4-1. 落ちた二人と、人さらい ②

文字数 2,038文字

 どれくらい経っただろうか。
 ぽつ、ぽつ、とかすかな雨音が聞こえる。デイミオンにコートをかけなくては、と頭の片隅で思う。
「ほーら、ディッパー。やっぱりいただろ? 十ギル寄越せよ」
 人の声……ついで、舌打ちの音が聞こえる。
「剣だけだと思ったんだがなぁ。本体もいやがったか。……まあいい、収穫だな」

 うとうとしはじめていたリアナは、はっと目を見開いて飛び起きた。誰かに見つかった!
「おっ、女もいるぜ」
 デイミオン、と呼びかけようとしたときには、もう遅かった。

 ♢♦♢

 次に目を開けたとき、リアナの目にまっさきに映ったのは炎だった。宵闇の色を青く薄める、大きなオレンジの火が生き物のように揺れている。ぱちぱちと爆ぜるおだやかな音が耳に届く。一瞬、すべてが夢だったのではないかと思い――空中から落ちたことも、アーダルの暴走も、フィルの鬼神のごとき戦いぶりも、なにもかも――手首に食い込んだ縄の感覚で、すぐに現実に引き戻される。

 デイミオンは気を失ったまま、手だけではなく胴にも足にも縄をかけて転がされていた。
「痛っ……」
 つぶやいて体の傾きを立て直そうとすると、近づいてくる数本の足が見えた。
「おお、お目覚めかい、お嬢さん」
 かがみこんで顔を覗き込まれる。整った顔立ち、銀の髪は竜族に間違いない。が、服装はどちらかというと人間風だ。たてがみのような銀髪をところどころ、赤い石と一緒に編み込んでいる。日焼けして傷の多い顔には、油断ならない表情が浮かんでいた。リアナのあごをつかんでぐっと上向かせると、しげしげと眺める。

「よーく顔、見せてくれ。……ふうん、こりゃやっぱり竜族の女かな? 金髪はまぁ、人間にもいるが、目の色がな」
 リアナが黙ったままでいると、男はあごをつかんだ手に力を込める。「ほれ、どっちだよ、お嬢ちゃん。聞かれたことには素直に答えるもんだぜ。痛い思いすんのは、お互い嫌だろう?」
(わたしは、どっちの娘にも見える。竜族にも、人間にも)
 〈里〉の住人は、竜族にも人間にも見える者が多かった。
 まったく異なる種族のように言われる両者だが、里に混じって暮らしていれば、外見の違いは実はそれほど大きくはない。リアナはその典型だった。
 少なくとも、この男には区別がつかないのだ。これを利用できるだろうか?
「……

よ」
 もしも、あのデーグルモールたちが自分を探すなら、最初にリストに挙げるのは竜族の娘だろう。もっとも、すでに顔は見られてしまっているので、嘘をつくメリットはないかもしれない。だが――
『相手の情報をかく乱させるために、陳腐な嘘はいつでも有効だ。少なくとも時間を稼ぐ役には立つ』
 イニはそう言っていた。そして、もし相手に信じさせたい嘘があるなら、それは真実という布でくるんで出すのだ、とも。

「竜族のお坊っちゃんに、人間の女か」男は訳知り顔にうなずいた。
「かわいそうになぁ。……嬢ちゃん、あんた、騙されてるよ。このおきれいな顔にさ」
 そういうと立ち上がり、炎のそばから料理の皿をもってきて、隣に座った。「ほれ、食うかい」
(騙されてる? きれいな顔に? なんのこと?)
 このときは、男が言ったことの意味が理解できなかった。
 リアナはまた一瞬考え、首を横に振った。まだおびえたままだと思わせておいたほうがいいと思ったのだ。

「あーあ、またお頭のビョーキがはじまったよぉ」
 炎のすぐ横に陣取っていた別の若者が冷やかした(この男も竜族の顔立ちだった)。「女にゃ、すーぐ同情すんだから……」
「まぁ女は大事だよな」隣の無骨そうな男が言った。
「そこだけはどうしても、あいつらのやり方には慣れねぇよ。犯して殺して、火つけて、なんざ……女がいなかったら、だれが子どもを産んでくれんだ、なぁ? いくら人間の女つっても……」
 背筋が寒くなるような話を、なんでもないことのように言う。お頭、と呼ばれた銀髪の男が、にっと笑った。
「あいつらのセリフ、聞いたろ? あんたもまあ、こんなとこで足止め食って不運だったけど、そこだけは安心していいぜ。竜の男は女を大事にする。人間みたいに、犯して殺したりはしねぇよ」
 優しい声でいい、皿につっこんだ木の匙を舐めた。
「ま、子どもは産んでもらうかもしれねぇけどな!」さらに別の男が言って、ぞっとするような声で笑った。「あんただって悪かないだろ?人間の街には、竜族の男を買う場所があるって言うじゃねぇか……」
 どっと笑い声が漏れた。下卑た笑いだった。

(結局、同じなんだ、人間の男たちと)
 隠れ里が襲撃されたときのことを、嫌でも思い出さないわけにはいかなかった。ほんの小娘のリアナにでもわかる。
(顔がきれいで、殺すほどのことはしない、と口にしているだけで。それだって本当かどうかわからない)
 あのときは、フィルが助けてくれた。でも今は離れ離れだ。デイミオンはいるが、むしろ自分が彼を助けなければいけない立場だろう。

 泣いている暇はない。どうすればいいのか、考えなくては。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

リアナ・ゼンデン

本作の主人公。竜騎手(ライダー)にあこがれる平凡な田舎少女だったが、竜たちの王となる運命が待っていた。

すなおで活発、売られたケンカは買うタイプ。

養父の教育もあり、なかなかの政治手腕を見せることも。

デイミオン・エクハリトス(デイ)

フィルに続き里にリアナを迎えに来た竜騎手。彼女の次の王位継承権を持つ。

王国随一の黒竜アーダルの主人(ライダー)。

高慢な野心家で、王位をめぐってリアナと衝突するが……。

群れを率いるアルファメイルで、誇り高く愛情深い男でもある。

フィルバート・スターバウ(フィル)

襲撃された里からリアナを救いだした、オンブリアの元軍人。彼女をつねに守るひそかな誓いを立てている。

ふだんは人あたりよく温厚だが、じつは〈竜殺し〉〈剣聖〉などの二つ名をもつ戦時の英雄。

リアナに対しては過保護なほど甘いものの、秘密をあかさないミステリアスな一面ももつ。

レーデルル(ルル)

リアナが雛から育てた古竜の子ども。竜種は白で、天候を操作する能力をもつ。

グウィナ卿

五公(王国の重要貴族)の一員で、黒竜のライダー。私生活ではデイ・フィルの愛情深い叔母、二児の母。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み