートレス〉じゃないか」
無論、そういう返答がかえってくることは分かりきっている。一応は生物学的な兄として、口に出さずにいられなかっただけだ。
「昨年のシーズンは東部領の若い衆もさっぱりだったからな。サンディしかり、ロールしかり、おまえしかり」
ヒューはデイミオンそっくりのしぐさで眉間をおさえた。
「レヘリーンがこのあいだ生んだ赤子はノカリアスの領主の種だと言うし、それならエクハリトス家 とは無関係だしなあ」
デイミオンはわきあがる虚しさをこらえ、嘆息した。叔父の言うことは、一般的には「親族のよけいなおせっかい」の域を出るものではない。しかし、エクハリトス家が昨今、子どもが誕生するという喜ばしいニュースから遠ざかっていることは事実だ。そして、この叔父もまた繁殖期 の務めに苦労している噂も聞いていたので、苦言を呈する心理もわからないではなかった。
「グウィナ卿のように、もう授からないと思われていたところに子が生まれることもあるわけですから」
慰労をこめて言うと、ヒューも嘆息した。「難しいものだ、繁殖期 というのは」
空のゴブレットに注ぎ足そうとするアマトウを制して、手酌で飲みはじめる。エクハリトス家の男はウワバミなので、デイミオンはとくにとがめなかった。
給仕などせずに自分の仕事に戻ってよい、と目で伝える。アマトウはかすかにうなずいて書類仕事に戻った。
リアナとのあいだにはいくらか険悪なムードもあったが、外遊中は〈
副官のハダルクが外遊に帯同しているため、代役としてアマトウという団員が書類の手伝いなどしてくれていた。自己主張の強いライダーたちのなかにあって貴重な、ハダルクと同じ女房役タイプの男だ。
「名簿の集まりが悪いな」
「昨今はどの家も、団員を出したがりませんからね」
アマトウが思案気に言った。「リアナ陛下が
そうだった。失念していた。
「――灰死病か。そっちもあったな」
オンブリアで静かに広がりつつある孤発性の奇病は、『灰死病』という名で呼ばれている。爆発的な流行というのではないが、子どもの少ない貴族階級では特に恐れを生んでいて、王としての対策が迫られていた。
「エンガス卿と青の
「クローナン王時代から、医療に関する統計はすべてエンガス卿の管轄ですからね。……しかし、同じ青の
言いたいことは理解できる。デイミオンはうなずいた。「ああ」
王の諮問機関という体を取る五公会だが、リアナの即位前後には二つの派閥に分かれていた。すなわち、リアナと大叔父のメドロート、王佐のエサルに対して、王太子デイミオンとエンガスという構図だ。
「アーシャ姫のこともあったし、いまの五公十家は、少なくとも五公だけでいえば完全に
「それに、閣下も陛下と対立するのが、お辛くなってきたみたいですしね」アマトウは拳を口にあてて、笑いをこらえるそぶりをした。
「俺は……いや、それは今はいい」
デイミオンは渋い顔をしたが、ハダルクと同年代のアマトウからすれば、それは照れ隠しにしか見えなかった。
「知識や経験が不足していることは否めないが、リアナは王に足る資質がある。それは認める」
「ええ」
「だから……正直、エンガス派はもっと弱体化していると思っていた」
だが、先日エンガスとの会談をもったデイミオンは、卿にはまだ余裕がある、と見た。リアナのことで揺さぶりをかけてきたのは、エンガス派だった自分への牽制として想定の範囲内としても、気にかかることがいくつかある。
「その件に関して、調べてほしいことがあるんだが――」
アマトウに指示しようとしていたところ、突然、雷鳴のごとき男の声が割って入った。
「デイミオン!」
必要以上に大きな音を立てて、その男が執務室に入ってくる。その後ろを、制止しそびれたらしい若手の竜騎手たちが、慌て顔で追ってきている。
ばん、どすどす、がみがみ。ヒュダリオン・エクハリトスは、あらゆる意味でエクハリトス家のエッセンスと言えた。黒髪碧眼、威風堂々たる美丈夫、血統すぐれたる「
「ヒュー、叔父上」
デイミオンは座ったまま軽く会釈した。シーズンのわずらわしさのひとつは、普段は疎遠な親戚と顔を合わせることだろうな、と思いながら。
現在、東部の大領主であるエクハリトス家の領主権はデイミオンにあるが、その後継者は父の弟のヒュダリオンである。王権と同じく、ここでも、当主より年長の後継者というわけだ。おそらくデイミオンに子どもが生まれれば領主権が移動するだろうが、今のところその兆しはないため、そういうことになっている。
「いったい何としたことだ!?」叔父はわんわんと怒鳴った。
「
耳を塞ぎたくなるのをこらえて言う。「考えあってのことです。ご心配なさらないよう」
叔父――親しいものからはヒューと呼ばれている――は鼻を鳴らした。「考え? おまえが竜王陛下にうつつを抜かしていることくらい、わが田舎領地にまで伝わってきとるぞ。どこがいいんだ、あんな生っちろい北部のもやし娘」
デイミオンは目をつぶって、押し寄せるいらだちと怒りをおさめる努力をした。
「ヒュー。あなたにはあなたのご意見がおありでしょうが、これは私の
「そうも言っておられるまい。婚資がもらえないうえに、こちらから違約金を払うことになれば財政面でもキツいぞ」
アマトウがゴブレットを運んでくると、ヒュダリオンは中身を見もせずに一気に飲み干した。
「それでなくても、兄上の子はおまえ一人だろう?」
「フィルバートがいますが」
「あれは〈ハートレス〉じゃないか」
無論、そういう返答がかえってくることは分かりきっている。一応は生物学的な兄として、口に出さずにいられなかっただけだ。
「昨年のシーズンは東部領の若い衆もさっぱりだったからな。サンディしかり、ロールしかり、おまえしかり」
ヒューはデイミオンそっくりのしぐさで眉間をおさえた。
「レヘリーンがこのあいだ生んだ赤子はノカリアスの領主の種だと言うし、それなら
デイミオンはわきあがる虚しさをこらえ、嘆息した。叔父の言うことは、一般的には「親族のよけいなおせっかい」の域を出るものではない。しかし、エクハリトス家が昨今、子どもが誕生するという喜ばしいニュースから遠ざかっていることは事実だ。そして、この叔父もまた
「グウィナ卿のように、もう授からないと思われていたところに子が生まれることもあるわけですから」
慰労をこめて言うと、ヒューも嘆息した。「難しいものだ、
空のゴブレットに注ぎ足そうとするアマトウを制して、手酌で飲みはじめる。エクハリトス家の男はウワバミなので、デイミオンはとくにとがめなかった。
給仕などせずに自分の仕事に戻ってよい、と目で伝える。アマトウはかすかにうなずいて書類仕事に戻った。