3-3. 花火と半死者 ③
文字数 2,653文字
その言葉を合図にするかのように、陶器が割れる高く音楽的な音が響いた。驚いて声を上げる者、花瓶のまわりから飛びあがるように逃げる者もいるが、いっせいに上がりだした花火の音にかき消され、多くの者は気がつかない。
破裂した水が雨のように降りそそいだ。重力に従わない水の動きは、明らかに竜の力を受けたものだ。
「陛下! お下がりください!」
ハダルクの声は思ったよりもずっと近くで聞こえた。背後からいっせいに竜騎手 たちがあらわれ、青年をめがけて切りかかった。
青年の口が小さく動いた。
勢いよく向かってくる火球が、一瞬消えたかと思うと、分裂して四方からリアナを襲う。ハダルクの舌打ちが聞こえ、火球は一瞬でかき消えた。
竜騎手 たちは全員、凍りついたかのように動かない。
「あっは、おもしれぇ……」
デーグルモールは手を打った。「来たれ息吹 ……あ、もうダメか」
「無駄だ。ライダー全員の〈呼 ばい〉を閉じさせた。たったいまな」
ハダルクがうなる。「なんて方法を使うんだ。われわれ竜騎手 の竜との絆に、〈呼び手 〉として割って入るなんて」
「だって俺、いま自分の竜連れてきてないもんな」
(この男、なにを言っているの?)
リアナはいぶかしむ。時間稼ぎをしたいのは、こっちのはず。それなのに、無駄口を聞いて時間を浪費している。まさか――
〔ハダルク! 増援があるのかも――〕
だが、呼びかけたリアナは絶句した。全員、彼女との〈呼 ばい〉を断ち切っている。
「古竜を使うのに、こんな方法があるなんてなぁ。里では同胞 もやられちまったけど、多少の収穫はあったよ。あのオッサンなぁ……」
その言葉で、リアナはすべてを理解し、怒りが全身を駆けめぐった。ロッタを殺したデーグルモールは、おそらく彼と相討ちになっただろう。けれど、目の前のこの男は、それを近くで見ていたのだ。ロッタの最期を。
「
自分で発した言葉が、自分に火を点けたようだった。しかしその炎は凍るように冷たい。焼きつくすように怒りとともに広がる、凍る炎、霜の火だ。リアナは凍る力を使って目の前のデーグルモールに襲いかかりたい衝動を必死でこらえた。あの力を使うと、自分の腕に浮き出る不気味な紋様を知られてしまう。
心を鎮めるすべを必死で探っているうち、自然とデイミオンに呼びかけていた。
〔デイミオン――〕
〔助けて、デイミオン〕
〈呼 ばい〉の絆は、間違いなくそこにあった。しかし、彼からの応答はなかった。
怒りは甕 を満たすように、ひたひたとリアナの内側を侵食していった。ぞっとするような感覚があった――縁 を超えれば、自分はまた、あの霜の火を起こしてしまう。すべてを凍らせ、あのデーグルモールと同じになってしまう。
焦りが絶望に変わろうとしたとき、視界の端でなにかが動いた。デーグルモールが、「ぐあっ」とうめく。すぐになにが起こったのかわからなかったのは、それがリアナの死角になっているからだった。男がくずおれるように膝をつくと、背中に短剣の柄が見えた。
割れかかった巨大な花瓶の影から、なにかが素早く、しかし獣のようにそっと跳びだして男に襲いかかった。あまりに速いのと、闇のためにすぐには特定できない。が……
それは〈ハートレス〉の兵士、護衛のケブだとわかった。ついさっきまで、リアナの隣にいたはずだが、いったいいつ移動したのか。そして、長剣だけでなく短剣も扱えるのか。
襲いかかられたデーグルモールの動きは予想外に素早かった。膝をついた状態から転がるようにしてケブの剣を避ける。突き刺す動きからすぐに横薙ぎに動いた剣を、今度は後ろに跳んでかわす。それだけでも、並の身体能力ではないことがうかがえた――つい数か月前のリアナの戴冠式で、この〈ハートレス〉の兵士はやすやすと竜騎士の剣をかわして叩き斬ったのだから。しかも、最初の一撃は完全に背後からだった。
間髪を置かずに次の一撃。今度は、甲高い金属音が響いた。
(あの男、短剣を抜いたんだわ)
あの軽装でもそれくらいの装備は持っているだろうが、この攻撃の合間に抜いて構えたというのに驚く。ぼたっ、と液体音がしたのは、背中から流れ落ちた血だろうか。
「網 ってヤツを使ってるんだろ? 腐りかけとはいえ、あんたも乗り手 だから」
剣と短剣を合わせた状態で、ぎりぎりと押しながらケブが言う。
「でも、〈心臓持ち〉しか捕らえてなかった。そこがうかつだったな」
場にそぐわないが、リアナはケブがこんなにしゃべるのをはじめて聞いた、と思った。
「〈ハートレス〉か……! クソが!」デーグルモールは血を吐いた。
この男を確保できるかもしれないという希望が見えた。男と比べ、ケブはあきらかに技術や体格面で上回っている。すでに押しはじめていて、あと一歩で――
だが、ケブはちらりとリアナのほうを見て、押しあったその姿勢のまま、動きを止めた。
「なにをやってるの? はやく――」
「そこまでになさってください、竜王陛下!」
鋭い声が背後から飛んだ。
鎧の金属音をさせながら、ガエネイス王の近衛兵たちがばらばらと集まってきた。他国の王への敵意がないことを示すために剣から手をあげているが、オンブリアの竜騎手 たちとのあいだに緊張が走る。
「その方はわれわれの王の賓客です。どうか、その兵士を下がらせてください」
「まあ、ずいぶん行儀の悪い賓客もあったものね」
振りかえったリアナは冷笑した。そして、隣に控えるハダルクに目で合図を送った。ハダルクはうやうやしくひざまずくと、王に剣を手渡した。
「だけど、わたしは無礼を働かれるのが好きじゃないの。わかる? いったいどこの下郎が、竜族の王に妄言を吐いたのかしら?」
暗に、情報を出さないならこのデーグルモールを手打ちにするとほのめかしている。デイミオンの副官を長く務めるハダルクは、王族たちのこういった小芝居には慣れているが、指揮官らしい男は苦々しい顔つきになった。
芝居の意味は伝わったのだろう。近衛の指揮官程度に、王であるリアナの処遇をうんぬんすることができない以上、このデーグルモールを無事連れて帰りたければ、なにか対価が必要となる、ということだ。
「……そこのお方は、デーグルモールの指導者、ダンダリオン様のご子息、イオ殿であられます。どうか、失礼のほどはひらにご寛恕を。竜王リアナ陛下」
なるほど、それがあの男の名前か。ケブに抑えられ、膝をついているデーグルモールを見下ろすと、イオはぺっと唾を吐いた。
破裂した水が雨のように降りそそいだ。重力に従わない水の動きは、明らかに竜の力を受けたものだ。
「陛下! お下がりください!」
ハダルクの声は思ったよりもずっと近くで聞こえた。背後からいっせいに
青年の口が小さく動いた。
放て矢
。勢いよく向かってくる火球が、一瞬消えたかと思うと、分裂して四方からリアナを襲う。ハダルクの舌打ちが聞こえ、火球は一瞬でかき消えた。
「あっは、おもしれぇ……」
デーグルモールは手を打った。「来たれ
「無駄だ。ライダー全員の〈
ハダルクがうなる。「なんて方法を使うんだ。われわれ
「だって俺、いま自分の竜連れてきてないもんな」
(この男、なにを言っているの?)
リアナはいぶかしむ。時間稼ぎをしたいのは、こっちのはず。それなのに、無駄口を聞いて時間を浪費している。まさか――
〔ハダルク! 増援があるのかも――〕
だが、呼びかけたリアナは絶句した。全員、彼女との〈
「古竜を使うのに、こんな方法があるなんてなぁ。里では
その言葉で、リアナはすべてを理解し、怒りが全身を駆けめぐった。ロッタを殺したデーグルモールは、おそらく彼と相討ちになっただろう。けれど、目の前のこの男は、それを近くで見ていたのだ。ロッタの最期を。
「
あなたたちがロッタを殺した
」自分で発した言葉が、自分に火を点けたようだった。しかしその炎は凍るように冷たい。焼きつくすように怒りとともに広がる、凍る炎、霜の火だ。リアナは凍る力を使って目の前のデーグルモールに襲いかかりたい衝動を必死でこらえた。あの力を使うと、自分の腕に浮き出る不気味な紋様を知られてしまう。
心を鎮めるすべを必死で探っているうち、自然とデイミオンに呼びかけていた。
〔デイミオン――〕
〔助けて、デイミオン〕
〈
怒りは
焦りが絶望に変わろうとしたとき、視界の端でなにかが動いた。デーグルモールが、「ぐあっ」とうめく。すぐになにが起こったのかわからなかったのは、それがリアナの死角になっているからだった。男がくずおれるように膝をつくと、背中に短剣の柄が見えた。
割れかかった巨大な花瓶の影から、なにかが素早く、しかし獣のようにそっと跳びだして男に襲いかかった。あまりに速いのと、闇のためにすぐには特定できない。が……
それは〈ハートレス〉の兵士、護衛のケブだとわかった。ついさっきまで、リアナの隣にいたはずだが、いったいいつ移動したのか。そして、長剣だけでなく短剣も扱えるのか。
襲いかかられたデーグルモールの動きは予想外に素早かった。膝をついた状態から転がるようにしてケブの剣を避ける。突き刺す動きからすぐに横薙ぎに動いた剣を、今度は後ろに跳んでかわす。それだけでも、並の身体能力ではないことがうかがえた――つい数か月前のリアナの戴冠式で、この〈ハートレス〉の兵士はやすやすと竜騎士の剣をかわして叩き斬ったのだから。しかも、最初の一撃は完全に背後からだった。
間髪を置かずに次の一撃。今度は、甲高い金属音が響いた。
(あの男、短剣を抜いたんだわ)
あの軽装でもそれくらいの装備は持っているだろうが、この攻撃の合間に抜いて構えたというのに驚く。ぼたっ、と液体音がしたのは、背中から流れ落ちた血だろうか。
「
剣と短剣を合わせた状態で、ぎりぎりと押しながらケブが言う。
「でも、〈心臓持ち〉しか捕らえてなかった。そこがうかつだったな」
場にそぐわないが、リアナはケブがこんなにしゃべるのをはじめて聞いた、と思った。
「〈ハートレス〉か……! クソが!」デーグルモールは血を吐いた。
この男を確保できるかもしれないという希望が見えた。男と比べ、ケブはあきらかに技術や体格面で上回っている。すでに押しはじめていて、あと一歩で――
だが、ケブはちらりとリアナのほうを見て、押しあったその姿勢のまま、動きを止めた。
「なにをやってるの? はやく――」
「そこまでになさってください、竜王陛下!」
鋭い声が背後から飛んだ。
鎧の金属音をさせながら、ガエネイス王の近衛兵たちがばらばらと集まってきた。他国の王への敵意がないことを示すために剣から手をあげているが、オンブリアの
「その方はわれわれの王の賓客です。どうか、その兵士を下がらせてください」
「まあ、ずいぶん行儀の悪い賓客もあったものね」
振りかえったリアナは冷笑した。そして、隣に控えるハダルクに目で合図を送った。ハダルクはうやうやしくひざまずくと、王に剣を手渡した。
「だけど、わたしは無礼を働かれるのが好きじゃないの。わかる? いったいどこの下郎が、竜族の王に妄言を吐いたのかしら?」
暗に、情報を出さないならこのデーグルモールを手打ちにするとほのめかしている。デイミオンの副官を長く務めるハダルクは、王族たちのこういった小芝居には慣れているが、指揮官らしい男は苦々しい顔つきになった。
芝居の意味は伝わったのだろう。近衛の指揮官程度に、王であるリアナの処遇をうんぬんすることができない以上、このデーグルモールを無事連れて帰りたければ、なにか対価が必要となる、ということだ。
「……そこのお方は、デーグルモールの指導者、ダンダリオン様のご子息、イオ殿であられます。どうか、失礼のほどはひらにご寛恕を。竜王リアナ陛下」
なるほど、それがあの男の名前か。ケブに抑えられ、膝をついているデーグルモールを見下ろすと、イオはぺっと唾を吐いた。