1-2.デイミオンの目覚め ②

文字数 2,347文字

 ヒーラーが血と膿で汚れた繃帯を脇台に置くと、エンガスは王太子の傷をあらためにかかった。
「死んでもおかしくなかった。肺が大きく傷ついていて……生きているのが不思議なくらいだ」
「だが、生きている」
 デイミオンは強がったが、生皮を剥がれるような痛みにうめいた。ヒーラーが、傷口にあてた布を剝がしたのだ。

「それより、王は? エサル卿の部隊が陛下を救出したのでしょう? 卿から報告がほしいのですが」

「王はご無事だ。


 デイミオンは、その言葉に悪い予感がした。

? どういうことです?」

を衆目にさらすわけにもいかないだろう」エンガスは含みのある言いかたをした。「先だっても警告したはずだ。ほかならぬあなたが、ご存知なかったとは言うまい」
 デイミオンは平静を装いつつも、内心、激しく動揺した――エンガスの言葉がなにを指しているにせよ、なにかとてつもなく恐ろしいことが、彼の知らないところで起こってしまったのだとわかった。

「――リアナの状態は……」
 二つの心臓が激しく鼓動するのを感じた。呼吸が浅く、早くなる。

「もしもご存知なかったのなら、ご覧にならないほうがよい」エンガスが言った。「お互いに酷なことだ」
 『ご覧にならないほうがよい』? なにを馬鹿なことを。リアナのことで、彼が知らなくてよいことなど、見てはならないものなどひとつもない。
 やはり、早く行かなければ。もどかしく焦る気持ちを、かろうじて抑えつける。なぜこんなにも感情の制御に苦労するのだろう? 自分は黒竜のライダーではなかったのか?

「率直に申し上げよう、デイミオン卿。エサル卿は王佐の権限で王を弑するつもりでいる」
「何っ……!?」
 思わず起きあがり、めまいで視界が真っ暗になりかける。ヒーラーが慌てて彼を支えた。

「私がこれをあなたに打ち明けた意味をわかっていただけるかな? ……私自身は、リアナ陛下への処断には反対だ。彼女が

であろうとも」
 その冷淡な表現には、彼女に対する思いやりよりも、むしろ政治的配慮のうえでの発言であることが読みとれた。だから、どれほど歯がゆくとも、デイミオンもそれに合わせなければならなかった。エンガスは他者の感情を観察し、利用することに長けた男で、虎視眈々とこの機会を狙ってきたに違いないからだ。
 なんとかこの老人の策略に乗るまいと、薬の残る頭を忙しく動かした。
「王太子である私にも、五公会にも相談なく? 王佐にそんな権限があったとは、驚きですね」
 だが、エンガスの反応を見ると、デイミオンの冷静さはもはや砂上の楼閣なのかもしれなかった。老人は眼鏡の奥から、ほとんど哀れみといってもよい視線を投げてよこした。
「エサル卿の、デーグルモールに対する憎しみを知らぬわけではあるまい。このままでは、陛下はエサル卿に殺される」
「……!!」

 エンガスはじっとデイミオンを観察し、それから、おもむろに告げた。

「リアナ陛下のお命を守る方法はひとつしかない。彼女を退位させ、あなたが王となることだ。……お出来になるか?」

                 ♢♦♢

 グウィナは、めったに着ない黒いドレスを身につけていた。長衣(ルクヴァ)の女性版といったところで、装飾的な肩あてと赤い縫いとりがいかめしく、甲冑を思わせる服装だ。二人の甥と二人の息子を持つ彼女だが、いまは母親ではなく五公としての威信を発揮しなければならない。苦境にあるデイミオンとリアナの代わりに、彼らの力となるために。
 手術は成功したが、デイミオンは無事回復するのか。そして、リアナについてのエサルの恐るべき告発は事実なのか……。
 だが、それらを確かめる前に、やるべきことがあった。
 彼女は王佐のエサルに許可を得て、みずからの家の責任のもと、アーシャを釈放した。王太子デイミオンの生命を救ったことで、王への弑逆を企んだ罪は問わないとするものだ。前例のない措置にデイミオンが反対するに違いないと身構えたが、甥は落ち着いた様子でそれを許可した。グウィナはそこに、なんらかの密約の存在を感じた。

 アスラン=アルテミス・ニシュクは、養父エンガス卿の領兵たちにつきそわれて、夜が来る前に城を出ていった。グウィナはそれを門から見送った。
 別れる前、二人は短い会話を交わした。

「なぜ、デイミオンを助けたの?」
 グウィナは率直に尋ねた。
 旅装のアーシャは、なぜそんなことを聞くのかという顔をした。「おかしなことをお尋ねになりますこと。あの男が助からないほうがよかったの?」
「いいえ」グウィナは歯を食いしばった。この元巫女姫の言動には、常にいらいらさせられてきたものだ。
「ただ、あなたの意図がわからなかったから、聞いたのよ」

 年若いライダーは、意図、と口のなかで繰り返した。そして、自分でもよくわからない、といったふうに首をひねる。切ったばかりの銀髪が、夕陽を受けて肩の上でふわりと揺れた。
「どうかしら……? 医術書で読んだ方法を試してみたかったからかしら?」
「医術書……」グウィナは全身から力が抜けるようだった。愛だの慈善だのを期待していたわけではないが、それにしても、そんなもののために?

 生家のニシュク家に戻るのかと尋ねると、アーシャは「いいえ」と答えた。
「では、どこへ?」
 少女は、気にくわないことを示すように鼻の頭にしわを寄せた。「どこでもいいわ。わたくしのやることに、口を出す人間がいないところよ」
 そんな、いかにも彼女らしい言葉を残して、アーシャは王城を去った。

 それから長いこと、彼女たちが再会することはなかったし、アーシャがタマリスに戻ったのもかなり後のことだった。しかし、それはまた別の話である。
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登場人物紹介

リアナ・ゼンデン

本作の主人公。竜騎手(ライダー)にあこがれる平凡な田舎少女だったが、竜たちの王となる運命が待っていた。

すなおで活発、売られたケンカは買うタイプ。

養父の教育もあり、なかなかの政治手腕を見せることも。

デイミオン・エクハリトス(デイ)

フィルに続き里にリアナを迎えに来た竜騎手。彼女の次の王位継承権を持つ。

王国随一の黒竜アーダルの主人(ライダー)。

高慢な野心家で、王位をめぐってリアナと衝突するが……。

群れを率いるアルファメイルで、誇り高く愛情深い男でもある。

フィルバート・スターバウ(フィル)

襲撃された里からリアナを救いだした、オンブリアの元軍人。彼女をつねに守るひそかな誓いを立てている。

ふだんは人あたりよく温厚だが、じつは〈竜殺し〉〈剣聖〉などの二つ名をもつ戦時の英雄。

リアナに対しては過保護なほど甘いものの、秘密をあかさないミステリアスな一面ももつ。

レーデルル(ルル)

リアナが雛から育てた古竜の子ども。竜種は白で、天候を操作する能力をもつ。

グウィナ卿

五公(王国の重要貴族)の一員で、黒竜のライダー。私生活ではデイ・フィルの愛情深い叔母、二児の母。

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