四つめの柱~photoAC様濫用バージョン~
文字数 1,961文字
夕暮れ時に釣り堀へ向かう。この都会のオアシスは夜まで営業しており、まだまだ賑わっていた。私は落ち着けそうなスペースを探す。
初老の男の両脇が空いていた。
その帽子の上には見事な蚊柱が立っている。
マグロを頭上に立たせたほどの存在感。黒い噴煙にも見えるが、物静かでもある。
微細な虫たちの声が聞こえてきそうだ。
私は周囲の人を眺める。ついで自分の上空も見る。男の頭上以外に黒い靄は漂わない。外堀のユスリカすべてが彼のもとに集まったかのような、虫たちが築いたオベリスク。
私の視線に気づき、男が振り向く。
私は好奇心のまま、彼の隣に座る。
私の呟きに、男がほほ笑む。年相応の疲れた笑み。
私は想いを膨らます。
二人はユスリカたちのおかげで結ばれたのかもしれない。この小さな虫たちは、夕陽に抱き合う若い男女の上でハートマークを揺らしたのかもしれない。
鯉よりも彼に興味が湧いてきた。
彼が突きだした人差し指に小さな蚊柱が立つ。
私の言葉に彼も小さく笑う。黄昏が都会の釣り堀を包んでいく。
男の半生がうっすらと見えた。
その声はおだやかなままだが、彼の妻子、上司の顔さえ脳裏に浮かぶのはなぜだろう。けれども。
その三本柱は、私の人生そのものでもあった。
それも奥深い言葉なのだろう。でも男は、もはや釣り糸の先を静かに見るだけだ。更に問いたいのを我慢して、私も釣りに専念する。
男のウキが激しく沈んだ。水中へと身体を持っていかれそうになり、必死に耐える。
鯉ではない。カンパチ……それ以上かも。しかしなぜに釣り堀に?
男が釣り糸を手繰る。それはゴーヤの蔓ほど太さがあった。自前の竿もゴーヤほど極太なのに気付く。
この男は釣り堀の主を狙っていたのか? ほかの釣り客も大魚と戦う彼を見つめている。
総武線さえも停車して、乗客が窓から眺める。見えぬ敵と激しく格闘する男に、ユスリカたちが従順に付き従う。
やがて獲物が抵抗をやめる。男はゆっくりと引き寄せる。水面に青色の鱗が輝くのが見えた……。違う。これはヘルメット?
男が一気に引き上げる。キャッチャーマスクをつけた顔が現れた。ついでマリンブルーの縦縞のユニフォームが。
戸柱と呼ばれた体格の良い男は、手助けされて通路に上がる。
ずぶ濡れの戸柱がマスクを外して見渡す。
蚊柱の男がバットとミットを渡す。
蚊柱の半分が、戸柱の頭上へと移る。水道橋方面へと大きな矢印をかたどる。
戸柱がマスクをかぶり走りだす。
男は感慨にふけることなく釣り堀を後にする。
追いかけてしまう。若者に人気の異世界転移に立ち合えた興奮を抑えきれない。
男が改札前で振り返る。
夏の幻が、蚊柱を引き連れて市ヶ谷駅の喧騒に消える。ドームからの歓声が聞こえた気がした。