7-2. 喪失 ②
文字数 1,473文字
レーデルルは主人を守るように翼で包みこむと、警告の合間に意味の分からない言葉をくり返した。
〔システムを取りはずさないでください〕
〔コマンダーのスタンバイ契約は完了しています。外的にシステムを取りはずさないでください。繰り返します〕
〔システムを取りはずさないでください〕
「レーデルル! 翼を退 けてくれ!」フィルが叫んだ。「リアナは無事なのか?!」
竜の声が聞こえない男の訴えに、レーデルルは虹色の大きな瞳を向けた。フィルは剣を構え、悲痛な決意とでもいうほかない顔をしていた。彼女のためならば、もう一度〈竜殺し 〉になると顔に書いてある。
だが、美しい雌竜はそっと翼を退 け、招きいれるようにふわりと動かした。
〔コマンダーの生体危機を確認しました。重篤な危機。命令システム、未確認のラナウェイステート、おそらく? 契約者の交代を許可します。スタンバイ!〕
倒れそうになっているクローナンの肩を抱いて支えているマリウスの目に、信じられないものが映った。
リアナの胸のあたりから、剣の柄が飛び出していた。現実のものとは思えないほど白く鮮烈に輝いている。
〔スタンバイ、スタンバイ〕竜はフィルバートを呼んだ。〔交代を許可します。スタンバイ! アバターを抜いてください〕
「どうするんだ」あっけにとられた顔でフィルバートがふりむき、マリウスは答えを出す必要に迫られた。
「おそらく……それを抜けと言っている」
フィルバート・スターバウが剣を抜いた瞬間、
♢♦♢
夜の始まりはとても暗い青で、日の入りの方角と反対側の水平線付近に広がっている。ある天文学者の母親はそれを「夜の毛布」と呼んだ。そんな話を、竜の背の上で思い出している。
夜のなかの夜、影のなかの王と呼ばれる黒竜アーダルは、めずらしくスピードを出すこともなくゆったりと飛行していた。背中の背鰭 が、かすかに風になびいている。すこし感傷的になっているのかもしれないな、と主人のデイミオンは思った。つがいの相手、白竜レーデルルがタマリスから西へ飛び立って数日が経っている。あるいは、そんなものはなく、単に自分の感傷を竜に投影しているだけかもしれないが。
王宮のほうから、かすかに自分の所在を感知する糸があるのを感じていた。近衛と〈呼び手 〉たちだ。ライダー同士の〈呼 ばい〉の絆が、うっすらと繭のように自分を包んでいる。これほどの上空にいてさえ、完全に孤独になるというのは難しかった。それをわずらわしく思うほど若輩でもないつもりだ。いまや、自分は対外的にはオンブリアの王だった。
母レヘリーンの在位時代から、もしも自分が王ならば、と思うことはあった。それが思わぬ形で叶って、やるつもりだったこと、やらねばならないことに追われる日々は、考えていたよりもずっと早く過ぎ去っていく。
夜のなかで灯台のように輝く王城へ降り立った。冷えた身体を風呂で温めようかと考えたが、やめた。書類仕事がまだ残っている。
自室へ戻ろうとする道すがら、人気のない王の私室の前を通り、つい中を覗きこむ。リアナが軟禁されていた彼女の部屋は、急激な湿気と乾燥とを経験したために使い物にならなくなってしまい、いまは改修の最中にあった。家具が運び出され、壁材が剝がされた部屋は暗闇のなかでさえ広く寒々しく思える。以前は使っていなかった王太子の部屋にいくらか手を入れさせているはずだが、そちらはなんのかのと理由をつけて工事は遅れていた。業者の選定はエンガス公の差配であるため、政治的な妨害の意図はあきらかだった。
〔システムを取りはずさないでください〕
〔コマンダーのスタンバイ契約は完了しています。外的にシステムを取りはずさないでください。繰り返します〕
〔システムを取りはずさないでください〕
「レーデルル! 翼を
竜の声が聞こえない男の訴えに、レーデルルは虹色の大きな瞳を向けた。フィルは剣を構え、悲痛な決意とでもいうほかない顔をしていた。彼女のためならば、もう一度〈
だが、美しい雌竜はそっと翼を
〔コマンダーの生体危機を確認しました。重篤な危機。命令システム、未確認のラナウェイステート、おそらく? 契約者の交代を許可します。スタンバイ!〕
倒れそうになっているクローナンの肩を抱いて支えているマリウスの目に、信じられないものが映った。
それは剣だった
。リアナの胸のあたりから、剣の柄が飛び出していた。現実のものとは思えないほど白く鮮烈に輝いている。
〔スタンバイ、スタンバイ〕竜はフィルバートを呼んだ。〔交代を許可します。スタンバイ! アバターを抜いてください〕
「どうするんだ」あっけにとられた顔でフィルバートがふりむき、マリウスは答えを出す必要に迫られた。
「おそらく……それを抜けと言っている」
フィルバート・スターバウが剣を抜いた瞬間、
それ
が起こった。♢♦♢
夜の始まりはとても暗い青で、日の入りの方角と反対側の水平線付近に広がっている。ある天文学者の母親はそれを「夜の毛布」と呼んだ。そんな話を、竜の背の上で思い出している。
夜のなかの夜、影のなかの王と呼ばれる黒竜アーダルは、めずらしくスピードを出すこともなくゆったりと飛行していた。背中の
王宮のほうから、かすかに自分の所在を感知する糸があるのを感じていた。近衛と〈
母レヘリーンの在位時代から、もしも自分が王ならば、と思うことはあった。それが思わぬ形で叶って、やるつもりだったこと、やらねばならないことに追われる日々は、考えていたよりもずっと早く過ぎ去っていく。
夜のなかで灯台のように輝く王城へ降り立った。冷えた身体を風呂で温めようかと考えたが、やめた。書類仕事がまだ残っている。
自室へ戻ろうとする道すがら、人気のない王の私室の前を通り、つい中を覗きこむ。リアナが軟禁されていた彼女の部屋は、急激な湿気と乾燥とを経験したために使い物にならなくなってしまい、いまは改修の最中にあった。家具が運び出され、壁材が剝がされた部屋は暗闇のなかでさえ広く寒々しく思える。以前は使っていなかった王太子の部屋にいくらか手を入れさせているはずだが、そちらはなんのかのと理由をつけて工事は遅れていた。業者の選定はエンガス公の差配であるため、政治的な妨害の意図はあきらかだった。