おまけ4 蟹と冬至節 ②
文字数 1,494文字
テオは用心して部屋の隅まで移動し、視界にかつての上官と竜王とがおさまる位置に陣取って、大きく息をついた。任務外でテオがあの少女の世話をやいたりすると、フィルバート卿のご機嫌がぜんぜんよろしくないのであった。今日の目つきはまだ「いいからあっちへ行け、リアナの世話は俺がする」くらいの強さだったのでまだよかった。このあいだ、デイミオン卿が浮気(っぽい外出)をしようとした件では、よけいな口を挟むと思われたらしく、「おまえの関節をはずして、雨の日が感知できるようにしようかな」という目で見られたので、テオは心底恐ろしかった。リアナはたぶん理解してくれないと思うが、あの男こそまさにハートレスの名に恥じない冷酷さなのだ。……
……
まあいいや、蟹くおうっと。
テオはリアナに渡しそびれた蟹をほおばり、殻をバケツに放り投げた。蟹の汁がついた手を拭おうとしたが、手拭き用のナプキンがない。
こういうとき、なにで拭くんだったかな? テオは首をかしげた。自分の袖でないのは間違いないのだが。テーブルクロスの、あの端のほうで拭いていいかな?
いまひとつマナーに自信が持てないでいると、ふと呼びとめられた。
「もし。そこのお方」
「はい?」
ふりかえると、きわめて美しい銀髪の女性が、ナプキンを手にたたずんでいた。「あ、どうも、すんません」テオは礼を言って手を拭った。
女性……だよな?
テオが観察するに、「玉の輿に乗れそうな好色そうなジジイを物色する没落貴族の令嬢」みたいな感じであった。しかし、竜族の容姿はやや中性的に寄りがちではあり、女顔の男かもしれない。背はまずまず高く、声も低い。……っていうか、ルクヴァ着てるから、男だな。
「来シーズンのお相手は、もうお決まりか?」
「えっ」貴族になりきっているとはいえ、いきなり生殖の話をされて、テオは面食らった。「いえ、まだですけど」
というか、ハートレスだから、シーズン自体に参加してないけど。
美人はそれを聞いてうなずき、立て板に水式にまくしたてはじめた。
「私はテキエリス家のロギオンと申すものだが、私には妹が一人いるのだが、これが大柄で容色はいまひとつなのだが気立てのいい娘で、健康で病気ひとつしたこともなく、本をよく読むから博識だし、性格も温厚で、料理はあまり得意ではないが出てきたメニューは残さず食べ」
「ちょっ……ちょっと待ってくださいよ」
どうやらシーズンの相手にすすめられているらしい。そんなことを言われても困るので、テオは大げさに手をふってみせた。「申し訳ないですけど、今季は新しいお相手は探してませんので」
お決まりの断り文句に、美しい男は失望の色を浮かべた。
「そうか……たいへん失礼したな」そう言うと、美人は背中に哀愁を漂わせながら去っていった。
貴族っつうのも大変だなあ。俺、ハートレスでよかったなあ。
テオはそう思った。そしてそれきり、その兄妹のことはしばらく忘れていたのであった。
ⅲ. パイ包みシチュー
夜の執務室に、少女と青年の声が交互に響く。
「タマリスでの荷運び竜 使用税の増税の可否」
「不可」
「御座所より支度金増額の請願」
「条件付き可」
「三件の神殿から免税に関する嘆願書」
「形式的なものだ。可」
竜王リアナが書面を読みあげ、王太子デイミオンが可否の判断をする。それをリアナが書面に記し、玉璽を捺す。その繰り返しが、えんえんと続けられていた。執務机できまじめに書面を読むリアナと逆に、青年大公は休憩用の椅子に座って温かいシチューを口に運び、その合間に短く返答していた。
なぜこんなことになったのかといえば、やはり、蟹なのだった。
……
まあいいや、蟹くおうっと。
テオはリアナに渡しそびれた蟹をほおばり、殻をバケツに放り投げた。蟹の汁がついた手を拭おうとしたが、手拭き用のナプキンがない。
こういうとき、なにで拭くんだったかな? テオは首をかしげた。自分の袖でないのは間違いないのだが。テーブルクロスの、あの端のほうで拭いていいかな?
いまひとつマナーに自信が持てないでいると、ふと呼びとめられた。
「もし。そこのお方」
「はい?」
ふりかえると、きわめて美しい銀髪の女性が、ナプキンを手にたたずんでいた。「あ、どうも、すんません」テオは礼を言って手を拭った。
女性……だよな?
テオが観察するに、「玉の輿に乗れそうな好色そうなジジイを物色する没落貴族の令嬢」みたいな感じであった。しかし、竜族の容姿はやや中性的に寄りがちではあり、女顔の男かもしれない。背はまずまず高く、声も低い。……っていうか、ルクヴァ着てるから、男だな。
「来シーズンのお相手は、もうお決まりか?」
「えっ」貴族になりきっているとはいえ、いきなり生殖の話をされて、テオは面食らった。「いえ、まだですけど」
というか、ハートレスだから、シーズン自体に参加してないけど。
美人はそれを聞いてうなずき、立て板に水式にまくしたてはじめた。
「私はテキエリス家のロギオンと申すものだが、私には妹が一人いるのだが、これが大柄で容色はいまひとつなのだが気立てのいい娘で、健康で病気ひとつしたこともなく、本をよく読むから博識だし、性格も温厚で、料理はあまり得意ではないが出てきたメニューは残さず食べ」
「ちょっ……ちょっと待ってくださいよ」
どうやらシーズンの相手にすすめられているらしい。そんなことを言われても困るので、テオは大げさに手をふってみせた。「申し訳ないですけど、今季は新しいお相手は探してませんので」
お決まりの断り文句に、美しい男は失望の色を浮かべた。
「そうか……たいへん失礼したな」そう言うと、美人は背中に哀愁を漂わせながら去っていった。
貴族っつうのも大変だなあ。俺、ハートレスでよかったなあ。
テオはそう思った。そしてそれきり、その兄妹のことはしばらく忘れていたのであった。
ⅲ. パイ包みシチュー
夜の執務室に、少女と青年の声が交互に響く。
「タマリスでの
「不可」
「御座所より支度金増額の請願」
「条件付き可」
「三件の神殿から免税に関する嘆願書」
「形式的なものだ。可」
竜王リアナが書面を読みあげ、王太子デイミオンが可否の判断をする。それをリアナが書面に記し、玉璽を捺す。その繰り返しが、えんえんと続けられていた。執務机できまじめに書面を読むリアナと逆に、青年大公は休憩用の椅子に座って温かいシチューを口に運び、その合間に短く返答していた。
なぜこんなことになったのかといえば、やはり、蟹なのだった。