7-3. 発現 ①
文字数 3,259文字
ナイルが飛竜で飛びこみ、メドロートと白竜シーリアがいるはずの小ドーム。リアナはそこを目ざして走っている。地上から見たときには、崩れた水道橋のようなものが点々と一直線になっていた。だから、まっすぐに進めばいいはずだ。地下ではところどころが分岐していたが、レーデルルの網 の力を使って正しい方向に進むことができた。いたるところに水が、暗渠 の気配があり、その水のざわめきが竜を通じて流れこんでくる。
ルルの怒りと不安の波長を感じる。上空でせわしなく旋回しながら、自分の力を使って勝手をする無鉄砲な主人 を非難していた。
――あなたは無分別がすぎる。
再会したフィルバートは、そう言って彼女を責めたのだった。そのことも思い出す。
本当に、無謀なことばかりしている。
その自覚はあるので、デイミオンやフィルにも申し訳なく思う。でも、いまはナイルを助けに行かなければ。信じたくはないが、メドロート卿が死に、領主権も、古竜のシーリアの所有権も甥である彼に移っているのだ。その強い〈呼 ばい〉の力が、ナイルを人間たちのもとへ引きこんでいる。
――どうして、いつもいつも、間に合わないのだろう……
今度もまた、あと少しのところで、大切なものが手からすべり落ちそうな、そんな暗い予感がする。最近では、予感も、悪夢も、おそろしいほどに的中する。白竜の力のせいなのだろうか。
きれぎれの思考に振りまわされていると、前方に複数の気配を感じた。ヒトの心臓がなく、〈竜の心臓〉だけが動く、奇妙な生体反応。デーグルモールだ。
彼らに遭遇しないよう、リアナは用心して細い通路に入りこんだ。網 で見ると、この道からもドームにはたどり着く。途中に開けた場所を通ることがわずかに気にかかったが、結局、そちらに向かった。
♢♦♢
地下に大聖堂があり、そこに迷いこんだのかと思った。
リアナが一瞬そう錯覚するくらい、荘厳さを感じるほどに巨大な空間だった。アーチ形の天井が高くそびえ、円柱が整然と並んでいる。薄暗いために奥まではわからないが、両端だけではなく、数メートルおきに列があり、まるで巨人の軍隊が号令を前に動きをやめてしまったかのようにも見える。どの柱にも照明がそなえてあり、オレンジ色のあわい光を投げかけていた。
柱列の理由はすぐにわかった。ここは遺跡のなかにある貯水槽なのだ。リアナが立っているのは円柱のあいだの木造の通路で、その通路をのぞいてはすべてが水で満たされていた。白竜の力に呼応して、目ざめきっていない巨大な動物のような貯水槽の気配を感じた。通路を歩くごとに、両脇の水面から踊るような水滴が跳ねた。白竜の主人である彼女の目には、それはスローモーションではっきりととらえることができた。使役される水の粒子たちの、歓迎のあいさつのようなものだ。足元の水のなかには大きな鯉や金魚が泳いでいる。
上階の騒然とした音は厚い煉瓦で遮られているようで、聞こえるのは天井から貯水槽にしたたりおちる滴の音だけだった。
(こんな場所があったなんて……)
亡国イティージエンの進んだ建築技術や治水術については、ファニーから教わっていたが、これほどのものとは考えもしなかった。ここに貯められていた水は遠く離れた都まで送られ、彼らの宮殿を潤していたはずだ。紅竜の力も使うことなく、いったいどれほどの時間と労力をかけて、こんな巨大な貯水槽を作ったのだろう。
(いえ、竜の力の有無にかかわらず……というより、竜がいないからこそ、これを作る必要があったんだわ。彼らには白竜がいない。水脈を読み雨雲を呼ぶ〈乗り手〉もいない。こうやって水を貯えるしか……)
だが、その技の積み重ねが、今のアエディクラの発達した科学技術につながっている。竜族が竜の力を借りることで成し遂げたことを、自分たちだけの力で行わなければならなかったからこそ、イティージエンはオンブリアの及びもつかない科学国家となったのだ。
(それを考えると――)
つい物思いにふけりそうになったリアナの耳が、小さな足音をとらえた。
空気の流れは一か所で人の通れる幅に分かれている。が、足音の主は隠れているつもりはないらしく、影からするりと姿を現した。
「まったく、なんだってこんなでかい水槽を作らなきゃならなかったんだろうな? 白竜がいればこんなもん要らないのに。人間っていうのはかわいそうな生き物だよな、なぁ?」
小柄な体躯、短く刈った金髪、灰色の瞳。身体にフィットした黒の胴着は袖がなく、細く筋肉質な腕がむき出しになっている。青年はこんこんと柱を叩いて、にやっと笑った。
「よぉ、また会ったな、白竜の王さま」
「……イオ」
知ったばかりの名前を呼ぶ。返ってきたのは、あいさつではなく、攻撃だった。
デーグルモールが右手に持った短剣を頭上でぐるりと回転させたかと思うと、勢いよく振り下ろした。ナイフは手のなかに持ったまま、炎の稲妻がこちらをめがけて飛んでくる。リアナはかろうじてそれをよけ、炎が肩先をかすって、服の繊維が焦げるじゅっという音を立てた。
あまりにも素早い攻撃で、なぜ避けられたのかわからないほどだった。
「同胞を逃がすまえに、あんたを片づけておかなきゃな。……しかし、あのでっかいアルファメイルの気配はなんだ? 黒竜大公の竜か? 親父は大丈夫だろうな?」
イオのつぶやきで、デイミオンが、デーグルモールの頭領と相対していることが知れた。彼は大丈夫だろうか。ナイルのことも気にかかるが――〈呼 ばい〉の絆は、どちらもまだ無事であることを伝えてくる。
全身が緊張し、警戒の信号を発している。毛穴が開いて毛が逆立つような感覚があった。
自分の無鉄砲を後悔するべきときがあるとしたら、今だろう。もともとの戦闘能力や経験の差を考慮にいれなくても、目の前のデーグルモールは、黒竜のライダーで、自分は白竜のライダー。
つまり、相手は炎によって自分を攻撃でき、そして自分には、相手を攻撃する竜術が使えない。武器になるものといえば、護身用に持たされた短剣程度。文字通りの絶体絶命だった。
〔レーデルル! 『フェイルセーフを解除』して!〕
リアナは叫んだ。ついさっき、ナイル・カールゼンデンが古竜シーリアに命令したのを、〈呼 ばい〉の絆のなかで知ったばかりだ。言葉も意味もわからないが、それは、ヒトを害する可能性のある術を使えない古竜が、その例外である黒竜と同じように攻撃可能となる呪文のように聞こえた。
だが、古竜からは鋭い拒否が帰ってきた。
〔いいえ! いいえ!〕
〔ルル!――〕
〔いいえ! いいえ! いいえ!〕
〈呼 ばい〉を通じて命じようとしても、わんわんと否定の声が鳴り響くだけで、ナイルのような術は使えなかった。呪文に間違いがあるか、それとも特別な条件下でないと、作動しないのか。
(しょうがないわ)
あの術なら、目の前の青年を一気に窒息に追い込むこともできるのに。ほかの方法を探すしかない。しかも、同じことを相手にされないように防御しながら、だ。
ふつうの竜術なら、なんとか使えそうだ。さいわい水だけは大量にある。リアナは水を注意深く召 んで周囲にらせん状の壁を作った。水が移動するザーッという音が、貯水槽全体に響きわたっていく。
炎の矢が壁につぎつぎと突入して、ジュッと燃え尽きた。
だがこの方法では、防戦一手になってしまう。
オンブリアでは、黒竜と白竜の竜騎手 同士が戦うときは竜術を封じて剣のみの試合とするか、あるいは互いに竜術の技を披露しあって第三者に判定を委ねる。つまり、竜術そのもので戦うことはない。黒竜からの炎の攻撃は水で容易に消し去られてしまうし、逆に白竜のほうからも有効な攻撃を繰り出すことはできない。水流を操って相手をおぼれさせるようなことは竜術の原則上、不可能だからだ。そのため、竜術だけでは勝負がつかないと考えるのが一般的だ。
だから、イオはおそらく――武器を使った攻撃にうつるはずだ。
ルルの怒りと不安の波長を感じる。上空でせわしなく旋回しながら、自分の力を使って勝手をする無鉄砲な
――あなたは無分別がすぎる。
再会したフィルバートは、そう言って彼女を責めたのだった。そのことも思い出す。
本当に、無謀なことばかりしている。
その自覚はあるので、デイミオンやフィルにも申し訳なく思う。でも、いまはナイルを助けに行かなければ。信じたくはないが、メドロート卿が死に、領主権も、古竜のシーリアの所有権も甥である彼に移っているのだ。その強い〈
――どうして、いつもいつも、間に合わないのだろう……
今度もまた、あと少しのところで、大切なものが手からすべり落ちそうな、そんな暗い予感がする。最近では、予感も、悪夢も、おそろしいほどに的中する。白竜の力のせいなのだろうか。
きれぎれの思考に振りまわされていると、前方に複数の気配を感じた。ヒトの心臓がなく、〈竜の心臓〉だけが動く、奇妙な生体反応。デーグルモールだ。
彼らに遭遇しないよう、リアナは用心して細い通路に入りこんだ。
♢♦♢
地下に大聖堂があり、そこに迷いこんだのかと思った。
リアナが一瞬そう錯覚するくらい、荘厳さを感じるほどに巨大な空間だった。アーチ形の天井が高くそびえ、円柱が整然と並んでいる。薄暗いために奥まではわからないが、両端だけではなく、数メートルおきに列があり、まるで巨人の軍隊が号令を前に動きをやめてしまったかのようにも見える。どの柱にも照明がそなえてあり、オレンジ色のあわい光を投げかけていた。
柱列の理由はすぐにわかった。ここは遺跡のなかにある貯水槽なのだ。リアナが立っているのは円柱のあいだの木造の通路で、その通路をのぞいてはすべてが水で満たされていた。白竜の力に呼応して、目ざめきっていない巨大な動物のような貯水槽の気配を感じた。通路を歩くごとに、両脇の水面から踊るような水滴が跳ねた。白竜の主人である彼女の目には、それはスローモーションではっきりととらえることができた。使役される水の粒子たちの、歓迎のあいさつのようなものだ。足元の水のなかには大きな鯉や金魚が泳いでいる。
上階の騒然とした音は厚い煉瓦で遮られているようで、聞こえるのは天井から貯水槽にしたたりおちる滴の音だけだった。
(こんな場所があったなんて……)
亡国イティージエンの進んだ建築技術や治水術については、ファニーから教わっていたが、これほどのものとは考えもしなかった。ここに貯められていた水は遠く離れた都まで送られ、彼らの宮殿を潤していたはずだ。紅竜の力も使うことなく、いったいどれほどの時間と労力をかけて、こんな巨大な貯水槽を作ったのだろう。
(いえ、竜の力の有無にかかわらず……というより、竜がいないからこそ、これを作る必要があったんだわ。彼らには白竜がいない。水脈を読み雨雲を呼ぶ〈乗り手〉もいない。こうやって水を貯えるしか……)
だが、その技の積み重ねが、今のアエディクラの発達した科学技術につながっている。竜族が竜の力を借りることで成し遂げたことを、自分たちだけの力で行わなければならなかったからこそ、イティージエンはオンブリアの及びもつかない科学国家となったのだ。
(それを考えると――)
つい物思いにふけりそうになったリアナの耳が、小さな足音をとらえた。
空気の流れは一か所で人の通れる幅に分かれている。が、足音の主は隠れているつもりはないらしく、影からするりと姿を現した。
「まったく、なんだってこんなでかい水槽を作らなきゃならなかったんだろうな? 白竜がいればこんなもん要らないのに。人間っていうのはかわいそうな生き物だよな、なぁ?」
小柄な体躯、短く刈った金髪、灰色の瞳。身体にフィットした黒の胴着は袖がなく、細く筋肉質な腕がむき出しになっている。青年はこんこんと柱を叩いて、にやっと笑った。
「よぉ、また会ったな、白竜の王さま」
「……イオ」
知ったばかりの名前を呼ぶ。返ってきたのは、あいさつではなく、攻撃だった。
デーグルモールが右手に持った短剣を頭上でぐるりと回転させたかと思うと、勢いよく振り下ろした。ナイフは手のなかに持ったまま、炎の稲妻がこちらをめがけて飛んでくる。リアナはかろうじてそれをよけ、炎が肩先をかすって、服の繊維が焦げるじゅっという音を立てた。
あまりにも素早い攻撃で、なぜ避けられたのかわからないほどだった。
「同胞を逃がすまえに、あんたを片づけておかなきゃな。……しかし、あのでっかいアルファメイルの気配はなんだ? 黒竜大公の竜か? 親父は大丈夫だろうな?」
イオのつぶやきで、デイミオンが、デーグルモールの頭領と相対していることが知れた。彼は大丈夫だろうか。ナイルのことも気にかかるが――〈
全身が緊張し、警戒の信号を発している。毛穴が開いて毛が逆立つような感覚があった。
自分の無鉄砲を後悔するべきときがあるとしたら、今だろう。もともとの戦闘能力や経験の差を考慮にいれなくても、目の前のデーグルモールは、黒竜のライダーで、自分は白竜のライダー。
つまり、相手は炎によって自分を攻撃でき、そして自分には、相手を攻撃する竜術が使えない。武器になるものといえば、護身用に持たされた短剣程度。文字通りの絶体絶命だった。
〔レーデルル! 『フェイルセーフを解除』して!〕
リアナは叫んだ。ついさっき、ナイル・カールゼンデンが古竜シーリアに命令したのを、〈
だが、古竜からは鋭い拒否が帰ってきた。
〔いいえ! いいえ!〕
〔ルル!――〕
〔いいえ! いいえ! いいえ!〕
〈
(しょうがないわ)
あの術なら、目の前の青年を一気に窒息に追い込むこともできるのに。ほかの方法を探すしかない。しかも、同じことを相手にされないように防御しながら、だ。
ふつうの竜術なら、なんとか使えそうだ。さいわい水だけは大量にある。リアナは水を注意深く
炎の矢が壁につぎつぎと突入して、ジュッと燃え尽きた。
だがこの方法では、防戦一手になってしまう。
オンブリアでは、黒竜と白竜の
だから、イオはおそらく――武器を使った攻撃にうつるはずだ。