2-3. Don’t Go ①
文字数 2,510文字
季節は初夏から夏にさしかかろうとしていた。
オンブリアの各地で、竜神祭が催される時期となった。農作業の慰労や、天災に見舞われないよう、秋の収穫が豊かであるようにとの祈願が由来である点はどの国のどの祭とも共通しているが、実際の神、つまり古竜と〈乗り手 〉が存在しているところが異なっている。
祭の主役は白の古竜とそのライダーたちだ。天候と農業を司るのが白の古竜であり、〈乗り手 〉は大気の流れを読み水脈と通じ、制限はあるものの天候を変えることさえできる。もっとも力ある竜といわれるゆえんだ。
この時期、白竜の〈乗り手 〉を束ねるメドロート公は、繁殖期 を首都タマリスで過ごしたのち西部、南部と各領地をめぐり、領主たちの求めに応じて天候に介入するのが慣例となっていた。もっとも、遠い昔に繁殖期 の務めを引退しており、タマリスへは王への挨拶程度の滞在で済ませている。一族の娘、リアナが竜族の王となってもそれは変わらなかった。
峻厳 な見かけによらず朴訥 として優しい大叔父、メドロートがいなくなるのはさみしかったが、収穫もあった。首都タマリスで催される竜神祭に、北部 から派遣されてきた〈乗り手 〉が、かつて母エリサの副官を務めた男だったのだ。
祭の開始前の、ごく短い時間の接見ではあったが、母の側近に聞きたいことは山ほどあった。
「たんまげた、こりゃエリサに似ねで、べっぴんだなぃ」
金髪にアイスブルーの瞳、長身、驚くほど整った顔だちをした男――年齢は母エリサや、エサル公と同年代らしい――は、メドロートそっくりの訛りで話した。
「ジェンナイル卿――」
「ジェーニイと呼んでくんちぇ」
にこっと笑うと、人懐っこく見える。リアナも合わせてにっこりした。
「ジェーニイ」
「はい」
「あなた、わたしの父親?」
ジェーニイは美しい青い目を見開いたまま、手に持ったゴブレットを落とした。
「わぁ、ワインが」と、リアナ。
「わい!!」
顔に似合わぬ珍妙な叫びをあげると、長衣 にこぼれたワインを拭くためのなにかを探して、ごそごそした。
「あー、服さ、ワインまがってまった……」
リアナはその様子をとっくりと観察する。「あやしいわね」
「陛下。なんてことをおっしゃる」なぜか、いきなり標準語に戻した。取り繕いたいなにかがあるのだろうか。王は疑わしい目つきを送る。
「だって、あなた、母の副官だったのでしょ。いちおう確認しておこうと思って。取り繕われても困るから、カマかけてみたんだけど」
「お人が悪い。驚いてワインをこぼすかと思いましたよ」
「もう、こぼしてるわよ」
ジェーニイは金色の長いまつげをしばたかせた。哲学的なまでに美しい男だが、あまり機転が利くタイプではないらしい。
「おそれながら、私は陛下の父君ではありませんし、実のところどこのどなたとも存じません」
「ふうん?」
「ほんとうですよ!」
「わたしたち、髪の色が似てるわよ」
「五公十家にどれだけ金髪がいると思ってるんです!!」
男は悲鳴をあげた。「あなたの母上は、『魔王』と呼ばれた破壊の権化ですよ! 私のような軟弱者 、相手にしません。それに、はっきり申し上げて、私だってごめんです」
♢♦♢
白竜の〈竜騎手 〉をあらわす、白く装飾的な長衣 を身につけて、ジェーニイが宙を舞っていた。
風を起こしてみずからを舞わせ、飛竜乗りたちがばらまいた花びらを巻きあげ、雨と降らせる。水を召 んで、水滴のひとつぶずつを空中に静止させると、子どもたちから歓声が上がった。
掬星城 の高い露台 からは近く見えるが、城下のひとびとには点のようにしか見えないだろう。はるか上空の古竜は、風に飛ばされた白いリボンのように楽しげに舞う。ジェーニイは軽やかに宙返りをしたり、城の外壁を蹴ってはずみをつけて飛んだり、独楽のように勢いよく回転したりした。
古竜とその主人の、美しく神のごとき威容の姿。もし王になっておらず、生地ノーザンで暮らしていれば、自分も同じような役目をこなしていたのだろうかとリアナは思った。
『私があなたの父親を探さなかったとお思いですか?』
露台の手すりに身体をもたせて、ジェーニイの奉納舞を眺めながら、彼とのやりとりを思い出している。
『あなたは王だけでなく、未来の北部 領主となる可能性がある子どもでした。いまの継承者は、私の甥ですが……』
そして、彼がかつて調べたことのいくつかを教えてくれたのだった。
――スミレ色の目はゼンデン家の遺伝でしょうが、エリサは茶色の髪でした。顔だちもあまり似ておられません。あなたは父親似でいらっしゃるのかも。
――あなたを身ごもられていた当時、エリサ王はケイエに滞在しておられました。南部領 の人間は確認してみましたか?
もちろん、まっさきに確認している。ジェーニイにやったのと同じ手で。エサルはジェーニイのような動揺を見せることなく、「あの魔女とか?」と笑いとばした。
「俺の親父を気に入っていたとは、昔、聞いたがな。親父のほうはエリサ王を蛇蝎 のごとく嫌ってたよ。自分を抹殺しかねない政敵を気に入るんだから、豪放磊落な女ではあった」
だが、エサルの父グイオンは三人の妻に対して非常に貞操観念が強かったので、エリサ王との逢引はなかっただろうと証言した。
まあ、父に関しては気長に探すつもりでいる。それは余禄のようなもので、フィルの捜索が最優先だ。数日後から夏の外遊の予定があるので、そこでも情報を収集できるかもしれない。まずは、イーサー公子の結婚式に出席するために、隣国イーゼンテルレへ……
思ったよりも長いこと、考え事にふけっていたらしい。奉納舞が終わって、祭の興奮も遠ざかりかかっていた。
夜になれば、また宴席になり、あいさつだの舞い手の慰労だのといった雑務がでてくる。だから、日が暮れはじめたタイミングで、デイミオンに〈呼 ばい〉を送った。
話をするのには今しかないと思った。
苺、オレンジ、サーモンピンク、紅、朱鷺 色。あらゆるグラデーションの赤に、雲の灰色と、夕日を照り返す金色が混じる。夜の紺色の毛布が、そろそろと空に手を伸ばしはじめていた。デイミオンの目と同じ色だ。
オンブリアの各地で、竜神祭が催される時期となった。農作業の慰労や、天災に見舞われないよう、秋の収穫が豊かであるようにとの祈願が由来である点はどの国のどの祭とも共通しているが、実際の神、つまり古竜と〈
祭の主役は白の古竜とそのライダーたちだ。天候と農業を司るのが白の古竜であり、〈
この時期、白竜の〈
祭の開始前の、ごく短い時間の接見ではあったが、母の側近に聞きたいことは山ほどあった。
「たんまげた、こりゃエリサに似ねで、べっぴんだなぃ」
金髪にアイスブルーの瞳、長身、驚くほど整った顔だちをした男――年齢は母エリサや、エサル公と同年代らしい――は、メドロートそっくりの訛りで話した。
「ジェンナイル卿――」
「ジェーニイと呼んでくんちぇ」
にこっと笑うと、人懐っこく見える。リアナも合わせてにっこりした。
「ジェーニイ」
「はい」
「あなた、わたしの父親?」
ジェーニイは美しい青い目を見開いたまま、手に持ったゴブレットを落とした。
「わぁ、ワインが」と、リアナ。
「わい!!」
顔に似合わぬ珍妙な叫びをあげると、
「あー、服さ、ワインまがってまった……」
リアナはその様子をとっくりと観察する。「あやしいわね」
「陛下。なんてことをおっしゃる」なぜか、いきなり標準語に戻した。取り繕いたいなにかがあるのだろうか。王は疑わしい目つきを送る。
「だって、あなた、母の副官だったのでしょ。いちおう確認しておこうと思って。取り繕われても困るから、カマかけてみたんだけど」
「お人が悪い。驚いてワインをこぼすかと思いましたよ」
「もう、こぼしてるわよ」
ジェーニイは金色の長いまつげをしばたかせた。哲学的なまでに美しい男だが、あまり機転が利くタイプではないらしい。
「おそれながら、私は陛下の父君ではありませんし、実のところどこのどなたとも存じません」
「ふうん?」
「ほんとうですよ!」
「わたしたち、髪の色が似てるわよ」
「五公十家にどれだけ金髪がいると思ってるんです!!」
男は悲鳴をあげた。「あなたの母上は、『魔王』と呼ばれた破壊の権化ですよ! 私のような
♢♦♢
白竜の〈
風を起こしてみずからを舞わせ、飛竜乗りたちがばらまいた花びらを巻きあげ、雨と降らせる。水を
古竜とその主人の、美しく神のごとき威容の姿。もし王になっておらず、生地ノーザンで暮らしていれば、自分も同じような役目をこなしていたのだろうかとリアナは思った。
『私があなたの父親を探さなかったとお思いですか?』
露台の手すりに身体をもたせて、ジェーニイの奉納舞を眺めながら、彼とのやりとりを思い出している。
『あなたは王だけでなく、未来の
そして、彼がかつて調べたことのいくつかを教えてくれたのだった。
――スミレ色の目はゼンデン家の遺伝でしょうが、エリサは茶色の髪でした。顔だちもあまり似ておられません。あなたは父親似でいらっしゃるのかも。
――あなたを身ごもられていた当時、エリサ王はケイエに滞在しておられました。
もちろん、まっさきに確認している。ジェーニイにやったのと同じ手で。エサルはジェーニイのような動揺を見せることなく、「あの魔女とか?」と笑いとばした。
「俺の親父を気に入っていたとは、昔、聞いたがな。親父のほうはエリサ王を
だが、エサルの父グイオンは三人の妻に対して非常に貞操観念が強かったので、エリサ王との逢引はなかっただろうと証言した。
まあ、父に関しては気長に探すつもりでいる。それは余禄のようなもので、フィルの捜索が最優先だ。数日後から夏の外遊の予定があるので、そこでも情報を収集できるかもしれない。まずは、イーサー公子の結婚式に出席するために、隣国イーゼンテルレへ……
思ったよりも長いこと、考え事にふけっていたらしい。奉納舞が終わって、祭の興奮も遠ざかりかかっていた。
夜になれば、また宴席になり、あいさつだの舞い手の慰労だのといった雑務がでてくる。だから、日が暮れはじめたタイミングで、デイミオンに〈
話をするのには今しかないと思った。
苺、オレンジ、サーモンピンク、紅、