7-1. ハートストーン ①

文字数 2,446文字

 結局、リアナが夜中に熱を出し、フィルは自分の言葉を守れなかった。

 目を覚ますと、手で触れそうなほど近くに砂色の髪があった。どうやら、フィルは彼女を看病しながら眠ってしまったらしい。すーすーと穏やかな寝息が聞こえる。頭と片腕だけを布団の上にのせて、身体のほうは窮屈そうに椅子に収まっていた。
 夜どおし看病していたフィルが、ときおり声をかけてくれたのをおぼえている。
 〈隠れ里〉を出てから長いあいだ知っているのに、この男が眠っているのを見るのははじめてかもしれない。英雄で竜殺しで、優しくて嘘つきで、言葉ではリアナを傷つけても、彼女のためになにを犠牲にすることも厭わない。矛盾だらけの男にリアナはそっと手をのばし、髪を撫でた。

 〈癒し手(ヒーラー)〉が来るという時間になってもフィルは目を覚まさず、起こすのもしのびなくて、リアナは寝台の上で来客を出迎えた。
 警戒しているのは、彼女にずっとつきそっていたフィルでさえ、治療中の〈癒し手〉を見てはいないと言っていたからだった。
『部屋が狭くなると妖精王に追い出されて、その間は外の見張りを……遠目に見た限りでは、竜族の男性のように見えましたが、フードを被っていたので』と、昨日は言っていた。

 ほどなくして、ツリーハウスの階段を登ってくる音に続いて、〈癒し手〉が現れた。フィルの言葉通り、縫いとりの入った紺の外套に、フードを目深にかぶっている。小柄な男性だ。青竜はいないと見えて、力を貯めておく術具をいくつか身に着けていた。
「わざわざ出向いてきていただいて、すみません」クッションを挟んで上半身を起こすと、少しばかり王の威厳をくわえた声音で礼を述べた。「わたしはリアナ・ゼンデンと申します。……あなたは?」

 フードからは細くて高い鼻すじと、老成した口もとが微笑んでいるのだけが見える。〈癒し手〉はなにも言わずに寝台に近寄ると、なぜかフィルバートの顔の近くで鼻を動かした。リアナは思わず、彼を守るように頭に腕をまわした。

「おやおや。音に聞こえた〈ヴァデックの悪魔〉も、さすがに疲れがたまっているようだ」男の声は高くも低くもなく、人を落ち着かせる力があった。「私はなにを見ているのだろうね? この男が女性の腕のなかで眠るところを見られる日が来るとは」

「失礼ですが……?」
 リアナが尋ねようとしたとき、フィルがはっと目をさました。重い金属がこすれる音。まばたきするよりも早く剣を抜き、〈癒し手〉の喉もとに突きつける。
「フィル! 剣を下ろしなさい」竜に命じるように、リアナが短く制した。そして、〈癒し手〉に向かって言う。「お顔を拝見しても?」

 〈癒し手〉がフードを取ると、黒髪碧眼の竜族の顔が現れた。見知らぬ顔だったが、どことなく見覚えがあるような気もしないでもない。フィルが息をのんだのがわかった。「どうしたの、フィル?」

「――クローナン王!」

 そう叫んで、慌てて椅子を降り、臣下の礼を取ろうとする彼を、男性がとどめた。
「よい。死者には王も臣下もないだろう。……久しいな、〈ウルムノキアの救世主(セイヴィア)〉、〈()れ谷の鷲獅子(グリフォン)〉、〈剣聖〉フィルバート・スターバウ」リアナよりもはるかに王の威厳に満ちた声がそう言った。
「陛下、でも、あなたはもうお亡くなりになったはずだ……」フィルは幽霊を見たような声だ。
「クローナン王?」リアナはあっけにとられて繰りかえした。「だって……。どういうことなの?」
「リアナ王には、お初にお目にかかる」男性がローブを脱ぐと、軽く会釈をしてみせた。「本来なら、私の即位のときに王太子としてお会いしているはずだったのだが、あなたは行方が分からなかったからね」

 リアナはしげしげと男を見た。
 見覚えがある、と思ったのは、エンガス卿に似ているせいだった。痩せて小柄で、骨ばった貴族的な顔だちと、猛禽のような色の薄い瞳。違うのは髪の色が黒いのと、整えられた顎髭の形くらいだった。それでようやく思いだした。クローナン王は、エンガス卿の弟だったはずだ。

「じゃあ、本当に……?」
 もう何があっても驚かないと何度も思っているが、それでも死んだはずの人間を目にすれば驚く。思わず、〈竜の心臓〉のあるあたりに手を触れた。
「〈隠れ里〉にいたとき、ずっと〈()ばい〉の絆を感じていた。それがある日なくなって、それから村が襲われて、フィルとデイがやってきて……」もちろん、その絆はあの秋の日に切れて、もうどこを探っても見当たらなかった。

「まさか、フロンテラにいたとはね」男性は薄く笑った。「あちこちに人をやって私の王太子を探したが、見つからなかったわけだ。しかも隠していたのがマリウスでは、私を欺くのも容易かったろう」
「じゃあ、あなたも歩くキノコなの?……イニみたいに?」
「そうだ」クローナンに似た男は、術具の入った袋を置いて、中身をサイドテーブルの上に並べだした。「私は死んだ。ここにいるのはその亡霊だよ。クローナンの身体も、記憶も引き継いでいるが、代が変わるごとにそれらは薄れていくだろう」

「その……こういう形で生きている人って、ほかにもたくさんいるの? オンブリアの人が、っていうことだけど」
 リアナは真っ先にそのことが気にかかった。この先、死んだはずの自分の母やら、しまいには竜祖やらが出てきたらと思うと、せめて心の準備くらいしておきたい。

「いいや」術具が触れあう、かちゃかちゃという音がした。
「〈|先住民(エルフ)〉が寄生主に選ぶのは、かなり強い〈竜の心臓〉の持ち主だけで、かつ、本人の同意が得られなければならない。それでなくても長寿な我々が、身体の半分を別の生物に受け渡してまで、さらに長生きしたいと望むかね? しかも、死ぬ時期を選ぶことさえできないのだよ。
 いいや、エリサの娘よ、私が知る限り、この『歩くキノコ』たちはマリウスと私と夏の女王の三人だけだ。女王には会ったかね? あの子は国境沿いで死にかけていた戦争孤児だったそうだよ。
 ……さあ、腕を出しなさい。袖は肘の上まであげて」

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登場人物紹介

リアナ・ゼンデン

本作の主人公。竜騎手(ライダー)にあこがれる平凡な田舎少女だったが、竜たちの王となる運命が待っていた。

すなおで活発、売られたケンカは買うタイプ。

養父の教育もあり、なかなかの政治手腕を見せることも。

デイミオン・エクハリトス(デイ)

フィルに続き里にリアナを迎えに来た竜騎手。彼女の次の王位継承権を持つ。

王国随一の黒竜アーダルの主人(ライダー)。

高慢な野心家で、王位をめぐってリアナと衝突するが……。

群れを率いるアルファメイルで、誇り高く愛情深い男でもある。

フィルバート・スターバウ(フィル)

襲撃された里からリアナを救いだした、オンブリアの元軍人。彼女をつねに守るひそかな誓いを立てている。

ふだんは人あたりよく温厚だが、じつは〈竜殺し〉〈剣聖〉などの二つ名をもつ戦時の英雄。

リアナに対しては過保護なほど甘いものの、秘密をあかさないミステリアスな一面ももつ。

レーデルル(ルル)

リアナが雛から育てた古竜の子ども。竜種は白で、天候を操作する能力をもつ。

グウィナ卿

五公(王国の重要貴族)の一員で、黒竜のライダー。私生活ではデイ・フィルの愛情深い叔母、二児の母。

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