3-2. 結婚式 ①
文字数 3,044文字
イーゼンテルレの城は目を奪われるほど壮麗だった。ドーム状になった天井から窓、床にいたるまで極彩色のモザイクタイルが使われ、左右対称の幾何学的な模様がいっぱいに描かれている。植物のモチーフが多く、ツタやツルがからむ紋様が美しい。いわゆる、古イティージエン様式というものだ。参列者たちは同じような模様のついた絨毯の上にじかに座り、房飾りのついたクッションに身体を休ませている。
リアナはグウィナ卿が選んだドレスの一枚を着て参列した。オンブリアでは西のほうでよくみられる、紗を花びらのように重ねた繊細なドレスで、胴着の部分以外、つまり首や肩は紗が薄く、うっすらと肌が透けている。ふだんは首や肩を出す服は着ないが、諸侯の妻たちはもっと露出の高いドレスなので、これはかなり控えめなほうだろう。温暖なイーゼンテルレでは過ごしやすい服だった。仔竜のレーデルルもおそろいのヴェールでマントを作ってもらい、おめかしをしている。好物のイカをもらってご機嫌で、リアナの後ろでゆったりと香箱をつくってくつろいでいた。
イーサーと新婦の前には、花嫁の持参金をあらわす膨大な品物が並ぶ。調度品、宝飾、色とりどりの絹、竜の皮革、果物、侍女たち……。
オンブリアにはない、珍しい植物もあった。立ち姿はユリにも似ているがまっすぐで、一本の茎に一つの花。逆さにした鐘のような珍しい形と、赤やオレンジ、ピンクといった色も鮮やかで、大量に並ぶと迫力がある。ラーレという名前で、独自の取引市場をもつほどの熱狂的な人気があるという。
神官による舞が奉納され、音楽が奏でられた。同じフレーズが何度も繰り返され、しだいに音が強まるかと思うと、また弱くなる。まわりつづける独楽 を見ているような、引き込まれる音だった。
参列者たちは花嫁の美しさをたたえ、公子のもてなしに感謝し、式の豪華さをほめそやしている。だが、不思議なこともあった。彼らの多くが大っぴらにリアナたちのほうを見、興奮して語り合っているのだ。
「竜族が他国の結婚式に参列するのが珍しいのかしら?」
リアナが呟くと、隣で控えていたファニーが「そうだろうね」と言った。あいかわらず、侍女の格好のままで、この旅のあいだ女装を押しとおすつもりのようだ。前身ごろに一列に包 みボタンが並ぶ真っ白なお仕着せで、散らばりがちな短い茶髪はまとめて白い布で包んでいる。ルーイはにこにことしているが、ミヤミのほうは奇抜なものを見る目を少年に向けた。
「人間は短命なんだ。本物の生きている竜も、竜族も、一度も見ずに死んでいくのがごくふつうなんだよ。それに、まあ、きみは美人だしね」
「アーシャ姫が王になっていたら、みんなさぞかしありがたがって拝んだかもね」リアナは皮肉気に言う。
かの斎姫には殺されかけた恨みがあるが、美貌には一目おかざるをえない。滝のように流れる銀の髪、薄氷の色の瞳。竜族のなかでさえ際だつ美しさがある。いかにも人間が思いうかべる竜族の姫君だった。
まあ、今は貴人用の独房にいるので、リアナは大いに留飲を下げた。
「人間の結婚式ってのは、派手だな。あの頭飾りはなんだ、鳥か?」
隣に座るエサルが、こちらに身を乗り出してきた。めでたい席なので彼も普段とは違う礼服を着ている。竜族の男性の正装である長衣 は、紅 い竜に合わせ、黒地に赤い刺繍とアクセントをつけたもの。ズボンも長靴も黒。一歩間違うと悪趣味と言われそうで、堂々たる体格と金髪の持ち主であるエサルにしか着こなせなさそうだ。
「エサル卿、あなたのときはどうだった?」
エサルには、すでに妻と二人の子ども、さらに別に身重の妻がいると聞いていた。
「ん?……ああ、普通だよ。ライラのときは三日の儀をして、妊娠が分かったときに正式に妻問 いに行った。ヨナのときは、もう一人の夫と腹の子の親権でモメてなぁ。式どころじゃなかったな」
「ふつうだね」
国境沿いで育ったリアナにはあまりぴんとこないが、ファニーがそう言うくらい、竜族の男性としてはごくごく平均的な結婚スタイルだ。「三日の儀」とはまだ妊娠していない女性を妻に迎える場合の結婚の申し込み方法で、男性が女性の家に三日間滞在して婚姻の意を示すというもの。
妊娠がわかってから結婚を決めることも多いし、その場合妻、あるいは夫に別の配偶者がいることも珍しくなく、彼らとの間で子どもの親権争いが起こるのも竜族夫婦の「あるある」だ。
ちなみに、エサルが口にした二人目の妻、ヨナの子どもは生まれる前からすでに彼女の生家を継ぐことが決まっている。こういったことすべて、長命少子化がいちじるしい種族ならではのことといえた。
「そんなことより、あんたのほうはどうなんだ、陛下。……繁殖期 入りもまだだっていうのに、デイミオンはすっかりあんたに首ったけじゃないか。それなのに、竜殺し フィル〉と二股かけてるんだって? あきれたぞ」
リアナは露骨に不機嫌になった。「二股じゃないわよ」
「デイミオンとは何もないもの。まだ。今のところは」
本当は、フィルとだってまだほとんど何もない。ただ一度の夜、それだけだった。
嵐に閉じこめられた夜。フィルの、熱く乱れた息づかいを思い出して、リアナは赤くなった顔をそむけた。
「若いうちから熱心なのはいいことだが、はじめての繁殖期 から十年はまず子どもは授からん。悪いことは言わんから、身体を大事にして、相手は一人にしておけ。年長者の忠告だぞ」
「だから、二股じゃないんだったら……」
エサルの説教がしばらく続きそうだったので、年少者二人は話題をずらした。
「でも、イーサー公の結婚を見ていると、人間の国では結婚の意味がすこしちがうみたいね」
リアナは人間がともに暮らす里にいたので、家族の単位としての結婚はわかるが、王族となるとまったく理解の範疇外だった。
「イーゼンテルレでもアエディクラでも、王族の結婚の第一義は婚姻による同盟関係の強化だからね」
「まったく、信じられんな。イーサー公だって、あの若い花嫁との間に子ができなかったらどうするんだ? 結婚し損じゃないか」
エサルはいかにも竜族の男らしい懸念を述べた。
「結婚かぁ……」
新婚の夫婦は席を立ち、揃って来客たちのあいさつにまわっている。政略結婚なのは間違いないが、遠目にはなかなかお似合いの二人に見えた。リアナとしてはみずからの結婚に多少思いを馳せずにはいられない。だが、エサルがまたしても水を差した。
「悪いことは言わん、デイミオンはやめとけ。少なくとも王である間はな」
「……どうして?」
リアナはうろんな目で尋ねる。エサルは嘆息した。やっぱりわかっていなかったのかという顔だ。
「権力が集中しすぎる、という意味だ」
「よくわからないけど」
「いいか? おまえとデイミオンは、オンブリアの最高権力者と、軍の最高指揮官でもあるんだぞ。しかも、あいつにいたっては自分自身が国の最終兵器みたいなもんなんだ。今でさえ、デイミオンが王太子であるというだけで五公十家の警戒は強い。まして、おまえたち二人が結婚してみろ、パワーバランスが偏り過ぎて五公の分断を招きかねないんだぞ」
「なるほど」ファニーが言った。
「さらに、今はエンガス公も義娘 が反逆者というハンデを持つことになったわけだものね。危ういバランス……というか、すでにもうバランスは崩れているのか」
エサルはうなった。「……しゃべりすぎたな」
「卿はどうも人が好 すぎるところがあるよね。僕は好きだけど」
リアナはグウィナ卿が選んだドレスの一枚を着て参列した。オンブリアでは西のほうでよくみられる、紗を花びらのように重ねた繊細なドレスで、胴着の部分以外、つまり首や肩は紗が薄く、うっすらと肌が透けている。ふだんは首や肩を出す服は着ないが、諸侯の妻たちはもっと露出の高いドレスなので、これはかなり控えめなほうだろう。温暖なイーゼンテルレでは過ごしやすい服だった。仔竜のレーデルルもおそろいのヴェールでマントを作ってもらい、おめかしをしている。好物のイカをもらってご機嫌で、リアナの後ろでゆったりと香箱をつくってくつろいでいた。
イーサーと新婦の前には、花嫁の持参金をあらわす膨大な品物が並ぶ。調度品、宝飾、色とりどりの絹、竜の皮革、果物、侍女たち……。
オンブリアにはない、珍しい植物もあった。立ち姿はユリにも似ているがまっすぐで、一本の茎に一つの花。逆さにした鐘のような珍しい形と、赤やオレンジ、ピンクといった色も鮮やかで、大量に並ぶと迫力がある。ラーレという名前で、独自の取引市場をもつほどの熱狂的な人気があるという。
神官による舞が奉納され、音楽が奏でられた。同じフレーズが何度も繰り返され、しだいに音が強まるかと思うと、また弱くなる。まわりつづける
参列者たちは花嫁の美しさをたたえ、公子のもてなしに感謝し、式の豪華さをほめそやしている。だが、不思議なこともあった。彼らの多くが大っぴらにリアナたちのほうを見、興奮して語り合っているのだ。
「竜族が他国の結婚式に参列するのが珍しいのかしら?」
リアナが呟くと、隣で控えていたファニーが「そうだろうね」と言った。あいかわらず、侍女の格好のままで、この旅のあいだ女装を押しとおすつもりのようだ。前身ごろに一列に
「人間は短命なんだ。本物の生きている竜も、竜族も、一度も見ずに死んでいくのがごくふつうなんだよ。それに、まあ、きみは美人だしね」
「アーシャ姫が王になっていたら、みんなさぞかしありがたがって拝んだかもね」リアナは皮肉気に言う。
かの斎姫には殺されかけた恨みがあるが、美貌には一目おかざるをえない。滝のように流れる銀の髪、薄氷の色の瞳。竜族のなかでさえ際だつ美しさがある。いかにも人間が思いうかべる竜族の姫君だった。
まあ、今は貴人用の独房にいるので、リアナは大いに留飲を下げた。
「人間の結婚式ってのは、派手だな。あの頭飾りはなんだ、鳥か?」
隣に座るエサルが、こちらに身を乗り出してきた。めでたい席なので彼も普段とは違う礼服を着ている。竜族の男性の正装である
「エサル卿、あなたのときはどうだった?」
エサルには、すでに妻と二人の子ども、さらに別に身重の妻がいると聞いていた。
「ん?……ああ、普通だよ。ライラのときは三日の儀をして、妊娠が分かったときに正式に
「ふつうだね」
国境沿いで育ったリアナにはあまりぴんとこないが、ファニーがそう言うくらい、竜族の男性としてはごくごく平均的な結婚スタイルだ。「三日の儀」とはまだ妊娠していない女性を妻に迎える場合の結婚の申し込み方法で、男性が女性の家に三日間滞在して婚姻の意を示すというもの。
妊娠がわかってから結婚を決めることも多いし、その場合妻、あるいは夫に別の配偶者がいることも珍しくなく、彼らとの間で子どもの親権争いが起こるのも竜族夫婦の「あるある」だ。
ちなみに、エサルが口にした二人目の妻、ヨナの子どもは生まれる前からすでに彼女の生家を継ぐことが決まっている。こういったことすべて、長命少子化がいちじるしい種族ならではのことといえた。
「そんなことより、あんたのほうはどうなんだ、陛下。……
あの
〈リアナは露骨に不機嫌になった。「二股じゃないわよ」
「デイミオンとは何もないもの。まだ。今のところは」
本当は、フィルとだってまだほとんど何もない。ただ一度の夜、それだけだった。
嵐に閉じこめられた夜。フィルの、熱く乱れた息づかいを思い出して、リアナは赤くなった顔をそむけた。
「若いうちから熱心なのはいいことだが、はじめての
「だから、二股じゃないんだったら……」
エサルの説教がしばらく続きそうだったので、年少者二人は話題をずらした。
「でも、イーサー公の結婚を見ていると、人間の国では結婚の意味がすこしちがうみたいね」
リアナは人間がともに暮らす里にいたので、家族の単位としての結婚はわかるが、王族となるとまったく理解の範疇外だった。
「イーゼンテルレでもアエディクラでも、王族の結婚の第一義は婚姻による同盟関係の強化だからね」
「まったく、信じられんな。イーサー公だって、あの若い花嫁との間に子ができなかったらどうするんだ? 結婚し損じゃないか」
エサルはいかにも竜族の男らしい懸念を述べた。
「結婚かぁ……」
新婚の夫婦は席を立ち、揃って来客たちのあいさつにまわっている。政略結婚なのは間違いないが、遠目にはなかなかお似合いの二人に見えた。リアナとしてはみずからの結婚に多少思いを馳せずにはいられない。だが、エサルがまたしても水を差した。
「悪いことは言わん、デイミオンはやめとけ。少なくとも王である間はな」
「……どうして?」
リアナはうろんな目で尋ねる。エサルは嘆息した。やっぱりわかっていなかったのかという顔だ。
「権力が集中しすぎる、という意味だ」
「よくわからないけど」
「いいか? おまえとデイミオンは、オンブリアの最高権力者と、軍の最高指揮官でもあるんだぞ。しかも、あいつにいたっては自分自身が国の最終兵器みたいなもんなんだ。今でさえ、デイミオンが王太子であるというだけで五公十家の警戒は強い。まして、おまえたち二人が結婚してみろ、パワーバランスが偏り過ぎて五公の分断を招きかねないんだぞ」
「なるほど」ファニーが言った。
「さらに、今はエンガス公も
エサルはうなった。「……しゃべりすぎたな」
「卿はどうも人が