5-1. 睦ぶ ④

文字数 3,025文字

 首を甘く噛まれながらリアナがぼうっとなっていると、デイミオンが「クソッ」と呟いた。暴れまわる竜を抑えるように、〈()ばい〉を制御しようとする力を感じる。でも、不愉快なものではなくて――リアナは笑いだした。
「デイ、あなた、なにを考えてるの?」
「やめろ」
竜球(ヴァーディゴ)のルール? ……それに、酸っぱいワイン、煮過ぎた野菜……」
「やめろと言っている」
 片手で彼女の腰を抱き、もう片方の手で襟ぐりの縁を下に押し下げることに夢中になっていては、低い声も威厳があるとはいいがたい。なおもくすくすと笑っていると、また口づけられ、今度は少しばかり穏やかになった。どうやら、自制心を取り戻すべく嫌いなものをいろいろ頭に思い浮かべていたらしい。そんな男が愛おしくなって、リアナは太い首に腕をまわして引き寄せた。

「……会いたかった」

 ようやく目と目が合う。デイミオンは苦い顔をしている。「会いたかった? 暢気なことを言う。こっちは、おまえの〈()ばい〉で、気が狂いそうだったというのに」
 リアナははっと身を固くした。「ごめんね」

 あの結婚式の夜、デーグルモールの頭領の息子だという男と出会って、自分も彼らの同類かもしれないという不安はほとんど確信に変わった。イオはあまりにも彼女に似ていた。腕にだけ現れる黒い樹の紋様、触ったものを凍りつかせる能力。それがあまりにも恐ろしくて、不安でたまらなくて、リアナは彼に助けを求めたのだった。
 結局、彼が〈()ばい〉に応えなかったのには、それなりの理由があった。それがわかって心底、ほっとする。
 でも、そのことにはいまは、触れたくない。こんなふうに、デイミオンの腕のなかで安心していられるときには。

「ずっとこうしたかった」
 彼女の好きな低い声が、耳の近くでかすれて聞こえた。「会議中も……」
「そんなふうには見えなかったわ」
 リアナは笑い、デイミオンもつられたように笑った。それで少し気が紛れたのか、ため息をついて彼女を抱きおろし、乱れた髪を撫でつけてやる。

「種明かしをしようか」
「うん」

「エサル卿は、エンガス卿と手を組んでいる」デイミオンは声を低めた。
「〈()ばい〉に応えなかった理由はそれだ。エサルを含め、五公たちは〈()ばい〉のやりとりに練熟しているからな。お互いの距離が離れていて、強い声を送ると、それは読み取られるおそれがあったんだ」
 リアナはすこし恥ずかしくなった。自分自身、そういう可能性を考えて彼に情報を送らなかったりしていたのに、彼のほうでも同じことを考えているとは思わなかったわけだから。言いわけになるが、あのときにはとても切羽詰まっていたし、それくらい彼の助けを必要としていたのだ。
「〈()ばい〉のことは、わかったけど……でも、どういうこと?」
「エンガスの一派は早期開戦をもくろんでいる。エサルも仲間の一人だ」

 リアナは眉をひそめた。「戦地になるからこそ、もし戦争が避けられないなら、短期決戦で、徹底的に相手を潰したほうがいい」
「そうだ。イティージエン戦役のようにな。あのとき、エリサ王が指揮を執らなければ、ケイエはこれほど早く復興できなかっただろう」

 なるほど、それがエサルの考えか……。
 理屈としては、わからないでもない。ただ、王佐という立場にありながら、陰でエンガスと通じていたことは大いに問題がある。そう言うと、デイミオンもうなずいた。
「事実上、エンガス派などというものはもう存在しない。その茶番に、エンガス自身が一番早く気がついて、味方の確保に動いたんだ」
「どういうこと?」
「つまり……おまえの背後にはメドロート公がいて、王佐にエサルを指名している。これでまず二票。グウィナは政策的にも心情的にもおまえ寄りだし、中立とは言えない。さらに、私とおまえのあいだにも、これという利害がない」
 そうだったかしら、とリアナは思った。なんとなく、デイミオンとのあいだにはずっと利害関係があったような気がしていたのだが。
 デイミオンが咳ばらいのような音をたてた。ちょっとくだけた口調になる。
「……つまり、俺がおまえを蹴落としてでも王位につきたいという強い動機さえなければ、という意味だ。もともと政策的にはさほど離れていないしな。俺も、開戦には反対だ」
「それが聞けてよかった」
 会談中の、あの好戦的な態度――あれが演技だということはわかっていたが、あまりにも「黒竜大公らしい」ので、心配になってしまったのだ。

「疑っていたのか? ひどいやつだな」
 口元を緩めるデイミオンを見て、どれほど彼のことが恋しかったかを思い知らされた。皮肉気な口調や低い声。問題への取り組み方。彼といると、どんなときも希望を失わないでいられること。そこが一番好きだ。

「それから……、繁殖期(シーズン)の務めは保留する。エクハリトス家にもそう伝えた。ほかにどういうやり方があるのか、今はまだわからないが……」
 リアナは黙ってしまった。エンガス卿の陰謀のこととは違い、どう受けとめていいのかわからなかったからだ。繁殖期(シーズン)の務めをやめ、リアナとだけ関係を持つとすれば、彼が子どもを持てる確率はそれだけ低くなる。そのうえ、自分は……。
 彼女を苦しめないためにデイミオンが最大限譲歩してくれているのだということが、よくわかった。ここ数か月で初めて、胸のなかの硬い結び目が緩んだような気がした。けれど、押し込めてきた不安が溢れだしそうになるのは止められなかった。自分のためだけじゃなく、彼のために、言わなければ。

「あなたに言っていないことがあるの」

 彼の首すじに顔をうずめていると、あの廃城にとらわれたときのことを思い出した。〈()ばい〉の絆がぴりっと緊張するのがわかる。

「デイミオン、わたし……」
 ――わたしは、恐ろしいゾンビかもしれないの。
 ――かれらと同じ紋様が、腕に浮き出るの。そして、ものを凍らせてしまう。
 ――もしそうだとしたら、もう竜たちの王ではいられない。それに、それに、あなたの繁殖期(シーズン)の相手にもなれない。今年だけじゃなく、永遠に。

 それを彼に言うのは、本当に、気持ちがくじけそうだった。

 あふれる涙で目が溶けそうになりながら、なんとか声を出そうと努める。彼女を抱く腕の力がぐっと強まって、〈()ばい〉のなかで火の粉のような強い怒りがはじけた。それは、デイミオンの炎だ。煮えたぎり、焼き尽くす怒りの炎。でも、いまはそれが必要だと思った。リアナのなかには溶けない氷がある。

「……言うな」
 ふつふつと沸き立つ湯のような声で、デイミオンが言った。「言う必要はない」

 青年はリアナの顔を両手ではさんだ。「おまえがいなければ、私の人生はもっと単純なものだっただろう。竜騎手として、竜族の男として、務めを果たすことだけを考えていればよかった。世界は白と黒、昼と夜であり、その二つが混じることはなく、自分の手に余るものを欲しがったりはしなかった」

 そして、額にキスしながら言った。
「これからもおまえと私の間には利害がおよび、廷臣たちの忠誠や裏切りのゲームで引き裂かれ、本心を告げることもできず……」
 頬に、顎に、まぶたに、軽く触れるだけの唇が下りていく。「いずれは国を守るために遠く離れて戦い、〈()ばい〉は血と殺戮(さつりく)に苦しむ心だけをわかちあうのかもしれない」最後に、身体を引いて彼女の顔をのぞきこんだ。

「だから、共に生きてくれとはまだ言えない。……それでも、いまは一緒にいよう。
 ――愛している」



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登場人物紹介

リアナ・ゼンデン

本作の主人公。竜騎手(ライダー)にあこがれる平凡な田舎少女だったが、竜たちの王となる運命が待っていた。

すなおで活発、売られたケンカは買うタイプ。

養父の教育もあり、なかなかの政治手腕を見せることも。

デイミオン・エクハリトス(デイ)

フィルに続き里にリアナを迎えに来た竜騎手。彼女の次の王位継承権を持つ。

王国随一の黒竜アーダルの主人(ライダー)。

高慢な野心家で、王位をめぐってリアナと衝突するが……。

群れを率いるアルファメイルで、誇り高く愛情深い男でもある。

フィルバート・スターバウ(フィル)

襲撃された里からリアナを救いだした、オンブリアの元軍人。彼女をつねに守るひそかな誓いを立てている。

ふだんは人あたりよく温厚だが、じつは〈竜殺し〉〈剣聖〉などの二つ名をもつ戦時の英雄。

リアナに対しては過保護なほど甘いものの、秘密をあかさないミステリアスな一面ももつ。

レーデルル(ルル)

リアナが雛から育てた古竜の子ども。竜種は白で、天候を操作する能力をもつ。

グウィナ卿

五公(王国の重要貴族)の一員で、黒竜のライダー。私生活ではデイ・フィルの愛情深い叔母、二児の母。

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