間章 聖女の町 ②

文字数 2,472文字

 広場は四つ辻の重なったところにあった。治療師がいるという教会までは、そこから通り二本ほどしか離れていない。露天商の並ぶ通りを、竜を連れて歩きだし、店が途切れたあたりで、不穏な気配を感じた。誰かに尾行()けられているような気がする。

 ミヤミは諜報技術についてはひと通り、同じ〈ハートレス〉であるテオから習っていたが、実戦に立たせてもらったことはほとんどなかった。しかし、たとえ経験に乏しいとしてもミヤミはプロで、尾行というのは注意を(おこた)りさえしなければ察知できないものではない。そして、彼女の後ろにいるのは素人だった。尾行というより、単なる様子見といったほうが近い。それでも、何気なさを装って、一定の距離を保ってついてきている。

 物取りか、とミヤミは推測した。行きがかり上仕方がなかったとはいえ、若い女性が高価な荷運び竜(ポーター)を連れて、薬屋について尋ねて回っていたのだ。ある程度のまとまった金を持ちあわせていると見なされて当然だった。格好の標的になってしまったに違いない。ミヤミはくるりと踵を返してもと来た道を引き返しはじめた。人通りの少ない場所で待ちぶせをされているのだとしたら、道を変えるのがもっとも無難だからだ。

 予想外の行動をとられてしまったせいか、背後にいたはずの男が慌てて出てきた。「おい、嬢ちゃん、どこに行くんだい――」
 その手に襟首をつかまれるよりも早く、ミヤミの身体はこの危機的状況に反応した。
 わずかに腰をかがめるだけでそれをかわし、手綱で合図を送りながら「ドゥーガル、ゴー」と竜に命じ、そして走りだす。その三つの動きをほとんど同時にやった。

 行く手をさえぎる者を次々に押しのけ、走りつづける。背後からは、待ちぶせしていたはずの男(たち?)が追ってきているかもしれない。目の前には、もうひとりが待ち構えていた。フードをつかまれそうになった瞬間、ミヤミはひらりと身を翻し、服の裾をつかんでぐいと引くと男にたたらを踏ませ、すかさず足払いをかけた。男はあらがう間もなく倒れた。とっさに露店の屋根を支える部分をつかんだせいで、男が倒れるときに同時に屋根の一部がくずれ、果物がごろごろと道路に転がっていく。背後は悲鳴に歓声にと大騒ぎになっていた。

 あまり体格がよくなくて助かった、と思いながら、広場のほうへ駆けつづける。ドゥーガルと呼吸を合わせ、ひと息でその背に駆けのぼった。荷運び竜(ポーター)の走り方は鶏に似ている。首が勢いよく前後に揺れるし、おまけに一方向に思いっきり走る以外のことはできないので、ミヤミを乗せたドゥーガルは広場の中ほどまで勢いよく走りつづけ、そして満足して「ググッ」と鳴いて止まった。

「よしよし、どうもありがとう」
 ローブのポケットからやわらかい豆を取りだして、口のなかに入れてやる。ドゥーガルは名の知れない雑種の荷運び竜(ポーター)だが、丈夫で我慢強く、考え得る限り最高の相棒と言ってよかった。しかもちょっとした茶目っ気も持ちあわせていて、真面目一辺倒な性格のミヤミにはそれもありがたい。

 もっとも大切なことは、ドゥーガルはフィルバート・スターバウが選んでくれた竜だ、ということだった。彼女と同じ〈ハートレス〉でありながら、オンブリア最高の戦士である男。ミヤミが尊敬してやまない男だ。

「まわり道をしていこうね」
 声をかけて、竜にまたがった。来た道にじっと目を向ける。さきほどの男たち二人に加えて、さらに体格のいい男が二人、こちらに向かって走って来ている。全員が徒歩なので、ミヤミはぎりぎりまで引きつけておいた。「ドゥーガル、行こう!」首を叩くと、竜は勢いよく走りだした。男たちの真横を通りぬけることに、心配はまったくなかった――ドゥーガルはいまいましいほど飛び蹴りに長けている。思った通り、調教師たちも一撃で逃げ出す強烈な蹴りが、スキンヘッドの男の顔面に入った。返す脚でもう一人の男が胸を押されてのけぞり、そのままあおむけに倒れた。タマリスの下町では、どんな悪童もドゥーガルの進行方向を邪魔しないように細心の注意を払う。彼らが見たらきっと「それ見たことか」と言うだろう。

「このまま済めばいいけれど……」
 街に入ったときに、おおよその地図は頭に入れている。たいした時間のロスもなく教会前の小広場までたどり着いた。

  ♢♦♢
 
 息をととのえながら、ミヤミは大聖堂に入っていった。田舎町らしい素朴な作りの建物だ。礼拝の日ではないが、治療を待つ者たちが十数名ほど、礼拝用の椅子に座って順番を待っていた。天井の明かり取りの窓から差す光が中央に落ちて、診察風景を絵画のように彩っていた。その中央にいるのは、きわめて美しい女性だった。

君子薊(クンシアザミ)を使うですって?」鈴を鳴らすような声には、不釣り合いなほどの嘲りが含まれていた。

「けっこうだこと。どこもかしこも山羊の糞みたいなにおいになるうえ、消毒以上の効用は期待できないけれど」
「では、北鋸草(ノースヤロウ)を?」
 元斎姫は、いかにもわかりきったことをなぜ聞くのかという顔でうなずいた。手伝い役らしい司祭が、あわてて薬箱を引っかきまわしている。

 ミヤミは彼女の施療が終わるのを待って近づいた。「閣下」

 だが、呼びかけても、アーシャは顔すら向けなかった。気がついていないはずもないのに、音に聞こえたわがまま姫は健在なようだ。平常心が大切、と自分に言い聞かせ、かつりと足元をそろえた。
「自由旅行中の突然の訪問、失礼いたします」

 アーシャは、ようやくちらと顔を上げた。肩の上で切りそろえた銀髪が、彼女の動きとともにふわりと揺れる。「どこのみすぼらしい村娘かと思ったら、見たことのある顔ね」

「リアナ陛下付きの女官で、ミヤミと申します」
 アーシャがうなずいたように見えたので、ミヤミは続けた。「デイミオン陛下のご命令で、あなたをお探ししておりました。タマリスで――」
「デイミオン

?」アーシャがさえぎった。「あの北部の小娘を蹴落として、ついに自分が王位に就いたっていうわけね。それがあの男の本性ということよ。わたくしにはわかっていたわ」


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登場人物紹介

リアナ・ゼンデン

本作の主人公。竜騎手(ライダー)にあこがれる平凡な田舎少女だったが、竜たちの王となる運命が待っていた。

すなおで活発、売られたケンカは買うタイプ。

養父の教育もあり、なかなかの政治手腕を見せることも。

デイミオン・エクハリトス(デイ)

フィルに続き里にリアナを迎えに来た竜騎手。彼女の次の王位継承権を持つ。

王国随一の黒竜アーダルの主人(ライダー)。

高慢な野心家で、王位をめぐってリアナと衝突するが……。

群れを率いるアルファメイルで、誇り高く愛情深い男でもある。

フィルバート・スターバウ(フィル)

襲撃された里からリアナを救いだした、オンブリアの元軍人。彼女をつねに守るひそかな誓いを立てている。

ふだんは人あたりよく温厚だが、じつは〈竜殺し〉〈剣聖〉などの二つ名をもつ戦時の英雄。

リアナに対しては過保護なほど甘いものの、秘密をあかさないミステリアスな一面ももつ。

レーデルル(ルル)

リアナが雛から育てた古竜の子ども。竜種は白で、天候を操作する能力をもつ。

グウィナ卿

五公(王国の重要貴族)の一員で、黒竜のライダー。私生活ではデイ・フィルの愛情深い叔母、二児の母。

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