狩りと流星群 ①
文字数 3,855文字
それは、人間の身では見ることのかなわない景色のはずだった。
100フィートの眼下に、銀色をおびた湖が、太陽を反射してきらきらと輝いている。
タマリスは太古の昔、噴火によって形づくられた場所にある。外輪山 が王冠のようにぐるりとそびえ、谷間には水が満ち、水平線近くに河をのぞむ。なかでも美しい景観で知られる翠真珠 山の、通称〈巨人のテーブル〉と呼ばれる露出した大きな岩棚に立つと、王城のある金剛山との間の渓谷を一望できるだけでなく、向かい側に素晴らしい滝をながめることもできる。轟音と水しぶき。そしてその上空を、茶褐色や蛍光緑の飛竜たちが、せわしげに旋回 していた。
いま、その岩場の上に、竜の国オンブリアの貴族たちが集まっていた。それぞれの領地や家柄を示す立派な長衣を身につけているので、華やかだ。長衣はルクヴァと呼ばれ、上半身はすっきりと細く、腰から下は大きく広がる形で、竜にまたがったときにひときわ美しく見える。
「滝の音がすごいですね!」
オンブリアの王に、そう声をかけてきた者がいる。隣国イーゼンテルレからの賓客 、イーサー公子だった。滝の轟音に負けないように声が大きくなるようだ。
「真上から滝を見おろすなんて、われわれ人間の身には想像できない。宮廷に帰ったら、しばらくは自慢できますよ」
癖のある黒髪とマホガニー色の瞳を持ち、その色味にあうイーゼンテルレらしい凝った刺しゅう入りの海老茶 の上着を着ている。立派な公子ぶりのイーサーだったが、美男子の多い竜族のなかでは平凡な中肉中背の男に映った。そして、同じくらい平凡な
飛竜に乗る人間。そのことが、この狩りのもつ意味を大きく変えてしまっている。
『古竜を御 し、飛竜にまたがるのは、竜の子孫である
竜族の国オンブリアでも、人間の国でも、ひとびとは概 ねそう信じている。
純粋な人間は、身体の構造上、飛竜に乗ることはできない。一説に体重が重すぎるためだと考えられているが、学術的根拠はない。
身体の軽い女性や子どもならどうかと問われれば、たしかに乗れる者はいる。かつてはそういった人間たちからなるスパイや斥候 兵がいたそうだが、最近はあまりそういう話は聞かない。
だが、その潮流が変わりつつあるのだ。
今回の狩りは、人間の国家――イーゼンテルレの大公の嫡子、イーサー公子のたっての希望があって開かれたものである。
「飛竜に乗るのがお上手でいらっしゃいますね」
オンブリアの王、リアナ・ゼンデンは、内心の衝撃を隠して外交的なほほえみを浮かべた。「ですが、どうやって乗っていらっしゃるんですか?」
イーサーは明るい笑い声を立てた。
「矮竜 をごらんになるのは、はじめてですか、リアナ陛下?」
「矮竜 ……?」リアナはオウム返しに尋ねる。
「人間を乗せて飛べるように改良した、小型の竜です。飛ぶというより、滑空する、という感じですがね、それでもわれわれにとっては大きな成果ですよ」
「まあ、それは……。はじめて見ますが、見事なものですね。見た目には飛竜そのものだわ」
笑顔で応じているが、リアナの内心は穏やかでない。それは彼女だけではなく、つき従う領主貴族たちにとっても、同じだろう。
人間の国アエディクラやイーゼンテルレと、竜族の国オンブリア。その二者は大陸を南北に分割して治め、表向き友好的な関係をたもっている。
しかし、もともと人間の二国は、オンブリアの竜王エリサによって滅ぼされたイティージエンという大国の系譜を引き継いでいるのだ。戦時中に古竜による圧倒的な軍事攻撃を経験し、戦後はオンブリアと和平を結びながらも、彼ら人間の独自の科学技術を高めることに注力している。
周辺国がいくら技術力を高めようとも、古竜という最大の武器を持つオンブリアは、決して戦に敗 けることはない――そう竜族たちは信じている。
(でも、いつかは軍事力でも追いつかれるかもしれない)
そう感じさせ、王に冷や汗を流させるだけの成果が、この矮竜 にはあった。もちろん、その効果はイーサー公子にとっても狙い打ったもののはずだ。オンブリアの竜騎手 たちが隊を組んで空から襲ってきたとしても、黙って攻撃されるばかりではないぞ、という意思表示でもあるだろう。
制空権を持つことと、古竜の神話的なまでの攻撃能力で、戦での優位性はしばらくは保たれるだろうが――人間の側にも飛行船があると聞くし、この矮竜 にしても、いずれ飛竜のような役割を持つようにならないとも限らない。
そんな緊張感を帯びて、異なる種族が居合わせる舞台としての、春の狩りがスタートしたのだった。
♢♦♢
今日の狩りの獲物は、花虫竜 だった。
オンブリアでは、すべての動物は竜を祖先とする、と考える。すべての竜の頂点に竜祖と、その血族である古竜がいて、自分たちはその子孫だと考えている。その証 となるのが、竜族のほとんどが持つ〈竜の心臓〉と呼ばれる器官で、これによって彼らは古竜の神がかった能力を利用して自然現象を操作することができる。これらは竜術と呼ばれ、その頂点に立つごく一部の者だけが、古竜を制御する力を持つ〈乗り手 〉と呼ばれる(一方で、〈竜の心臓〉を持たない竜族は〈ハートレス〉と呼ばれ、種々の制約と差別を受ける)。
花虫竜 は、古竜に近い性質を持った旧 い害獣である。この国では、狩るほうも狩られるほうも、ともに竜の末裔 なのだ。
動きまわるタイプの竜ではなく、比較的狭いテリトリーのなかでじっと待ち、走枝 を伸ばして獲物をつかまえるような習性を持っている。飛竜乗りたちが次々に矢を射かけかけると、巨大な花びらのような頭部が開いてギエェ、ギエェと奇怪な鳴き声をあげた。
もっといい位置から見るという名目でリアナはイーサーを誘い、岩場から離れた林を滑空し、竜たちの間近に寄った。捕食する相手を惹きつけるための、サンザシのような独特の強い芳香があたりにむせかえった。花虫竜 の動きが弱まると、イーサーは矮竜 の上からマスケット銃でとどめの一発を放った。もちろん、接待の狩りなのだから、すべて飛竜乗りたちのお膳立てである。
「お見事な腕前ですね」
リアナは決まりきった世辞を述べた。
「遅れないようについていくので精一杯でしたが、陛下の笑顔に報われました」
イーサーはそう言って、後ろをふり返った。「みなさん、すばらしいライダーでいらっしゃいますが、デイミオン卿 はおられないのですか? オンブリア一の竜の乗り手とうかがっていたのですが」
「デイミオン卿は竜騎手団の長 ですから、狩りや試合の場には出られない決まりなんです」
「ああ、なるほど。……それに、王太子でもあられる。『種は一カ所に蒔 くな』と言いますな」
「われわれは『ひとつの籠に卵を入れるな』と言います」
「短命の人間からすると不思議なものです、王よりもはるかに年長の王太子がおられるというのは」
「デイミオンは〈鉄の節〉(竜族の48~59歳をさす)ですから、わたしとは三節差で、それほど年上というわけでは……」
長命な竜族の一員として、リアナはそう返した。彼女自身が16歳と非常に若いのは事実だったが、デイミオンとの年齢差を強調されると、どうも面白くない。
二人の会話に、飛竜乗りの一人が合図を送った。
これから彼らが獲物の動きを止めるという意味の合図に、リアナもうなずいて返した。
「では。せっかくの獲物ですから、記念にあの竜の首を落としてきます」
イーサーはそう言うと、周囲が制止するよりも早く、仕留めたばかりの花虫竜 のほうへ矮竜の首をむけた。
「イーサー公子!」リアナはあわてて叫んだ。
とどめを刺したと公子が思った直後に、すぐに警告しなかったことを悔やむが、遅い。
力を失ってだらりと地面に投げ出されていた走枝 が、驚くほどすばやくしなり、イーサーと矮竜めがけて一直線に群がってくる。それは意志のない反射性の動きであり、それだけに本体からは想像もできないほどのスピードで襲いかかる。リアナはかろうじて飛竜ピーウィを駆り、体当たりして走枝 の直撃を避けさせた。だが一本の蔓が彼女のバランスを崩し、あっと思う間もなくピーウィの背から転がり落ちてしまう。
落下そのものは、竜騎手 にとっては恐ろしいものではない。だがそれは、風の流れどころか空気の組成と分圧すら変えてしまう古竜の神話めいた力があってこそ。そして、いまこの場に、リアナの古竜レーデルルはいなかった。
(落ちる――!)
背中から風圧を感じながら落ちていくリアナにできることはいくつかあったが、レーデルルがいないパニックで竜騎手 の〈呼 ばい〉を奪うなんて)
ほんの二月前に、混乱の火事場でそれをやってのけた男のことが脳裏によぎった。彼にできることなら、自分にできていいはずなのに――
なすすべもなく落ちていくほんの2、3秒。そして次の瞬間、リアナの背はどさりとなにかに受けとめられた。身体が重く沈みこみ、怒りに満ちた青色の目とかちあう。
「〈呼 ばい〉を使えと、何度も言ったはずだがな」
それは、オンブリア随一の黒竜アーダルに乗った〈黒竜大公〉にして王太子、デイミオン・エクハリトスだった。
100フィートの眼下に、銀色をおびた湖が、太陽を反射してきらきらと輝いている。
タマリスは太古の昔、噴火によって形づくられた場所にある。
いま、その岩場の上に、竜の国オンブリアの貴族たちが集まっていた。それぞれの領地や家柄を示す立派な長衣を身につけているので、華やかだ。長衣はルクヴァと呼ばれ、上半身はすっきりと細く、腰から下は大きく広がる形で、竜にまたがったときにひときわ美しく見える。
「滝の音がすごいですね!」
オンブリアの王に、そう声をかけてきた者がいる。隣国イーゼンテルレからの
「真上から滝を見おろすなんて、われわれ人間の身には想像できない。宮廷に帰ったら、しばらくは自慢できますよ」
癖のある黒髪とマホガニー色の瞳を持ち、その色味にあうイーゼンテルレらしい凝った刺しゅう入りの
褐色の飛竜に乗っていた
。飛竜に乗る人間。そのことが、この狩りのもつ意味を大きく変えてしまっている。
『古竜を
竜族
だけ』。竜族の国オンブリアでも、人間の国でも、ひとびとは
純粋な人間は、身体の構造上、飛竜に乗ることはできない。一説に体重が重すぎるためだと考えられているが、学術的根拠はない。
身体の軽い女性や子どもならどうかと問われれば、たしかに乗れる者はいる。かつてはそういった人間たちからなるスパイや
だが、その潮流が変わりつつあるのだ。
今回の狩りは、人間の国家――イーゼンテルレの大公の嫡子、イーサー公子のたっての希望があって開かれたものである。
人間
を連れてとなると、ほかの者たちが狩りにいそしんでいるのを見晴らしのいい岩棚からでも見ていてもらうしかないだろう、とオンブリア側で判断しての場所選びだった。しかし驚くことに、イーサー公子は自前の竜
を連れてきていた。「飛竜に乗るのがお上手でいらっしゃいますね」
オンブリアの王、リアナ・ゼンデンは、内心の衝撃を隠して外交的なほほえみを浮かべた。「ですが、どうやって乗っていらっしゃるんですか?」
イーサーは明るい笑い声を立てた。
「
「
「人間を乗せて飛べるように改良した、小型の竜です。飛ぶというより、滑空する、という感じですがね、それでもわれわれにとっては大きな成果ですよ」
「まあ、それは……。はじめて見ますが、見事なものですね。見た目には飛竜そのものだわ」
笑顔で応じているが、リアナの内心は穏やかでない。それは彼女だけではなく、つき従う領主貴族たちにとっても、同じだろう。
人間の国アエディクラやイーゼンテルレと、竜族の国オンブリア。その二者は大陸を南北に分割して治め、表向き友好的な関係をたもっている。
しかし、もともと人間の二国は、オンブリアの竜王エリサによって滅ぼされたイティージエンという大国の系譜を引き継いでいるのだ。戦時中に古竜による圧倒的な軍事攻撃を経験し、戦後はオンブリアと和平を結びながらも、彼ら人間の独自の科学技術を高めることに注力している。
周辺国がいくら技術力を高めようとも、古竜という最大の武器を持つオンブリアは、決して戦に
(でも、いつかは軍事力でも追いつかれるかもしれない)
そう感じさせ、王に冷や汗を流させるだけの成果が、この
制空権を持つことと、古竜の神話的なまでの攻撃能力で、戦での優位性はしばらくは保たれるだろうが――人間の側にも飛行船があると聞くし、この
そんな緊張感を帯びて、異なる種族が居合わせる舞台としての、春の狩りがスタートしたのだった。
♢♦♢
今日の狩りの獲物は、
オンブリアでは、すべての動物は竜を祖先とする、と考える。すべての竜の頂点に竜祖と、その血族である古竜がいて、自分たちはその子孫だと考えている。その
動きまわるタイプの竜ではなく、比較的狭いテリトリーのなかでじっと待ち、
もっといい位置から見るという名目でリアナはイーサーを誘い、岩場から離れた林を滑空し、竜たちの間近に寄った。捕食する相手を惹きつけるための、サンザシのような独特の強い芳香があたりにむせかえった。
「お見事な腕前ですね」
リアナは決まりきった世辞を述べた。
「遅れないようについていくので精一杯でしたが、陛下の笑顔に報われました」
イーサーはそう言って、後ろをふり返った。「みなさん、すばらしいライダーでいらっしゃいますが、デイミオン
「デイミオン卿は竜騎手団の
「ああ、なるほど。……それに、王太子でもあられる。『種は一カ所に
「われわれは『ひとつの籠に卵を入れるな』と言います」
「短命の人間からすると不思議なものです、王よりもはるかに年長の王太子がおられるというのは」
「デイミオンは〈鉄の節〉(竜族の48~59歳をさす)ですから、わたしとは三節差で、それほど年上というわけでは……」
長命な竜族の一員として、リアナはそう返した。彼女自身が16歳と非常に若いのは事実だったが、デイミオンとの年齢差を強調されると、どうも面白くない。
二人の会話に、飛竜乗りの一人が合図を送った。
これから彼らが獲物の動きを止めるという意味の合図に、リアナもうなずいて返した。
「では。せっかくの獲物ですから、記念にあの竜の首を落としてきます」
イーサーはそう言うと、周囲が制止するよりも早く、仕留めたばかりの
「イーサー公子!」リアナはあわてて叫んだ。
とどめを刺したと公子が思った直後に、すぐに警告しなかったことを悔やむが、遅い。
力を失ってだらりと地面に投げ出されていた
落下そのものは、
(落ちる――!)
背中から風圧を感じながら落ちていくリアナにできることはいくつかあったが、レーデルルがいないパニックで
それ
ができない。(無理、ほかのほんの二月前に、混乱の火事場でそれをやってのけた男のことが脳裏によぎった。彼にできることなら、自分にできていいはずなのに――
なすすべもなく落ちていくほんの2、3秒。そして次の瞬間、リアナの背はどさりとなにかに受けとめられた。身体が重く沈みこみ、怒りに満ちた青色の目とかちあう。
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それは、オンブリア随一の黒竜アーダルに乗った〈黒竜大公〉にして王太子、デイミオン・エクハリトスだった。