最終話 Tell Me a Story ②
文字数 1,545文字
よく見れば旅装なのだが、身軽なフィルはそうと気づかれにくい恰好だった。アエディクラでもオンブリアでも通用するような、腰までの短い上着に革のブーツ、相変わらずの短髪。持ち手のついた丈夫そうな布袋だけが、しいていえば旅装といえなくもない。
「長衣 を着ればいいのに。白の素敵なのをあつらえてもらったでしょ? ニザランで着たような」
「面はゆいんですよ。それに、これなら汚れても困らないし」
「困った竜騎手 さんね」
「あなたに言われるとはね」
二人は連れだって話しながら、飼育場の通路を歩いていく。
「最近はどうですか?」
「〈風読み〉たちも何人か送ってもらったから、だいぶん仕事が楽になったの。ナイル卿には感謝しないと」
「それはよかった」
世間話をすこし挟んで、フィルは気になっていたことを聞いた。
「……あの子どもたちは?」
飼育場にいた子どもたち。肌の白さと色素の薄さは、遠目にもアエディクラの人間ではないように見えた。
「もしかして……探していた子どもたちですか?」
「……うん」
リアナは、なぜかすこしうつむいて小さな声で答えた。「ザシャとレリンがいるの……」
フィルは思わず声にならない息を漏らした。
「〈隠れ里〉の、混血の子どもたち……ロッテヴァーン卿の?」
「うん。……わたしにとっては、今でもパン屋のロッタだけど」
こみあげてくるものがあったのだろう、肩を震わせるリアナを、フィルはやさしく抱きよせてささやいた。「見つかってよかった。……あなたがずっと探していた子どもたちだ」
「うん」彼の胸に頭を寄せ、リアナはくぐもった声で言った。「秋にはたぶん、彼らといっしょにオンブリアに帰れると思うの」
「……頑張ったんだね。子どもたちのために。あなたは本当にすごい人だ……」
彼らになにがあったのか、リアナとどんな話をしたのか、いつかゆっくり聞きたいとフィルは思った。
「この春の繁殖期 は、デイミオンがこっちに来たんだって?」
「うん、今年の春は忙しかったから」
夏秋にもなにかと理由をつけては妻に会いに来ているらしいデイミオンの話は、あちこちから聞いている。かつてのあの男の女性への態度を知っている者たちからすれば、なにしろ驚くほどの溺愛ぶりだ。そういう兄の変化がおかしくて、くつくつと笑った。
アエディクラの技師と、オンブリアのライダーたちが協力して、干ばつに強い特別な米の栽培がようやく実を結ぼうとしている。そのはじめての収穫が、リアナの最後の仕事になるだろう。
「フィルはどうしてたの?」
「お声はかかったんだけど、まだそんな気になれなくて」
もの問いたげに見あげてくる彼女に、フィルはほほえんでみせた。〈ハートレス〉であったころは、自分が誰かの伴侶になるという考えからはあえて目を背けていた。それが、彼女と出会って、少しずつ変わってきたのを感じていた。
「……でも、いつかは人生を誰かとわかちあえるかもしれません。誰かを心から愛せるかも……あなたが俺に心臓 をくれたから」
その言葉は、リアナを満足させたようだった。
建物の外に出ると、エクウスという名の愛竜が待っていた。彼女の見送りもここまでだ。
「気をつけてね。無理しないで。なにかするときは、ちゃんとまわりに頼ってね」
「ええ」
飛竜にまたがる直前に、フィルはすこしばかり居住まいをただして彼女に向きなおった。薄灰色の大きな瞳をしっかりと見て、ある言葉をささやいた。それは過去形の告白だった。
「・・・・・・・」
リアナが笑顔で答えた。「知っていたわ、もうずっと長いこと」
そのほほえみには、あらゆる苦労が報われたとフィルに思わせる効果があった。
「秋には俺が迎えに来ます。待っていて」
飛び立つ青年の目に、手を振るリアナの姿がいつまでも見えていた。
「
「面はゆいんですよ。それに、これなら汚れても困らないし」
「困った
「あなたに言われるとはね」
二人は連れだって話しながら、飼育場の通路を歩いていく。
「最近はどうですか?」
「〈風読み〉たちも何人か送ってもらったから、だいぶん仕事が楽になったの。ナイル卿には感謝しないと」
「それはよかった」
世間話をすこし挟んで、フィルは気になっていたことを聞いた。
「……あの子どもたちは?」
飼育場にいた子どもたち。肌の白さと色素の薄さは、遠目にもアエディクラの人間ではないように見えた。
「もしかして……探していた子どもたちですか?」
「……うん」
リアナは、なぜかすこしうつむいて小さな声で答えた。「ザシャとレリンがいるの……」
フィルは思わず声にならない息を漏らした。
「〈隠れ里〉の、混血の子どもたち……ロッテヴァーン卿の?」
「うん。……わたしにとっては、今でもパン屋のロッタだけど」
こみあげてくるものがあったのだろう、肩を震わせるリアナを、フィルはやさしく抱きよせてささやいた。「見つかってよかった。……あなたがずっと探していた子どもたちだ」
「うん」彼の胸に頭を寄せ、リアナはくぐもった声で言った。「秋にはたぶん、彼らといっしょにオンブリアに帰れると思うの」
「……頑張ったんだね。子どもたちのために。あなたは本当にすごい人だ……」
彼らになにがあったのか、リアナとどんな話をしたのか、いつかゆっくり聞きたいとフィルは思った。
「この春の
「うん、今年の春は忙しかったから」
夏秋にもなにかと理由をつけては妻に会いに来ているらしいデイミオンの話は、あちこちから聞いている。かつてのあの男の女性への態度を知っている者たちからすれば、なにしろ驚くほどの溺愛ぶりだ。そういう兄の変化がおかしくて、くつくつと笑った。
アエディクラの技師と、オンブリアのライダーたちが協力して、干ばつに強い特別な米の栽培がようやく実を結ぼうとしている。そのはじめての収穫が、リアナの最後の仕事になるだろう。
「フィルはどうしてたの?」
「お声はかかったんだけど、まだそんな気になれなくて」
もの問いたげに見あげてくる彼女に、フィルはほほえんでみせた。〈ハートレス〉であったころは、自分が誰かの伴侶になるという考えからはあえて目を背けていた。それが、彼女と出会って、少しずつ変わってきたのを感じていた。
「……でも、いつかは人生を誰かとわかちあえるかもしれません。誰かを心から愛せるかも……あなたが俺に
その言葉は、リアナを満足させたようだった。
建物の外に出ると、エクウスという名の愛竜が待っていた。彼女の見送りもここまでだ。
「気をつけてね。無理しないで。なにかするときは、ちゃんとまわりに頼ってね」
「ええ」
飛竜にまたがる直前に、フィルはすこしばかり居住まいをただして彼女に向きなおった。薄灰色の大きな瞳をしっかりと見て、ある言葉をささやいた。それは過去形の告白だった。
「・・・・・・・」
リアナが笑顔で答えた。「知っていたわ、もうずっと長いこと」
そのほほえみには、あらゆる苦労が報われたとフィルに思わせる効果があった。
「秋には俺が迎えに来ます。待っていて」
飛び立つ青年の目に、手を振るリアナの姿がいつまでも見えていた。