2-5. 悲しい別れ ①
文字数 1,769文字
「リアナ……!」
ここで悲鳴を上げられては危ない。フィルは少女の肩を抱いて耳元で囁いた。「リアナ、落ち着いて……!」
が、震えも悲鳴も止まなかった。
残兵がいれば気づかれる。非常事態だ、やむを得ないとフィルは手刀をかまえた。少女の首筋に打ち下ろそうとしたその瞬間、空が暗く陰った。
風を切る大きな羽ばたき、空が陰って暗く見えるほどの巨体。動く城のような黒竜がまず着地し、そこから一人の男が飛び降りた。竜の乗り手にふさわしい堂々たる体躯 を、竜騎手団の紺色の長衣 が包む。
「デイミオン」
「フィルバート」
男たちはそれぞれの名前を呼び、しばし絶句する。惨状を前に言葉もないのは、戦場に慣れているはずの二人にしても同じだった。デイミオンと呼ばれた黒竜の主人に、わずかに緊張が走ったように見えた。
「なぜおまえがここにいる?」
二人の男は間近に対峙 し、お互いを観察した。片方は警戒心をあらわにしているが、フィルのほうは、敵意はないと示すために軽く両手を挙げてみせた。
「別ルートだよ。目的は同じだろう? 俺のほうが近かった。それだけだ」
「信用できんな。〈血の呼 ばい〉を確認してから
竜騎手 のほうは、まだ剣の柄に手をかけたままだ。「……襲撃か?」
フィルはうなずき、報告する。
「早朝から昼にかけて襲われた。服装や武器はバラバラで山賊風だったけど、妙に統率が取れていた。古竜の支援もあったように見えるのが気になる」
「おまえがタイミングよくここに現れたことのほうが、私は気になるがな。……半年も行方知れずになっておいて、今さらどういうわけだ? なぜ継承者の居場所がわかったんだ?」
「単独行動は謝るよ。あとでちゃんと報告書も出すから。……それより、あとで本隊が来るかもしれない。すぐに、アーダルで出られるか?」
「ああ」竜騎手 はちらりと空を確認する。
「デーグルモールたちと出くわしたが、半分ほど撃墜して残りは敗走した。ここから引き上げる最中だったかもしれない」そう言って首を振る。「もう少し早く駆けつけられればな」
「デーグルモール……じゃあ、古竜はそっちの支援だったのか」
「おそらくな」
ライダーも納得したようにうなずいた。
「それより、いま確認してほしいんだけど」
肩を抱いたままの少女をそっと男に見せて問う。「……継承者は、彼女か?」
相変わらず目の焦点は合っていないが、悲鳴は止んでいた。黒竜の登場に驚いたのが功を奏したらしかった。
「ああ、間違いない」リアナを見つめ、竜騎手 が冷静にうなずく。
「王が崩御なされてから一日、〈血の呼 ばい〉はずっとここから送られていた。私はそれを頼りに飛んできたんだ」
「彼女は、昨晩から『引っ張られる感じ』がなくなった、と」
「王が死ねば継承権が移る。私は彼女の次の〈継承者〉だ。……つまり」
残酷なほど晴れた空の下、竜騎手 が宣言した。
「彼女が、オンブリアの次の王だ」
ひとつ分の呼吸を置き、にやりと笑う。「そして、彼女がいなければ、私が王となる」
♢♦♢
しばらく、呆然としていたらしい。その間に、二人の男は里と彼女のことについて何がしかの合意に至ったらしかった。
「……リアナ」
呼びかけるフィルの瞳には、気づかわしげな色が浮かんでいた。
「今はとてもそんな気分になれないことはわかってるけれど、すぐに出発しなきゃいけないんだ」
「……出発……って、どこへ?」
のろのろと尋ねた。「ここは、わたしの村なのに」
「ここは危険な場所なんだ。もっとたくさんの兵士がすぐにやってくるかもしれない」
恐ろしい言葉に、思わず肩が震える。
「でも、どうして? あの人たち、どうしてわたしの村を襲ったの?」
「……今はわからない」フィルは首を振る。「推測なら、いくつか。それはおいおい話すよ。でも、今は急ごう」
肩に置かれた手は力強く、温かい。きっと彼は信用できる。
いや、信用してしまえ、と心が言っている。
だってもしフィルが、この優しい青年が信じられないとしたら、
(
それがあまりにも恐ろしくて、どうしても顔を上げられない。胸のなかが嵐のようだ。どうせなら有無を言わさず連れさってくれればよかったのに。
「わたし……わたし、行けない」
結局、小さな声でそう言った。
ここで悲鳴を上げられては危ない。フィルは少女の肩を抱いて耳元で囁いた。「リアナ、落ち着いて……!」
が、震えも悲鳴も止まなかった。
残兵がいれば気づかれる。非常事態だ、やむを得ないとフィルは手刀をかまえた。少女の首筋に打ち下ろそうとしたその瞬間、空が暗く陰った。
風を切る大きな羽ばたき、空が陰って暗く見えるほどの巨体。動く城のような黒竜がまず着地し、そこから一人の男が飛び降りた。竜の乗り手にふさわしい堂々たる
「デイミオン」
「フィルバート」
男たちはそれぞれの名前を呼び、しばし絶句する。惨状を前に言葉もないのは、戦場に慣れているはずの二人にしても同じだった。デイミオンと呼ばれた黒竜の主人に、わずかに緊張が走ったように見えた。
「なぜおまえがここにいる?」
二人の男は間近に
「別ルートだよ。目的は同じだろう? 俺のほうが近かった。それだけだ」
「信用できんな。〈血の
こちら
が出発して、丸一日と経っていない」フィルはうなずき、報告する。
「早朝から昼にかけて襲われた。服装や武器はバラバラで山賊風だったけど、妙に統率が取れていた。古竜の支援もあったように見えるのが気になる」
「おまえがタイミングよくここに現れたことのほうが、私は気になるがな。……半年も行方知れずになっておいて、今さらどういうわけだ? なぜ継承者の居場所がわかったんだ?」
「単独行動は謝るよ。あとでちゃんと報告書も出すから。……それより、あとで本隊が来るかもしれない。すぐに、アーダルで出られるか?」
「ああ」
「デーグルモールたちと出くわしたが、半分ほど撃墜して残りは敗走した。ここから引き上げる最中だったかもしれない」そう言って首を振る。「もう少し早く駆けつけられればな」
「デーグルモール……じゃあ、古竜はそっちの支援だったのか」
「おそらくな」
ライダーも納得したようにうなずいた。
「それより、いま確認してほしいんだけど」
肩を抱いたままの少女をそっと男に見せて問う。「……継承者は、彼女か?」
相変わらず目の焦点は合っていないが、悲鳴は止んでいた。黒竜の登場に驚いたのが功を奏したらしかった。
「ああ、間違いない」リアナを見つめ、
「王が崩御なされてから一日、〈血の
「彼女は、昨晩から『引っ張られる感じ』がなくなった、と」
「王が死ねば継承権が移る。私は彼女の次の〈継承者〉だ。……つまり」
残酷なほど晴れた空の下、
「彼女が、オンブリアの次の王だ」
ひとつ分の呼吸を置き、にやりと笑う。「そして、彼女がいなければ、私が王となる」
♢♦♢
しばらく、呆然としていたらしい。その間に、二人の男は里と彼女のことについて何がしかの合意に至ったらしかった。
「……リアナ」
呼びかけるフィルの瞳には、気づかわしげな色が浮かんでいた。
「今はとてもそんな気分になれないことはわかってるけれど、すぐに出発しなきゃいけないんだ」
「……出発……って、どこへ?」
のろのろと尋ねた。「ここは、わたしの村なのに」
「ここは危険な場所なんだ。もっとたくさんの兵士がすぐにやってくるかもしれない」
恐ろしい言葉に、思わず肩が震える。
「でも、どうして? あの人たち、どうしてわたしの村を襲ったの?」
「……今はわからない」フィルは首を振る。「推測なら、いくつか。それはおいおい話すよ。でも、今は急ごう」
肩に置かれた手は力強く、温かい。きっと彼は信用できる。
いや、信用してしまえ、と心が言っている。
だってもしフィルが、この優しい青年が信じられないとしたら、
(
わたしはこれを一人で受けとめないといけなくなる
)それがあまりにも恐ろしくて、どうしても顔を上げられない。胸のなかが嵐のようだ。どうせなら有無を言わさず連れさってくれればよかったのに。
「わたし……わたし、行けない」
結局、小さな声でそう言った。