8-4. 戦争がはじまる ②
文字数 1,600文字
ふいに核心をつかれ、エサルははっと身をただした。
「――ええ」
「なぜ殺そうとした?」
「あの娘はデーグルモールだ」エサルはうなった。「竜族の王が、あるいは王配が、半死者 であっていいはずがない!」
エンガスはカップを手にしたまま、悲しげにため息をついた。「いかなる異形に見えたとしても、〈血の呼 ばい〉はリアナ陛下にあった。彼女を弑 することは竜祖に逆らうこととは思わなかったのかね?」
痛いところを突かれて、若領主は顔をそむけた。さしむけた追っ手はエサルのもっとも信頼する竜騎手たちだったが、すべてあの〈竜殺し 〉に殺されたのだ。結果、すぐれたライダーたちを犬死にさせただけだった。
「フロンテラの前の領主家はデーグルモールたちに惨殺された」エサルはなおも弑逆を正当化したいそぶりをみせた。
「あるいは、彼らこそ
「政敵は殺すものではない。遊戯 では有用と思われた手がそのまま通じるものでもない。現実では盤上が空くと、さらによからぬ駒があらわれるものだよ。……もう、やめておくがよかろう」
「それは、あなたの義娘御 にも言うべきでしたな」
エンガスはカップを置き、疲れきったようにつぶやいた。「そうだな」
「しかし、どのみち、もう計画する必要もない」
二人のあいだに重い沈黙が落ちた。
「デイミオン陛下には、このことは……」
「とっくにたどり着いていよう。あの男は阿呆ではない」
エサルの顔に緊張が走った。
「卿を処断するつもりなら、とっくにそうしている。賭けてもいいが、次の戦でまともな働きができねば、この家は潰される」
「その覚悟がないとでも?」
「捨て鉢になる必要はない。言っただろう? 政敵はむやみに殺すものではないと。それは陛下にとっても同じ。この戦、われわれにとっても背水の陣となろう」
エサルは苦々しく呟いた。「だが、この戦力差……黒竜の力がなくては太刀打ちできない」
エンガスもうなずいた。「陛下をお呼びするほかあるまいな」
「デイミオン卿……いや、陛下の様子はいかがですか? リアナ陛下のこととなると、かなり我を失ってしまわれるような場面がありましたが……」
エサルはためらいがちに聞いた。
自分で追っ手を放っておいて勝手な話だが、エサルは彼女が死んだと聞いて石を飲んだような心持ちがした。デーグルモールであることをのぞけば、由緒正しい血筋の、まだ成人したばかりの若い娘である。王殺しの汚名を甘んじて受けるつもりではあったが、果たせなかった今、病没してうれしいという気分にまではなれなかった。
正確なところは生家の発表を待つことになるだろうが、〈血の呼 ばい〉が途切れた以上、ほぼ間違いないだろう。
そう確認すると、エンガスは「おそらくは……な」と含みを持たせた。
「卿がこちらにいる間に、すでに正式な戴冠式も終えた。陛下は驚くほど平静でおられるよ」
「それは……意外ですね」
エサルは、掬星 城で会ったときのデイミオンを思いだした。つがいを傷つけられた雄竜のように、あたりをはばかることもなく激怒していたっけ。あの様子では、彼女が死んだとなれば相当、自暴自棄になるだろうと予想していたのだが。
エンガスは目を伏せた。「感情をあらわす方法はさまざまだ。落ち着いて見えるから、内心もそうだとも限るまい」
そして、続ける。
「陛下に限らず、黒竜のライダーはことさら怒りの制御を重視する。黒竜のみが、生物を害する攻撃を許されているからだ。神ならぬ身であつかうには、黒竜の炎はあまりに苛烈で強大であるから。
五公会で口角泡を飛ばして議論するのも、ライダーたちを怒鳴りつけるのも、あの青年にとっては演技のようなものだ。だから……」
「あの男が激すれば、それはオンブリアの最期かもしれん」
老大公の言葉は、エサルには不吉な予言めいて聞こえた。
「――ええ」
「なぜ殺そうとした?」
「あの娘はデーグルモールだ」エサルはうなった。「竜族の王が、あるいは王配が、
エンガスはカップを手にしたまま、悲しげにため息をついた。「いかなる異形に見えたとしても、〈血の
痛いところを突かれて、若領主は顔をそむけた。さしむけた追っ手はエサルのもっとも信頼する竜騎手たちだったが、すべてあの〈
「フロンテラの前の領主家はデーグルモールたちに惨殺された」エサルはなおも弑逆を正当化したいそぶりをみせた。
「あるいは、彼らこそ
デーグルモール
であったかもしれぬ」エンガスは言ったが、本気でエサルを諫めようという風ではなかった。「政敵は殺すものではない。
「それは、あなたの
エンガスはカップを置き、疲れきったようにつぶやいた。「そうだな」
「しかし、どのみち、もう計画する必要もない」
二人のあいだに重い沈黙が落ちた。
「デイミオン陛下には、このことは……」
「とっくにたどり着いていよう。あの男は阿呆ではない」
エサルの顔に緊張が走った。
「卿を処断するつもりなら、とっくにそうしている。賭けてもいいが、次の戦でまともな働きができねば、この家は潰される」
「その覚悟がないとでも?」
「捨て鉢になる必要はない。言っただろう? 政敵はむやみに殺すものではないと。それは陛下にとっても同じ。この戦、われわれにとっても背水の陣となろう」
エサルは苦々しく呟いた。「だが、この戦力差……黒竜の力がなくては太刀打ちできない」
エンガスもうなずいた。「陛下をお呼びするほかあるまいな」
「デイミオン卿……いや、陛下の様子はいかがですか? リアナ陛下のこととなると、かなり我を失ってしまわれるような場面がありましたが……」
エサルはためらいがちに聞いた。
自分で追っ手を放っておいて勝手な話だが、エサルは彼女が死んだと聞いて石を飲んだような心持ちがした。デーグルモールであることをのぞけば、由緒正しい血筋の、まだ成人したばかりの若い娘である。王殺しの汚名を甘んじて受けるつもりではあったが、果たせなかった今、病没してうれしいという気分にまではなれなかった。
正確なところは生家の発表を待つことになるだろうが、〈血の
そう確認すると、エンガスは「おそらくは……な」と含みを持たせた。
「卿がこちらにいる間に、すでに正式な戴冠式も終えた。陛下は驚くほど平静でおられるよ」
「それは……意外ですね」
エサルは、
エンガスは目を伏せた。「感情をあらわす方法はさまざまだ。落ち着いて見えるから、内心もそうだとも限るまい」
そして、続ける。
「陛下に限らず、黒竜のライダーはことさら怒りの制御を重視する。黒竜のみが、生物を害する攻撃を許されているからだ。神ならぬ身であつかうには、黒竜の炎はあまりに苛烈で強大であるから。
五公会で口角泡を飛ばして議論するのも、ライダーたちを怒鳴りつけるのも、あの青年にとっては演技のようなものだ。だから……」
「あの男が激すれば、それはオンブリアの最期かもしれん」
老大公の言葉は、エサルには不吉な予言めいて聞こえた。