溺死愛
文字数 2,337文字
幻のように息が白い。
彼女が背後で言う。この子は平然と歩く。余裕で俺の後をついてくる。
ただただ歩きはじめるんだ。
バスが燃えている。いい気味だ。しかも俺だけ生き延びた。まだまだやってやる。
俺は炎上するバスから黒煙とともに抜けだす。顔は熱傷でただれている。腕も肋骨も開放骨折だ。そんなはずはない。だから痛くない。
油の匂いは人が燃える匂いをかき消すのかな。巨大なトーチが沢を照らす。山奥だろうと煙のせいで星は見えない。はるか上にかかる橋もだ――
?
たいした話じゃないぜ。俺が運転手の首をナイフで切って、代わりに運転してやった。そして下り坂で時速120キロを超えたバスが欄干からダイブしただけだ。
ははははは。思いだしても痛快だ。運転を誤った対向車を含めて三十人は殺せたな。しかも俺は生き延びた。もっともっと一緒に地獄へ落ちるものを増やすために
女の右手の中が赤く輝く。
女は端末に簡潔に伝え、事故のあとに作られた山道を登り返す。
立ち止まり振りかえる。
女は真っ暗な沢へと再び一人降りる。満天の星には照らされない。