1-3. フィルと魚釣り ②
文字数 3,630文字
釣った魚と荷物を抱えて、二人は簡素な釣り小屋に入った。聞けば、このあたりは先代のスターバウ家当主から彼が相続した土地で、小屋もフィルが少年時代に建てたのだという。リアナは首をあげて、驚きをもって見まわした。中心から五歩も歩けば四方の壁に触れるほどの広さしかないが、屋根も窓もある。あらゆるものが兼用なのだとフィルは笑って説明した。オーブン兼用の暖炉。作業台兼用のテーブル。ソファ兼用のベッド。
「素敵な秘密基地ね! あなたひとりで?」
「まさか」
フィルはさっそく魚の調理にかかっていた。
「スターバウの先代当主……俺の養父だった人ですけど、変わった人で」
手際よくさばきながら言う。「貴族といえども、身のまわりのことは全部一人でできるべきだ、って言うのが持論でした」
「全部?」
「そう、すべて全部。……なみのアウトドアじゃないんですよ。剣術なら鍛冶場で剣を鍛えるところから、衣服なら布を織るところから。で、料理なら魚釣りから、魚釣りなら小屋を建てるところからってわけです。
そういう技術は誰にでも必要なんだと言っていました。貴族・平民、年齢の別は問わず、男でも女でも、竜族でも人間でも」
「〈ハートレス〉でも」
「〈ハートレス〉でも」フィルはくり返した。
「木を切って小屋を建てるなんて、子どもにしたら最高でしょう? 毎日、大喜びで彼についていきましたよ。子どもだから欲ばって広くしようとしたり、変わった組み方をしようとして失敗してね。で、だんだん現実的になっていくというわけ」
リアナは笑った。
「想像がつくわ」
穏やかで人当たりのいいフィルだが、子どものころにはやんちゃをしていたというのも、それはそれでなんだか彼に合っている気がする。そして、剣術以外のこともなんでもできる、というのが、彼の育ちに関係しているのも納得だった。
少しだけ、自分との共通点を見つけたような気がする。
「あなたも親もとを離れて暮らしていたのね? わたしと同じように?」
「ええ」
フィルが下ごしらえを済ませたマスを抱えて、簡易オーブンに入れる。リアナは芋や野菜をそのまわりに並べた。
「でも、どうして? ご両親がいたはずでしょ? デイと同じ……」
「生まれたときにはね」
「どうしてなの?」
「想像がつきませんか?」
「〈ハートレス〉だからなの?」
見あげると、青年は微笑みと肩をすくめるしぐさで応えた。
「……そんなのおかしいわ!」リアナは立ちあがった。
「竜の声が聞こえなかったら、家族と一緒に暮らせないの? たったそれだけのことで、人生を決められてしまうの!?」
「でも、それがこの国だ」フィルが言う。
「あなたは〈乗り手 〉で、古竜を自在にあやつる名家の出身で、王に選ばれた……望むと望まざるとにかかわらず。この国では竜との関係が社会の階層を決める」
座ったままのフィルが穏やかに椅子を示したので、リアナはしぶしぶ座った。
そのまま、二人はしばらく黙って料理をつづけた。昼食用に持ってきたフラットブレッドややわらかなチーズを揚げたものを同じオーブンで軽く温める。ハムや固いチーズを切っておく。持参の白ワインは濡らした布を巻き、リアナが竜術で冷やした。
「……思うんですが……」
料理がそろそろできあがるという段になって、フィルが何げなく続きを語りはじめた。
「もし俺が〈乗り手 〉の能力を持って生まれていたら、俺はいまの自分とはまったく違っていたかもしれません。領主の息子で、ライダーで、竜騎手を目指したかもしれない」
「デイミオンみたいに?」
「デイミオンみたいに」フィルはまた繰りかえす。
「俺たちは同じ母親から生まれたのに、一人は〈乗り手 〉、一人は〈ハートレス〉だった。だから、これまではまったく違う道を選んで歩いてきた。違う景色を見て、違うものを信じて戦ってきた……それでよかった。距離はあったけれどそれなりに仲もよかったし、ときには協力しあうことだってあった。
――同じ一つのものを欲しがるなんて、想像したこともなかったな」
「フィル、」今の言葉には、なにか含みを感じる気がする。
「……もし自分にも〈乗り手 〉の能力があったらと、思ったことがないと言えば嘘になるけれど、それはもう俺ではないような気もするんです。強がりに聞こえる?」
どこか甘い声がおもしろそうに問う。リアナはまじめに首を振った。
「……いいえ、フィル。あなたはあなただわ」
「……ありがとう」
そのあとは、もう重い話にはならなかった。炎がぱちぱちと爆 ぜ、薪がやわらかく崩れる音だけがする静かな小屋で、食事を終えたふたりは子どものころの思い出話をした。リアナは、ライダーになりたくて村の若衆 についてまわっていたことや、畑を荒らすノウサギを六匹も続けて仕留めた武勇伝を話した。フィルは釣りの話をした。
「秋になるとウナギ用の仕掛けを作ってね、昼のあいだに河底に設置するんだけど……雨が降って河が濁ったりすると、よく獲れるんです。メスを仕掛けに誘いこむのに、いろんな餌をためしてみたりしてね」
「ふーん、メスを?」
含みのある目で見ると、フィルは首をすくめた。
「オスにはあんまり価値がないんですよ。小さくて弱いし」
「料理はどこで覚えたの?」
「自己流ですよ。戦時中、毎日毎日、革靴みたいな乾燥肉と携帯パンばっかり食べていて、本当につらくてね。その頃、これが終わったら二度と乾燥肉は食べないと決めたんです」
「だから、温かいシチューが好きなのね。コールドスープは好きじゃない……」リアナは微笑んだ。
「見ていたんですか」
フィルは好き嫌いを表に出すことはめったにないが、一緒に食事をするときに、コールドスープの皿を前に情けない顔をするのを見たことがあったのだ。でも、そんな彼に気がついていたのは自分一人ではないかと思う。
「戦争中のこと……いつか話してくれるって言ったわ」
洗い物を終えたふたりは、暖炉の前に移動した。物入れを兼ねた固い椅子にフィルが座り、リアナは床のラグの上に座った。そして、彼を見あげる形になる。
フィルは目をふせた。
「面白い話じゃないですよ。雨と泥と塹壕 とネズミと。その繰りかえしです。詩人が歌っているような勇ましい場面なんて、全然ありません」
「でも、それがあなたの戦争なら……知りたいの、フィル。過去は関係ないと人は言うけど、わたしもそう思うけど……、でもときどき、あなたを遠く感じる。繁殖期 のことだけじゃないのよ。なにか重いものを背負っていて、それを人に見せないようにしている。
あなたは国を救った英雄なのに、誰にも助けてもらえないの? 誰かに荷物をわたして、楽になることはできないの? ほんの一時 でも?」
「俺の荷物を、あなたが持ってくれる?」
フィルは少しばかり皮肉げに聞いた。「どれほど重いかもわからないのに?」
「……ほら、やっぱり壁がある」リアナはほのかに笑った。優しげに見えて、秘密がある。それが、彼女の知るフィルバートだ。
「でも、わたしだってあなたの荷物を持てるわ、フィル。王様業だって一生懸命やるつもりだけど、でも、腕は二本あるのよ」
あまり寝ていないのと、よく動いたあとで食事をしたせいで、リアナは眠気を感じてきた。床板の上にじかに座り、ソファに頭をつけてうとうとしはじめる。
「あなたが苦しんでいるのは、デイミオンのせい?」フィルがそっと尋ねた。「彼を愛しているから?」
「……うん」リアナは目を閉じて答えた。
フィルの指が、彼女の髪にわずかに触れた。乱れた毛の筋を整えるだけのような動きだった。
「デイが好きよ。だから、彼がほかの女の子と寝ていると傷つく。眠れないの。夜――彼がベッドでやっていること――、わかるの。最低の気分」
「〈呼 ばい〉があるから?」
「ええ。……こんなもの、なければいいのにって毎日思ってる。せめて、相手がデイじゃなければって。でも、好きになる相手は選べないのね」
「そうだね」
フィルはソファに座ったまま、リアナの髪にだけ手を触れている。眠気のなか、もっと強く触れてくれればいいのにとリアナは思った。デイミオンの熱のせいで、自分までおかしな浮かされかたをしているのかもしれない。しっかりと抱きしめて、大丈夫ですよと甘やかしてほしい。だが、自分でも子どもっぽい望みなのはわかっているので、口に出せなかった。自分だけではなく、フィルもまた、繁殖期 のなかで辛い思いをしているかもしれないのだから。
「フィルは好きな人はいる? こういうこと聞かれるのはいや?」
「いいえ。これは後ろの質問について。最初の質問は、そうだな、いますよ」フィルは面白がっているような口調で言った。「……もう眠ってしまいそうなのに、俺の恋愛話が気になるの?」
「もちろんだわ。……どんな人?」
触れるか触れないかの指の感触と、思ったより近くで聞こえる甘い声が心地よい。
「俺が好きなひとは……」
その続きを聞くことなく、リアナは短い眠りに落ちた。
「素敵な秘密基地ね! あなたひとりで?」
「まさか」
フィルはさっそく魚の調理にかかっていた。
「スターバウの先代当主……俺の養父だった人ですけど、変わった人で」
手際よくさばきながら言う。「貴族といえども、身のまわりのことは全部一人でできるべきだ、って言うのが持論でした」
「全部?」
「そう、すべて全部。……なみのアウトドアじゃないんですよ。剣術なら鍛冶場で剣を鍛えるところから、衣服なら布を織るところから。で、料理なら魚釣りから、魚釣りなら小屋を建てるところからってわけです。
そういう技術は誰にでも必要なんだと言っていました。貴族・平民、年齢の別は問わず、男でも女でも、竜族でも人間でも」
「〈ハートレス〉でも」
「〈ハートレス〉でも」フィルはくり返した。
「木を切って小屋を建てるなんて、子どもにしたら最高でしょう? 毎日、大喜びで彼についていきましたよ。子どもだから欲ばって広くしようとしたり、変わった組み方をしようとして失敗してね。で、だんだん現実的になっていくというわけ」
リアナは笑った。
「想像がつくわ」
穏やかで人当たりのいいフィルだが、子どものころにはやんちゃをしていたというのも、それはそれでなんだか彼に合っている気がする。そして、剣術以外のこともなんでもできる、というのが、彼の育ちに関係しているのも納得だった。
少しだけ、自分との共通点を見つけたような気がする。
「あなたも親もとを離れて暮らしていたのね? わたしと同じように?」
「ええ」
フィルが下ごしらえを済ませたマスを抱えて、簡易オーブンに入れる。リアナは芋や野菜をそのまわりに並べた。
「でも、どうして? ご両親がいたはずでしょ? デイと同じ……」
「生まれたときにはね」
「どうしてなの?」
「想像がつきませんか?」
「〈ハートレス〉だからなの?」
見あげると、青年は微笑みと肩をすくめるしぐさで応えた。
「……そんなのおかしいわ!」リアナは立ちあがった。
「竜の声が聞こえなかったら、家族と一緒に暮らせないの? たったそれだけのことで、人生を決められてしまうの!?」
「でも、それがこの国だ」フィルが言う。
「あなたは〈
座ったままのフィルが穏やかに椅子を示したので、リアナはしぶしぶ座った。
そのまま、二人はしばらく黙って料理をつづけた。昼食用に持ってきたフラットブレッドややわらかなチーズを揚げたものを同じオーブンで軽く温める。ハムや固いチーズを切っておく。持参の白ワインは濡らした布を巻き、リアナが竜術で冷やした。
「……思うんですが……」
料理がそろそろできあがるという段になって、フィルが何げなく続きを語りはじめた。
「もし俺が〈
「デイミオンみたいに?」
「デイミオンみたいに」フィルはまた繰りかえす。
「俺たちは同じ母親から生まれたのに、一人は〈
――同じ一つのものを欲しがるなんて、想像したこともなかったな」
「フィル、」今の言葉には、なにか含みを感じる気がする。
「……もし自分にも〈
どこか甘い声がおもしろそうに問う。リアナはまじめに首を振った。
「……いいえ、フィル。あなたはあなただわ」
「……ありがとう」
そのあとは、もう重い話にはならなかった。炎がぱちぱちと
「秋になるとウナギ用の仕掛けを作ってね、昼のあいだに河底に設置するんだけど……雨が降って河が濁ったりすると、よく獲れるんです。メスを仕掛けに誘いこむのに、いろんな餌をためしてみたりしてね」
「ふーん、メスを?」
含みのある目で見ると、フィルは首をすくめた。
「オスにはあんまり価値がないんですよ。小さくて弱いし」
「料理はどこで覚えたの?」
「自己流ですよ。戦時中、毎日毎日、革靴みたいな乾燥肉と携帯パンばっかり食べていて、本当につらくてね。その頃、これが終わったら二度と乾燥肉は食べないと決めたんです」
「だから、温かいシチューが好きなのね。コールドスープは好きじゃない……」リアナは微笑んだ。
「見ていたんですか」
フィルは好き嫌いを表に出すことはめったにないが、一緒に食事をするときに、コールドスープの皿を前に情けない顔をするのを見たことがあったのだ。でも、そんな彼に気がついていたのは自分一人ではないかと思う。
「戦争中のこと……いつか話してくれるって言ったわ」
洗い物を終えたふたりは、暖炉の前に移動した。物入れを兼ねた固い椅子にフィルが座り、リアナは床のラグの上に座った。そして、彼を見あげる形になる。
フィルは目をふせた。
「面白い話じゃないですよ。雨と泥と
「でも、それがあなたの戦争なら……知りたいの、フィル。過去は関係ないと人は言うけど、わたしもそう思うけど……、でもときどき、あなたを遠く感じる。
あなたは国を救った英雄なのに、誰にも助けてもらえないの? 誰かに荷物をわたして、楽になることはできないの? ほんの
「俺の荷物を、あなたが持ってくれる?」
フィルは少しばかり皮肉げに聞いた。「どれほど重いかもわからないのに?」
「……ほら、やっぱり壁がある」リアナはほのかに笑った。優しげに見えて、秘密がある。それが、彼女の知るフィルバートだ。
「でも、わたしだってあなたの荷物を持てるわ、フィル。王様業だって一生懸命やるつもりだけど、でも、腕は二本あるのよ」
あまり寝ていないのと、よく動いたあとで食事をしたせいで、リアナは眠気を感じてきた。床板の上にじかに座り、ソファに頭をつけてうとうとしはじめる。
「あなたが苦しんでいるのは、デイミオンのせい?」フィルがそっと尋ねた。「彼を愛しているから?」
「……うん」リアナは目を閉じて答えた。
フィルの指が、彼女の髪にわずかに触れた。乱れた毛の筋を整えるだけのような動きだった。
「デイが好きよ。だから、彼がほかの女の子と寝ていると傷つく。眠れないの。夜――彼がベッドでやっていること――、わかるの。最低の気分」
「〈
「ええ。……こんなもの、なければいいのにって毎日思ってる。せめて、相手がデイじゃなければって。でも、好きになる相手は選べないのね」
「そうだね」
フィルはソファに座ったまま、リアナの髪にだけ手を触れている。眠気のなか、もっと強く触れてくれればいいのにとリアナは思った。デイミオンの熱のせいで、自分までおかしな浮かされかたをしているのかもしれない。しっかりと抱きしめて、大丈夫ですよと甘やかしてほしい。だが、自分でも子どもっぽい望みなのはわかっているので、口に出せなかった。自分だけではなく、フィルもまた、
「フィルは好きな人はいる? こういうこと聞かれるのはいや?」
「いいえ。これは後ろの質問について。最初の質問は、そうだな、いますよ」フィルは面白がっているような口調で言った。「……もう眠ってしまいそうなのに、俺の恋愛話が気になるの?」
「もちろんだわ。……どんな人?」
触れるか触れないかの指の感触と、思ったより近くで聞こえる甘い声が心地よい。
「俺が好きなひとは……」
その続きを聞くことなく、リアナは短い眠りに落ちた。