3-4. 王都の密談 ①
文字数 1,978文字
王太子デイミオンは、窓に片側の頭を当て、長い腕と足を組み、湖の上をわたっていく灰色の雲を見るともなしに眺めていた。エンガス卿のタウンハウスは王都タマリス、湖の近くにある。
やはり、雨が降りだした。重い雨粒が窓ガラスを打ち、線状にしたたって落ちていく。悪天候が好きな黒竜アーダルは今ごろ、西の海辺で遊んでいるだろう。豪速で海の中まで突っ込んでいっては、沖の漁船を死ぬほど驚かしたりして。
普段なら考えもしないような、子どもじみたささいな空想をしているのは、時間を持て余しているせいだった。屋敷の応接間は、持ち主の資産を考えればそれほど贅沢なものではないが、希少な美術書や医学書が並び、家具の選びにも趣味の良さがうかがえる。ここに通されてもう二刻になるのでいい加減イライラしていたが、たとえ夕方まで待たされるとしても、デイミオンはそれを甘受するつもりだった。予想以上に客を待たせて焦らしたり、逆に自分から親しげに出向いて喜ばせたり――と、エンガス卿が若い貴族を翻弄しつつ、自分の思う通りに動かすさまを何度も目にしてきたからだ。
――少なくとも、まあ、若造だと舐められていることを逆手に取る戦略くらいは思いつくかもしれん。
そう思って二、三の会話を組み立てては、またやめてため息をついた。最近、あまり考え事に集中できない。
ぼんやりしていると、ついリアナのことを考えてしまう。彼女と、自分の弟のことを。正確には、彼ら二人が床を共にしたという事実をだ。
最初のうちこそ、繁殖期 のルールを破った二人への猛烈な怒りに襲われていたが、こうやって彼らがいなくなってみると、だんだんと自分の正しさに自信がなくなってくるのを感じる。
子どもを持つことが竜族の男の義務と信じ、リアナもそれを理解するべきだと、自分の繁殖期 の務めをやめることなく彼女にはただ待つことを強いてきた。けれど、あの嵐の夜に〈呼 ばい〉のつながりから彼女の満ち足りた心と交合の歓 びがはっきりと伝わってきて、自分が絶望的なまでにそれに耐えられないことに気がついてしまったのだった。自分がほかの女性と夜の営みをはたしている幾夜ものあいだ、彼女はひとりでその苦しみに耐えていたのだ。その重さと苦しみを知ったいまとなっては、ついに耐えられなくなった彼女が自分を見限ったとしても文句は言えないような気がした。結局のところ、彼女が欲しがっていたものを最初に与えた男は、自分ではなくフィルバート・スターバウなのだから。
弟に対する怒りをどう収めればいいのかもわからない。〈ハートレス〉として竜族の男の生活から除外されてきたフィルバートが、もしかしたらはじめて愛して結ばれた女性がリアナかもしれないのだ。もし出奔したのが兄である自分への罪悪感からだとしたら、家族として彼を理解して許してやるべきではないか、と思うのだが、気持ちがついていかない。
デイミオンは〈摂政王子〉で〈黒竜大公〉であり、これまでの人生を軍人、指揮官、庇護者としてふるまってきた。彼はアーダル同様、オンブリアの雄のなかの雄 だった。そして、忍耐と寛容さは、エクハリトス家の男の美徳ではない。
問題は主人 であるデイミオンの怒りは、そのアーダルの制御を危うくさせる。アーダルの暴走は、そのままオンブリアの滅亡につながりかねない凶事となる。……堪えねば。だが……
あれこれと思いわずらっているうち、エンガス卿にとって都合の良いタイミングが来たらしい。扉が開いて、従僕が案内を申し出た。
てっきりエンガスの私室に案内されるものだと思っていたが、従僕はデイミオンを屋敷に隣接した温室へと連れていった。社交上の知識としていちおう蘭だとはわかるが、それ以外には見当もつかないほど多様な形をした花が鉢に並んでいる。よく見るピンク色の大きなもの、シラサギが翼を広げているような形のもの、奇妙な小人の群れのようなもの。
リアナに花くらい贈るべきだっただろうか、などと益体もつかないことをまた考える。ただ関心を引くためにだけそんなことをしても、おそらく笑顔を見せてはくれるまい。そういえば、しばらく彼女の笑顔を見ていない。謁見室で見せる仮面のような微笑みではなく、ちょっとした冗談を言うときのいたずらっぽい顔や、自分の前を歩いていた彼女がふと振り返って見せてくれる照れくさそうな笑みや――……
「考え事をしておられるのかな。美丈夫が花を見ているさまは絵になるものだ」
背後から声をかけられ、デイミオンはゆったりと振りかえった。恋わずらいの真っ最中だろうが、腐っても竜騎手。かすかな足音を聞き逃すようなことはない。
やはり、雨が降りだした。重い雨粒が窓ガラスを打ち、線状にしたたって落ちていく。悪天候が好きな黒竜アーダルは今ごろ、西の海辺で遊んでいるだろう。豪速で海の中まで突っ込んでいっては、沖の漁船を死ぬほど驚かしたりして。
普段なら考えもしないような、子どもじみたささいな空想をしているのは、時間を持て余しているせいだった。屋敷の応接間は、持ち主の資産を考えればそれほど贅沢なものではないが、希少な美術書や医学書が並び、家具の選びにも趣味の良さがうかがえる。ここに通されてもう二刻になるのでいい加減イライラしていたが、たとえ夕方まで待たされるとしても、デイミオンはそれを甘受するつもりだった。予想以上に客を待たせて焦らしたり、逆に自分から親しげに出向いて喜ばせたり――と、エンガス卿が若い貴族を翻弄しつつ、自分の思う通りに動かすさまを何度も目にしてきたからだ。
――少なくとも、まあ、若造だと舐められていることを逆手に取る戦略くらいは思いつくかもしれん。
そう思って二、三の会話を組み立てては、またやめてため息をついた。最近、あまり考え事に集中できない。
ぼんやりしていると、ついリアナのことを考えてしまう。彼女と、自分の弟のことを。正確には、彼ら二人が床を共にしたという事実をだ。
最初のうちこそ、
子どもを持つことが竜族の男の義務と信じ、リアナもそれを理解するべきだと、自分の
弟に対する怒りをどう収めればいいのかもわからない。〈ハートレス〉として竜族の男の生活から除外されてきたフィルバートが、もしかしたらはじめて愛して結ばれた女性がリアナかもしれないのだ。もし出奔したのが兄である自分への罪悪感からだとしたら、家族として彼を理解して許してやるべきではないか、と思うのだが、気持ちがついていかない。
デイミオンは〈摂政王子〉で〈黒竜大公〉であり、これまでの人生を軍人、指揮官、庇護者としてふるまってきた。彼はアーダル同様、オンブリアの
問題は
怒り
だ。男なら誰しも自分のなかの怪物性を恐れるものかもしれないが、デイミオンのそれは規模が違った。彼と絆をつなぐ黒竜アーダルは、オンブリアすべての雄竜を統率しており、あれこれと思いわずらっているうち、エンガス卿にとって都合の良いタイミングが来たらしい。扉が開いて、従僕が案内を申し出た。
てっきりエンガスの私室に案内されるものだと思っていたが、従僕はデイミオンを屋敷に隣接した温室へと連れていった。社交上の知識としていちおう蘭だとはわかるが、それ以外には見当もつかないほど多様な形をした花が鉢に並んでいる。よく見るピンク色の大きなもの、シラサギが翼を広げているような形のもの、奇妙な小人の群れのようなもの。
リアナに花くらい贈るべきだっただろうか、などと益体もつかないことをまた考える。ただ関心を引くためにだけそんなことをしても、おそらく笑顔を見せてはくれるまい。そういえば、しばらく彼女の笑顔を見ていない。謁見室で見せる仮面のような微笑みではなく、ちょっとした冗談を言うときのいたずらっぽい顔や、自分の前を歩いていた彼女がふと振り返って見せてくれる照れくさそうな笑みや――……
「考え事をしておられるのかな。美丈夫が花を見ているさまは絵になるものだ」
背後から声をかけられ、デイミオンはゆったりと振りかえった。恋わずらいの真っ最中だろうが、腐っても竜騎手。かすかな足音を聞き逃すようなことはない。