3-1. 人間の国、イーゼンテルレ ②
文字数 1,682文字
地面に降りたとたんにけろりと空酔いが治ったらしいファニーは、街を見てまわりたいと言いだした。リアナも賛成だが、エサルは渋い顔をした。
「あんたがたが小指の先でも切ってみろ、黒竜大公にどやされるのは俺なんだぞ」
と、子どもたちを小川に連れていく教師のようなことを言う。
「そんなこと言って、自分たちだけだったら単騎で出ていくくせに」と、リアナ。
「そうだそうだ」と、ファニー。
「王として、他国の文化風俗を視察することは大事だと思うのよね」
「未来の大神官も同じく」
やいやいと言いつのる少年と少女に根負けして、エサルが手を振った。「わかったわかった」
「エサル卿!」ハダルクがとがめる。
「暗殺を警戒するなら、相手の思惑と違う行動を取るほうがいい。俺を含め、古竜の主人は多少のケガでは死なないしな」
「何か起こったら、私もケブも陛下しか護衛できませんよ。閣下をどうするんです」
「まぁ近衛と俺でなんとかなるだろ、護衛の訓練は受けてないが」
ハダルクもエサル自身も、領主であるエサルは護衛の対象には入れていないらしい。ああでもないこうでもないと話し合って、しまいにはハダルクも折れた。
「しかたがないですね……」
「やったー」
「じゃあ準備しろよ、こっちの服を手に入れてからだぞ。なんか面白いもんを見つけても一人で走ってくんじゃないぞ、必ず俺かハダルクと一緒だ。買い食いはすんなよ、特に水と果物はダメだ」
「わーい」
まるきり子どものあしらいだが、リアナたちは気にしたそぶりもなく喜んでいる。
「卿は案外、面倒見がいいんですね」
「あ?」立派なマントを外して、街の行商男風の粗末な外套を物色していたエサルが顔をあげた。「あぁ、まあな。うちは一族全員、ガキの頃からいっしょに騎竜訓練するんだ。本家筋も傍流も男女も関係なくな。俺は年長だったから、弟妹の扱いは慣れてるよ」
王と未来の大神官(自称)をつかまえて、弟妹とは……。ハダルクは笑いをこらえるのに苦労した。
行商人とその家族といったふうの身なりに身を包んだ四人は、視察という名目の街歩きを楽しんだ。寒冷湿潤なオンブリアと違い、人間の国家は温かい土地が多い。隣の大国アエディクラは耕作適地が広がるが、イーゼンテルレの首都は砂漠の中にあり、河川はあるが農地には適さない。食料の多くは交易に頼ることになる。自然と、交易は発達し、人の行きかいが多い都市が生まれる。
「子どもが多いわね」
ココナッツミルクを飲みながら、リアナは人々を眺めている。「一、二、三、四……あの一家、五人も子どもがいるわ」
「老人は少ないね」こちらは、ファニー。甘いコーヒーの入った銅のカップを手にしている。
「知識として知ってはいたけど、実際に目にすると驚きだよね。若い――年齢もそうだけれど、人間は種族として若い。生命力が、繁殖力がある」言うと、コーヒーをすすった。オンブリアにはない、泥水のようで不思議な味わいの飲み物だ。
「人間は――ううん、竜族はどうしてこんなに長命なのかしら。どうしてなかなか子どもを授からないの? それに、竜族だけがかかる病気もあるわ……」
リアナの頭にあったのは、オンブリアで静かに流行の兆しを見せはじめていた奇病のことだった。クローナン王の死因でもあるその病気は、灰死病という。体温の極端な低下と壊死に似た症状をもち、罹患するものはまだ少ないが致死性の高い病だった。基本的に孤発性の病で、伝染しないのが幸いだが、もしそうだったら国内はパニックに陥っていただろう。
「それなのに、青の乗り手 も誰も、治療法の研究をしていないというし」
「いや、前はあったんだけどな」エサルが漏らした。「イティージエン戦役のどさくさに紛れてなくなっちまった。あれはエリサ王の肝いりの機関だったからなぁ」
「
どうやら、彼女のやったことは良きにつけ悪しきにつけオンブリアの歴史に爪あとを残すものであったらしい。〈魔王〉と呼ぶ者もいれば、〈英雄王〉と呼ぶ者もいる。エリサのこととなるとみな口が重くなるが、近いうちにその死後の業績と対峙することになりそうだ、とリアナは思った。
「あんたがたが小指の先でも切ってみろ、黒竜大公にどやされるのは俺なんだぞ」
と、子どもたちを小川に連れていく教師のようなことを言う。
「そんなこと言って、自分たちだけだったら単騎で出ていくくせに」と、リアナ。
「そうだそうだ」と、ファニー。
「王として、他国の文化風俗を視察することは大事だと思うのよね」
「未来の大神官も同じく」
やいやいと言いつのる少年と少女に根負けして、エサルが手を振った。「わかったわかった」
「エサル卿!」ハダルクがとがめる。
「暗殺を警戒するなら、相手の思惑と違う行動を取るほうがいい。俺を含め、古竜の主人は多少のケガでは死なないしな」
「何か起こったら、私もケブも陛下しか護衛できませんよ。閣下をどうするんです」
「まぁ近衛と俺でなんとかなるだろ、護衛の訓練は受けてないが」
ハダルクもエサル自身も、領主であるエサルは護衛の対象には入れていないらしい。ああでもないこうでもないと話し合って、しまいにはハダルクも折れた。
「しかたがないですね……」
「やったー」
「じゃあ準備しろよ、こっちの服を手に入れてからだぞ。なんか面白いもんを見つけても一人で走ってくんじゃないぞ、必ず俺かハダルクと一緒だ。買い食いはすんなよ、特に水と果物はダメだ」
「わーい」
まるきり子どものあしらいだが、リアナたちは気にしたそぶりもなく喜んでいる。
「卿は案外、面倒見がいいんですね」
「あ?」立派なマントを外して、街の行商男風の粗末な外套を物色していたエサルが顔をあげた。「あぁ、まあな。うちは一族全員、ガキの頃からいっしょに騎竜訓練するんだ。本家筋も傍流も男女も関係なくな。俺は年長だったから、弟妹の扱いは慣れてるよ」
王と未来の大神官(自称)をつかまえて、弟妹とは……。ハダルクは笑いをこらえるのに苦労した。
行商人とその家族といったふうの身なりに身を包んだ四人は、視察という名目の街歩きを楽しんだ。寒冷湿潤なオンブリアと違い、人間の国家は温かい土地が多い。隣の大国アエディクラは耕作適地が広がるが、イーゼンテルレの首都は砂漠の中にあり、河川はあるが農地には適さない。食料の多くは交易に頼ることになる。自然と、交易は発達し、人の行きかいが多い都市が生まれる。
「子どもが多いわね」
ココナッツミルクを飲みながら、リアナは人々を眺めている。「一、二、三、四……あの一家、五人も子どもがいるわ」
「老人は少ないね」こちらは、ファニー。甘いコーヒーの入った銅のカップを手にしている。
「知識として知ってはいたけど、実際に目にすると驚きだよね。若い――年齢もそうだけれど、人間は種族として若い。生命力が、繁殖力がある」言うと、コーヒーをすすった。オンブリアにはない、泥水のようで不思議な味わいの飲み物だ。
「人間は――ううん、竜族はどうしてこんなに長命なのかしら。どうしてなかなか子どもを授からないの? それに、竜族だけがかかる病気もあるわ……」
リアナの頭にあったのは、オンブリアで静かに流行の兆しを見せはじめていた奇病のことだった。クローナン王の死因でもあるその病気は、灰死病という。体温の極端な低下と壊死に似た症状をもち、罹患するものはまだ少ないが致死性の高い病だった。基本的に孤発性の病で、伝染しないのが幸いだが、もしそうだったら国内はパニックに陥っていただろう。
「それなのに、青の
「いや、前はあったんだけどな」エサルが漏らした。「イティージエン戦役のどさくさに紛れてなくなっちまった。あれはエリサ王の肝いりの機関だったからなぁ」
「
母の
?」どうやら、彼女のやったことは良きにつけ悪しきにつけオンブリアの歴史に爪あとを残すものであったらしい。〈魔王〉と呼ぶ者もいれば、〈英雄王〉と呼ぶ者もいる。エリサのこととなるとみな口が重くなるが、近いうちにその死後の業績と対峙することになりそうだ、とリアナは思った。