7-3. 失望と、デイミオンの抱擁 ①

文字数 2,700文字

 その場に残された唯一のデーグルモールは、ゆっくりと死につつあった。

 遠目でも、なにか得体のしれない不気味さが感じられた。黒竜とその主人の近くで見たときから違和感があったが、戦闘を終えてみると、異様がはっきりした。
 身体は膨張している。肉ではなく、空気でも詰まっているかのようだ。巨大に見えたのは、何本も受けた矢のせいばかりではないということだ。

「殿下、お近づきになってはいけません」ハダルクが警告した。
「デーグルモールは死人であって不死人です。頭を落として、心臓を貫かなければ、いつまでも動き続ける……失礼を」
 抜身の剣を下げたハダルクが、ゆっくりと近づいていくのをリアナは見守った。
(デーグルモール?……でも、普通じゃない)
 普通の兵士じゃない、と思った。
(仮面をつけていないし――服も着ていない)
 普段は隠されている服の下も、すべて刺青で覆われていた。まるで、身体のなかに種があり、そこから邪悪な樹木(じゅもく)が枝を張って(ツル)をのばしているようだ。リアナは自分の腕を確かめずにはいられない。黒い紋様は消えていた。ほっとしていいのかどうかわからない。自分は混乱しすぎているのかもしれない。

 彼女は一歩、怪物に近づいた。ハダルクが手でとどめ、剣を構えた。
「殿下」
「待って!」
「情けは――」
「違うの、ハダルク、これは、この人はもしかして――」
「デーグルモールは

じゃありません」

「わ・たし・は・・ちが・う」
 

ははじめて声をあげた。断末魔、というには、いくらか奇妙な声だった。口ではない器官から、無理やり声を発しているかのような。

「白竜の……おん(きみ)

 膨張(ぼうちょう)した身体が、片側にかしぐ。竜騎手の一人から、「ひっ」という押し殺した悲鳴がもれた。

 かれらに直視できなかったとしても、リアナは

をじっと見つめた。毛髪が抜け落ち、血管が浮きあがり、眼球が()れあがってはいるが、たしかにもとは人間――あるいは、竜族であった名残がある。

「わたしは、ゼンデン家のエリサの娘リアナ。オンブリアの今の王よ」
 リアナは毅然(きぜん)とした声を作った。
「あなたの王の命令に答えなさい。名は?」
「アナ……アエル」
 たしかに、竜族の名だ、とリアナは思った。「質問は三つよ。デーグルモールは子どもたちをどこに連れ去っているの? ケイエへの侵入経路は? あなたはなぜそのような姿になったの? 答えなさい、アナアエル」

 むき出しの眼球が、独立した生き物のようにはげしく動いた。ごきっ、ぎぎっ、と化け物じみた音がする。身体の内部で、骨が折れて組み替えられているかのような音だ。数秒の沈黙は、なんとか理性をかき集めようというアナアエルの(こころ)みだったらしい。

「一つ目は、わからない」と悲しげに答えた。

「彼ら・・には、都がある。竜族の国・では・ない……不死者・たちの……都が。だが、そこには行っていない」
 びちゃっ。さばいた肉を床に落としたような音がする。
「王よ、わたしがこのような・あさましい・姿になったのは……今しがた」

 ごぷっ。喉から漏れ出る音で、会話が途切れた。が、アナアエルは必死に続ける。

「このケイエで、〈竜族の心臓〉を・移植(うつ)され・いまわたしは・『変容(へんよう)』している」

「『変容』」リアナはあえぎながらくり返した。

へ?」

 もはや竜族としての原型を失いつつある

は、うなずきととれる沈黙を返した。少なくとも、リアナにはそう読みとれるものを。

「わたしが……やつらを、ケイエに。……王よ、二つ目と・三つめの・答えは・同じ」
「続けて」
「妻が・殺され・息子が・連れ去られ……わたし、は・兵士・だっ・た」

「ケイエの国境警備兵か」ハダルクが問うた。苦し気に息を吐く怪物に向かって、さらに確認する。
「子どもを人質にされたのだな? そして、ケイエにやつらを引き入れたのか」

 

は沈黙で答えた。
「『変容』が……王よ、『変容』が()ると……」悲痛な声が途ぎれがちになる。「いま……殺して……」
「限界か」ハダルクがつぶやき、剣先をあげた。
「殿下、彼は同胞を裏切った大罪人です。本来なら処刑のご指示を頂くべきですが……ことを急ぎますので」

「待って! まだよ!」リアナが叫んだ。罪人を裁くよりも大切なことが、いまは山ほどあるのだ。体面に構ってはいられない。

「デーグルモールは何人いるの? やつらの頭領(リーダー)はだれ? 『変容』はいつ、どうやってはじまるの? なんでもいいわ! なにか答えて!」
 かつて竜族だった生物は、腐った沼のような音を立ててくずおれた。脈打つような動きがおさまり、肥大化していた身体が目の前でだんだんしぼんでいく。しかし、その姿はデーグルモールのようではなく、身体を覆うまがまがしい刺青は消えかかっていた。

「これは……」ハダルクが言った。「そうか、『変容』が失敗したのか」
「えっ?」
「聞いたことがあります。デーグルモールになるための『変容』は、肉体の保持者に大きな負担をかけると。その負荷に耐えたものだけが、デーグルモールとして生き返ると」
「そんな……」
「ですが、そのほうが良かったのです。この手で同胞(どうほう)を斬らねばならないところだったのですから」
 リアナはハダルクの制止を振りはらって、男に駆けよる。
「死んではだめ!」不気味な肉塊(にくかい)にためらいなく手をかけ、揺さぶった。「あなたの子どもを助けに行くのよ!」

 

(つぶや)いた。
身体(からだ)が燃えていく」

「どうしてなの……!」
 リアナの手の先で、肉塊は急激に発熱していった。眼球が熱で白くにごり、肉が固く黒く変色していく。肉の熱された嫌な匂いが鼻につき、触れた指が驚くほど熱い。それでもリアナはかまわずに呼びかけ続けた。
「死なないで!」

「王よ、王よ、これが地獄の火なのですか? ……とても熱い」

 兵士の声は奇妙に平坦で、まるでデーグルモールになりかけていたのが嘘のように、ごくふつうの声のように聞こえた。

(こんな光景を、二度と見ないためにここまで来たのに……!!)

 リアナは無力感と生理的な嫌悪をおさえ、力をふりしぼって、凍る力をもう一度起こそうとした。死の間際に、男の身体が灼熱を感じずにすむようにと祈る。いまの自分には、それしかできることがない。

 どんな理由でかはわからないが、その祈りは聞きとげられ、周囲に冷気が満ちていった。男は最期に、安堵(あんど)のため息を漏らした。
 ぱきぱきという音とともに、冷気が湯気のように立ちのぼり、しぼみかけた身体が黒く変色していた。それが、かつてはケイエの守護兵士だった男の最期だった。

 リアナはこみあげる嗚咽(おえつ)を止めることもできず、ただ、手負いの獣のようにその場にうずくまっていた。
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登場人物紹介

リアナ・ゼンデン

本作の主人公。竜騎手(ライダー)にあこがれる平凡な田舎少女だったが、竜たちの王となる運命が待っていた。

すなおで活発、売られたケンカは買うタイプ。

養父の教育もあり、なかなかの政治手腕を見せることも。

デイミオン・エクハリトス(デイ)

フィルに続き里にリアナを迎えに来た竜騎手。彼女の次の王位継承権を持つ。

王国随一の黒竜アーダルの主人(ライダー)。

高慢な野心家で、王位をめぐってリアナと衝突するが……。

群れを率いるアルファメイルで、誇り高く愛情深い男でもある。

フィルバート・スターバウ(フィル)

襲撃された里からリアナを救いだした、オンブリアの元軍人。彼女をつねに守るひそかな誓いを立てている。

ふだんは人あたりよく温厚だが、じつは〈竜殺し〉〈剣聖〉などの二つ名をもつ戦時の英雄。

リアナに対しては過保護なほど甘いものの、秘密をあかさないミステリアスな一面ももつ。

レーデルル(ルル)

リアナが雛から育てた古竜の子ども。竜種は白で、天候を操作する能力をもつ。

グウィナ卿

五公(王国の重要貴族)の一員で、黒竜のライダー。私生活ではデイ・フィルの愛情深い叔母、二児の母。

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