1-1. 繁殖期(シーズン) ①

文字数 3,113文字

 デイミオンは鏡に映した自身を確認した。

 正装用の絹のシャツ、その上にはおった黒い長衣(ルクヴァ)は銀糸の縫い取りが入ったもの。腰の剣帯に吊るしているのは普通の剣より一回り小さい君子剣。かさばる鎧がないので、なんとなく無防備に見える。陽に焼けなくてももともと浅黒い肌。城に出入りする詩人たちからは美丈夫だとほめそやされているが、鏡に映る顔だちはいかめしく、いかにも男性的で、女性に騒がれそうな優男の雰囲気はない。

「鏡に見とれるなんて珍しいですね」
 デイミオンの長衣(ルクヴァ)を整えていたハダルクが、ふくみ笑いをした。「自分の男ぶりを確認しておられたんですか?」

「自分の顔を確認するのは、一年でこの時だけだな」
「もったいない。竜族一の美丈夫が」
「おまえまでそれを言うのか」
「出入りの詩人たちは、みんなそう歌ってるじゃありませんか。エクハリトスの竜顔だとか、乙女たちの夢の貴公子だとか」

「くだらん」袖口のボタンを留めながら、一蹴する。「あいつらは権力者をおだてて金をもらうのが仕事だろうが。目と鼻と口の数さえ揃っておけば、どんな男だろうが英雄にする」
「それでも、あなたは美男子ですけどね」ハダルクの口調には年長者の優しさがこめられていた。「良い繁殖期(シーズン)になるといいのですが」

「今年は期待薄だな」
「去年は、アーシャ姫が

になりましたからね」
「アーシャか……」デイミオンは顔をしかめた。

 昨年の冬、まだ彼が正式には王太子の地位になく、王となる予定の少女を城に連れてきてすぐの頃、デイミオン・エクハリトスには婚約者がいた。竜族に婚約の慣習はないが、しいていえばひとつの繁殖期(シーズン)をともに過ごす仮決めというくらいの意味になる。
 しかし、そのアーシャ姫は現王リアナへの叛逆を企て、目下、幽閉されて取り調べを受ける身である。世間知らずの姫君だけに、背後で誰かにいいようにそそのかされていた可能性もあるわけだが、仮にそれが明らかになっても彼女が存命中に幽閉塔から出られる可能性は限りなく低い。

「でも閣下なら、いまからでもいくらでもお相手はいるかと思いますよ」ハダルクが取りなすように言った。
「いや、そうじゃない」デイミオンはめずらしく言いよどんだ。「今年は新しい相手は探していない。以前からの約束で、断れない家にだけは行くつもりだが」

「おや、それは存じませんでした」ハダルクは内心驚いた。「タナスタス卿にご執心だったじゃないですか?」
「彼女は健康で立派な経産婦だからな。すでに三人も子を産んでいるから、四人目も期待できる。ただ……」

 口ごもる様子の主人に、ハダルクは(本当に珍しい)と思った。デイミオンは典型的な竜族の貴公子の範疇には収まりきれないところもあるが、家を存続させる義務という点では人並み以上に熱心だったはずだ。 

「陛下は〈王の間〉か?」
 デイミオンが聞いてくる。ハダルクはうなずいた。「そう聞いておりますが」
「そうか。……メドロート公もご一緒だろうな?」
「おそらくそうでしょう。陛下は後見のメドロート公とダンスだけ観覧されるはずですよ。『春』のお年で、まだ繁殖期(シーズン)には参加できませんから」
「『夏』の年齢に入るのは来年からか。……若いな」デイミオンは嘆息した。長命な竜族である彼が、年齢に言及するのはとても珍しい。 
「あなただって、私から見ればずいぶん若いですよ。あなたの年齢――夏の三節と言えば、竜族にとってはまだ青年期のはじめなのですから」
 自身は中年、つまり『秋』の年齢に入りつつあるハダルクは、苦笑まじりにそう答えてやった。
「……メドロート公がなにか?」
「公が城にいる間にアポイントを取ってほしいんだが……頼めるか、ハダルク?」

 そこまで聞けば、さすがのハダルクにも事情が呑みこめた。なんと、これは意外な。それとも、当然のなりゆきというべきなのだろうか? リアナ王と王太子デイミオンは、最近急速に関係を深めている。 

 ♢♦♢


 〈王の間〉は華やかな舞踏会場に模様替えされていた。

 古竜が降り立つためふだんは吹き抜けになっている場所だが、今夜は宴の席らしく屋根に当たる部分が布張りされ、光術がガラス飾りを星のようにきらめかせていた。壁際近くにテーブルが配置され、中央はダンスをするために大きく(ひら)けている。壁際の枝付き燭台に刺した蝋燭の火もすべて灯っていて、卓の上の食器や銀器に光を投げかけていた。
 高い位置の玉座からは、そのすべてが一望できた。食器がふれるかちゃかちゃした音、人々の笑いさざめく声。一段低くなった楽団席から、心が浮きたつような弦楽器の曲が流れてくる。ダンスの開始が告げられると、着飾った男女が手に手を取って明かりの下へ滑りでてきた。男性は黒が基調の長衣(ルクヴァ)。女性のドレスはアエディクラやイーゼンテルレのものに比べると露出が少ないが、それでも竜族の優美な身体をひきたてて、色あざやかだ。

 見下ろすリアナは、食事を運ぶ手をとめて、ひとりの男を探した。
 求める人物はすぐに見つかった。〈黒竜公〉デイミオンは、ふだんと違うルクヴァでも人目を引かずにいられない。でも、どれほど多くの人間がいても、いまのリアナは彼を一目で見分けられそうな気がした――いつ、どこにいても、気がつくと彼のことを目で追っているからだ。きわめて高い身長、束ねた黒髪、他人を従える威圧的な身のこなし。

 エスコートしているのは緑のドレスを着た茶色の髪の小柄な少女で、年のころも背丈も、リアナ自身とほとんど変わらないように見えた。

(でも、彼女はわたしとは違う)リアナは陰鬱に考えた。

(彼女はもう繁殖期(シーズン)を迎えているんだわ)
 そして、デイミオンと踊ることができる。あるいは、

のことも。
 

「なんだべした?」
 隣から〈白竜公〉の低い声がした。「にしゃ、こんだけしか、()ねのがぃ。子らはもっと食わねば」

 ダンスをしている会場が明るいせいで、玉座付近は影になって暗い。メドロートはリアナの膳を見て渋い顔をしているようだった。母エリサの叔父だから、リアナにとってはもっとも近い血縁にある五公の一員だ。雪深く閉ざされる北部の領主で、権謀術数うずまくタマリスにあっても疑いなく信じられる実直な初老の男である。政治上のパワーバランスもあって公的な役職にはないが、同じ一族の近しい血縁として、彼女の後見役と目されている。

「こんなところでたくさん食べられないわ。人目もあるし、誰かが踊るのなんか見てもおもしろくもなんともないし」
 リアナはつぶやいた。「それに、子どもじゃない。もう、〈成人の儀〉だって済んだのに」
「んだがし」
 大叔父はとくに(さと)すでもなかったが、内心で子ども扱いされていることはよく身に染みていた。

「こういう場はあなたも苦手なんじゃないの? ネッド」
 ネッド、つまりメドロート・カールゼンデンは、白い長衣(ルクヴァ)を身につけ、髭も形よく整えていた。が、雪に閉ざされた北方の領主は、社交の場に出てこないことで有名だ。
「んだけんじょも、『繁殖期(シーズン)の務め』だば、しょうあんめ。やっちゃぐね、と思えども、子をなすためにはな……」
 それなら、わたしだってあの場にいていいはずなのに、とリアナは思った。王になったって、自分の思うとおりになることなどなにひとつない。目の前でデイミオンがほかの少女たちの手をとり、笑いかけ、踊るのを止めることもできない。

「露台で風にあたってきます」

 メドロートにそう告げ、〈()ばい〉でも同じことを繰りかえした。玉座から立つと、踊っている最中のデイミオンと目があった。彼のほうからは、自分は高いところに立つひとつの影に見えるだろう。先に目をそらしたのは、リアナのほうだった。 
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登場人物紹介

リアナ・ゼンデン

本作の主人公。竜騎手(ライダー)にあこがれる平凡な田舎少女だったが、竜たちの王となる運命が待っていた。

すなおで活発、売られたケンカは買うタイプ。

養父の教育もあり、なかなかの政治手腕を見せることも。

デイミオン・エクハリトス(デイ)

フィルに続き里にリアナを迎えに来た竜騎手。彼女の次の王位継承権を持つ。

王国随一の黒竜アーダルの主人(ライダー)。

高慢な野心家で、王位をめぐってリアナと衝突するが……。

群れを率いるアルファメイルで、誇り高く愛情深い男でもある。

フィルバート・スターバウ(フィル)

襲撃された里からリアナを救いだした、オンブリアの元軍人。彼女をつねに守るひそかな誓いを立てている。

ふだんは人あたりよく温厚だが、じつは〈竜殺し〉〈剣聖〉などの二つ名をもつ戦時の英雄。

リアナに対しては過保護なほど甘いものの、秘密をあかさないミステリアスな一面ももつ。

レーデルル(ルル)

リアナが雛から育てた古竜の子ども。竜種は白で、天候を操作する能力をもつ。

グウィナ卿

五公(王国の重要貴族)の一員で、黒竜のライダー。私生活ではデイ・フィルの愛情深い叔母、二児の母。

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