四つめの柱~photoAC様濫用バージョン~

文字数 1,961文字

……。
 夕暮れ時に釣り堀へ向かう。この都会のオアシスは夜まで営業しており、まだまだ賑わっていた。私は落ち着けそうなスペースを探す。
……。
 初老の男の両脇が空いていた。
 
……。

 その帽子の上には見事な蚊柱が立っている。

 マグロを頭上に立たせたほどの存在感。黒い噴煙にも見えるが、物静かでもある。

存在を誇示したくないのに目立ってしまうのです

 微細な虫たちの声が聞こえてきそうだ。


 私は周囲の人を眺める。ついで自分の上空も見る。男の頭上以外に黒い靄は漂わない。外堀のユスリカすべてが彼のもとに集まったかのような、虫たちが築いたオベリスク。

 私の視線に気づき、男が振り向く。

 
これは私のフェロモンの仕業です。子供の頃から、守備をしていると彼らはやってきました。打席でも塁上でも同様でした。あの頃と同じく気味悪がれ、夏場の私には誰も近寄りません
(彼は野球少年だったのか。というよりユスリカを寄せ集める物質を発するというのか)
 私は好奇心のまま、彼の隣に座る。
冬場はどうなのですか? 屋内では?
 
夏のこの時間限定です。家にいても窓を開ければ私のもとに集結します。慣れ親しんでいるので殺虫剤は使いません。

……私を知っている人には風物詩です

(たしかに都会の夏の夕べに揺らぐ柱は幻想的にも見える。まるで)


真夏の黒いオーロラ

 私の呟きに、男がほほ笑む。年相応の疲れた笑み。
 
その例えを聞くのは久しぶりです。結婚前の妻以来です
……。
 私は想いを膨らます。
 
“ははは”
 
“うふふ”
 二人はユスリカたちのおかげで結ばれたのかもしれない。この小さな虫たちは、夕陽に抱き合う若い男女の上でハートマークを揺らしたのかもしれない。
 
ちょっとした人生訓を披露してよろしいですか?
是非に
 鯉よりも彼に興味が湧いてきた。
 
人生には三つの柱があります。一つめは茶柱。ささやかな幸せです
……。

(彼の声から、湯飲み茶碗の温もりを感じた。香ばしい白い湯気さえも)

 

二つめはこの蚊柱です。

夕闇に浮かぶ幻を追う。はかなき夢とでも言いましょうか

 彼が突きだした人差し指に小さな蚊柱が立つ。
トワイライトカーニバルですね
 私の言葉に彼も小さく笑う。黄昏が都会の釣り堀を包んでいく。
 

三つめは人柱です。


おのれを犠牲。お陰様で城が建ったと喜ばれ、三日で忘れられる

……。

 男の半生がうっすらと見えた。

 その声はおだやかなままだが、彼の妻子、上司の顔さえ脳裏に浮かぶのはなぜだろう。けれども。

茶柱、蚊柱、人柱ですか……。ありがとうございます
 その三本柱は、私の人生そのものでもあった。
あなたにとって釣りとは?
 
それは、四つめの柱のためです
……。
 それも奥深い言葉なのだろう。でも男は、もはや釣り糸の先を静かに見るだけだ。更に問いたいのを我慢して、私も釣りに専念する。
ユラユラ
ぐおっ

 男のウキが激しく沈んだ。水中へと身体を持っていかれそうになり、必死に耐える。

大物ですね。手伝いましょうか?

 鯉ではない。カンパチ……それ以上かも。しかしなぜに釣り堀に?


ユラユラ

 ユラユラ

危険ですから近寄らないでください

 男が釣り糸を手繰る。それはゴーヤの蔓ほど太さがあった。自前の竿もゴーヤほど極太なのに気付く。


 この男は釣り堀の主を狙っていたのか? ほかの釣り客も大魚と戦う彼を見つめている。

 総武線さえも停車して、乗客が窓から眺める。見えぬ敵と激しく格闘する男に、ユスリカたちが従順に付き従う。

 やがて獲物が抵抗をやめる。男はゆっくりと引き寄せる。水面に青色の鱗が輝くのが見えた……。違う。これはヘルメット?

 
四つめの柱をお見せしましょう。戸柱です

 男が一気に引き上げる。キャッチャーマスクをつけた顔が現れた。ついでマリンブルーの縦縞のユニフォームが。

 戸柱と呼ばれた体格の良い男は、手助けされて通路に上がる。

俺は戻れたのか? ここはどこだ?
 ずぶ濡れの戸柱がマスクを外して見渡す。
 
あなたは異世界から生還しました。ここは横浜ではありませんが、幸いにも今夜の試合はドームです。今からでも間に合います
 蚊柱の男がバットとミットを渡す。
……。
 
ユスリカたちよ、彼を導きなさい!
ブーン
 蚊柱の半分が、戸柱の頭上へと移る。水道橋方面へと大きな矢印をかたどる。
コッチダヨ

感謝する!
 戸柱がマスクをかぶり走りだす。
 
彼こそが大黒柱。これであのチームも復活するでしょう
 男は感慨にふけることなく釣り堀を後にする。
あなたは何者ですか?

 追いかけてしまう。若者に人気の異世界転移に立ち合えた興奮を抑えきれない。

 男が改札前で振り返る。
 
長年勤めた会社が昨年倒産しました。それを機に転生師を始めました。

通り名は、『夏の幻』

……。
 夏の幻が、蚊柱を引き連れて市ヶ谷駅の喧騒に消える。ドームからの歓声が聞こえた気がした。
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