戴冠式、そしてわたしは…… ②

文字数 1,847文字

 少年の返り血を浴びて、鬼のような形相で立っていたのは、フィルだった。
 聴衆から女性の悲鳴がした。まるで、どこか全く遠くの世界から聞こえてくるように思える。

「――フィル! どうして……」

 リアナの声など聞こえていないかのように剣を構えなおし、フィルはふたたび彼女のほうへと向きなおった。怒りに満ちたハシバミ色の瞳とかち合う。彼が剣を振りあげ、リアナは思わず目を閉じてしまう。レランのように、自分の胸に剣が突き刺さるのをなかば予想していたが、衝撃は来ない。からん、と軽い何かが倒れる音がした。思いきって目を開けると、フィルはリアナの

斬っていた。白いローブに血がゆっくりと広がっていく。地面に、長い錫杖が転がっている。

「サラート先生!」

 リアナがサラートに駆けよろうとすると、フィルがさえぎるように叫んだ。「デイミオン!」
 その声に(こた)えるかのように、デイミオンがリアナを床に押さえつけて、上から覆いかぶさった。リアナは悲鳴をあげた。
 何も見えない。男たちのうなり声と、いくつもの剣がぶつかりあう重い金属の音が響く。リアナはデイミオンの大きな体の下でもがいた。

 ――なにが起こっているの?!
 
 彼が自分の体を盾にしたのだ、と気づくのに時間がかかった。そして、剣の音が、いっとき止む。ばたばたっという足音が〈王の間〉に響く。

「シメオン! 回廊にまわれ!」デイミオンが手を振って怒鳴った。「やつらを確保しろ!」
 それからようやく、リアナの体から身体を起こした。左肩を押さえていて、そこから血が滴っていた。リアナもなんとか立ちあがった。ふたりのまわりでは兵士たちが戦っていた。三人がかりで、デイミオンを斬り殺そうとしている。信じがたいことに、彼らは

だった。そして、フィルは

応戦していた。このふたりが戦っていないことで、リアナは混乱した。フィルはわたしを殺そうとしたんじゃないの?

「テオ! ケブ! 殿下の両脇へ!」フィルが叫ぶのと、兵士たちが動くのはほぼ同時だった。フィルと同じ、長衣(ルクヴァ)ではないすっきりした短い黒の上着を身につけている。〈ハートレス〉の新部隊のために彼女が用意した新しい制服なのに、折り目のついた白いパンツにも細身のブーツにも血が飛び散っていた。

 竜騎手が〈ハートレス〉に剣技でかなうはずもなく、さらに近接戦闘では竜術の優位も通用しない。ケブと呼ばれた〈ハートレス〉の兵士はいともたやすく第一の竜騎手の剣を剣ではらいのけ、バックステップを踏んで第二の剣からのがれる。目が追うよりも早くその竜騎手の背後にもう回っていて、体当たりでその体ごと第一の竜騎手にぶつかった。結果として重なりあった二人の竜騎手の背中を、ケブとデイミオンがそれぞれ切りつけた。

 それで、終わりだった。
 剣を打ち鳴らす音が、だんだんと止んできた。戦いが収まりつつあるのだ。リアナが群集のほうに目をやると、旌旗(せいき)が下がる柱の影に女性の影が見えた。リアナに気がつくと、薄衣をひるがえし慌てて逃げようとしている。

命じた。

「ハダルク卿! アーシャ姫を捕獲しろ! 柱の影にいる!」

「誰か! わたくしを助けて!」
 アーシャは悲鳴をあげた。「あの男はサラート先生を殺したわ! わたくしも殺される! 助けて!」
 アーシャの義父、エンガス卿の領兵たちが数人集まってきたが、ハダルクたち竜騎手たちが追ってくると、どうしていいかわからないように道を開けた。王の竜騎手に歯向かう愚は犯せないのだろう。
「お父さま!」
 エンガス卿は驚いた顔で、兵をとどめた。
「これはどうしたことだ――フィルバート卿? 義娘(むすめ)が何をした?」

「アーシャ姫を含む一派は、リアナ陛下の暗殺をたくらんでいました」フィルが淡々と説明する。
「サラート先生はその一員だった。残念だけど、竜騎手のなかにも裏切者がいたようだ」
「裏切者はあなたよ!」アーシャが叫んだ。「わたくしに協力すると言ったくせに! 〈ハートレス〉の秘密を知りたくないの!? わたくしを離すように命じなさい!」
 フィルはなにひとつ弁明することなく、にっこりした。血に染まった抜身の剣を手にしたままなので、妙な迫力がある。説得が通用しないことを悟ったのか、アーシャの顔色が変わった。
 リアナはあらためて二つの死体を見た。ふたりとも、この場にあるはずのない短刀を手にしている。死んでいては言い逃れもできないだろうが、フィルの言うことは間違いないようだった。
「まさか……にわかには信じられん」

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登場人物紹介

リアナ・ゼンデン

本作の主人公。竜騎手(ライダー)にあこがれる平凡な田舎少女だったが、竜たちの王となる運命が待っていた。

すなおで活発、売られたケンカは買うタイプ。

養父の教育もあり、なかなかの政治手腕を見せることも。

デイミオン・エクハリトス(デイ)

フィルに続き里にリアナを迎えに来た竜騎手。彼女の次の王位継承権を持つ。

王国随一の黒竜アーダルの主人(ライダー)。

高慢な野心家で、王位をめぐってリアナと衝突するが……。

群れを率いるアルファメイルで、誇り高く愛情深い男でもある。

フィルバート・スターバウ(フィル)

襲撃された里からリアナを救いだした、オンブリアの元軍人。彼女をつねに守るひそかな誓いを立てている。

ふだんは人あたりよく温厚だが、じつは〈竜殺し〉〈剣聖〉などの二つ名をもつ戦時の英雄。

リアナに対しては過保護なほど甘いものの、秘密をあかさないミステリアスな一面ももつ。

レーデルル(ルル)

リアナが雛から育てた古竜の子ども。竜種は白で、天候を操作する能力をもつ。

グウィナ卿

五公(王国の重要貴族)の一員で、黒竜のライダー。私生活ではデイ・フィルの愛情深い叔母、二児の母。

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