シン・二人で幾つか試練

文字数 3,838文字

幻の名作(嘘)を極限までスリム化チャレンジ
だから試練だって。それがない人生なんてつまらないよ
 屈託なく悪だくみする器用な笑顔。
うん。そうだと思うよ。でもそれと――
じゃあ決定! ちょっと待ってね!
 ハイテンションな彼女が、チラシに何やら書きはじめる。僕は洗濯機をまわす。この1Kのアパートは、僕の部屋であり美帆の部屋である。東京で暮らす二十四歳の男女がまだ籍を入れているはずない。
はい出来上がり。じゃあ(そう)くんが選んで。三つだよ

A 台風の近づいた海を眺めにいく

B 終点まで乗り過ごす

C スマホを捨てて公衆電話で生活する

D とまった目覚まし時計で起きる

E 公園でおままごとする

……。

 美帆はかわいい。しかも地味に結んだ黒髪をほどき眼鏡をはずせば、しとやかな美女に見た目だけ化す

 僕に危機感ないままなのに、美帆が言うには、『北極海の氷河みたい』に二人の間に亀裂が走りだしたそうだ。二人の関係は、じきに溶けてなくなるらしい。

 それに立ち向かうためには、『水に飛び込むジェットコースターにハーネスをはずして先頭に乗るぐらい刺激的な行為』が必要とのこと。で、美帆の脳裏に浮かんだエキセントリックなアトラクションが、上記のA~Eだ。僕たちはここから三つ選んで実践しないといけないらしい。


 美帆には風変わりなところがある。共通の友人の言葉を借りると、『変人でめちゃ頭よくてかなりかわいくて、一言で表すならば、ありえねえぐらいすげー変

 美帆は変人だろうと、それさえ魅力だ。だから一緒に過ごしているわけだし、これからも一緒にいたい。遠い田舎へ帰らせる訳にはいかない。

僕は美帆とうまくいっていると思うし、いずれというか、じきというか……

結婚はその後!

私が作ったお題を達成した後に、そのずっと後に考えよう。いまは、はやく三つ選んで

 なんでそんなにわくわくした顔ができるんだ?

 彼女は頑固なほどに真面目だ。だから僕も真剣に答える。

まずAだけど、安全装置なしでジェットコースターに乗るほど危険行為だ。台風の海には絶対に近づいてはいけない。美帆が望もうが縛りつけてでもいかせない。そもそも五月だから台風はフィリピン沖にすらないと思う
もしかして消去法が始まった? 蒼くんらしいね
消さざるを得ないのはもうひとつある。Cだ。

僕は社会人だから、スマホなしでは生活というか働けない。というか公衆電話で生活ってなに? ここを引き払って公園隅の四角いボックスで寝起きするの?

たとえだって。二人でいても蒼くんはスマホの画面を見てばかりだし
それは美帆だって……SNSチェックだけで、漫画やゲームをしなければいいのかな?
ううん。他人との連絡も公衆電話。私もだよ。そしたら、どこかの電話ボックスで二人があったりするかも。偶然だねって。ロマンチックねって
 僕は彼女と話すのが楽しかったりする。
休日限定でやってみよう
それだと本末転倒だよ。休みの日だけじゃあ刺激ないよ
 ちょっと不安がよぎった。終わりの予感めいたもの。
そんなに僕といるのがつまらないの?
うん


それが蒼くんの個性だから、そのつまらなさを私は好きだよ。でも、じきに辛くなるかも。

……休日限定って言葉が面白いから、これはこれでいいや。残りは二つだね。私はEのおままごとにする。


あとひとつ。さあ蒼くんは、毎朝毎晩乗り過ごすか、とまった時計で朝を迎えるのどちらを選ぶでしょうか?

 僕は休日限定でBの『終点まで乗り過ごす』を選んだ。休日に目覚まし時計なしは試練として物足りないし、平日だとスリルがありすぎる。
郊外の終着駅で運命的な出会いが待っていたりして

ニンマリ

それ面白いかも

 そして彼女は出ていってしまった。

 帰宅しても彼女がいなかった水曜日。
『どこにいるの?』
『運命的再会のために秘密』

 僕は彼女を迎えに、路線の端から端まで乗らないといけないのかな。どこかの公衆電話で彼女を探すのかな。そして公園でおままごと。

 面倒くせーほど変な女。でもかわいい。自慢できるほどきれい。一緒にいて楽しい。心が休まる。離れたくない。美帆の荷物は部屋にそのままだし、つまらない男は変人の思いつきに従うべきだ。まだまだ二人の氷河が溶けだすはずない。温暖化に立ち向かう。

 そうは言っても様々な意味で心配だ。

『安全な場所にいるよね。シャワーとかは?』
『ヒントになるから教えない』
『仕事があるから週末まで美帆を探せない。だから一端帰ってきなよ』
『会いたいの? だったらコンビニにおいで』
恋人じゃなくてモトカレ。分かる? 元の交際相手
 木曜日の仕事帰り。レジに立つ美帆は、バイト同僚に僕をそう紹介した。
へえー。蒼さんはレジ袋いらないですよね
うん
二人ともちゃんと聞いてよ。

でもすぐに、よりが戻るかも。分かる? また仲良くなる意味

より……どんな漢字ですか?
糸へんに差。糸をねじって一本にすること。ほぐせば二本
 美帆は頭いいけど、何かと不安だ。はやく土曜になってくれ。 
『いよいよ明日だね。果たして二人は巡りあえるでしょうか?』
 金曜の夜メッセージが届く。楽しそうな美帆。風変りな美帆。いなくなりそうな……。
『やっぱりヒントが欲しい』
 美帆はこのままのノリで別れてしまう。極めてあり得る。だからすぐに迎えに行きたい。
『ハーネスつけずにバンジージャンプするほどの刺激が必要!』

 それだと死ぬかもしれないけど、それくらいの覚悟で探せという意味だろう。モトカノとよりを戻すためには。

 でも……この悪ふざけに意味があるのと聞きたくなる。君はいつも以上にテンション高すぎで、まるで終わらせないための試練じゃなくて……。



 土曜日の朝。近所の公園の電話ボックス。

 モトカレの部屋に歯ブラシも下着も置いたままのモトカノがそこにいたら、おままごとをしたあとに終着駅まで乗り過ごすだけだ。さすがに甘くはなかった。

 なので僕は安全器具なしで電車の旅をしないとならない。スマホは部屋に置いてきた。美帆との約束だからルールは守る。

 とりあえず最寄りの私鉄の終点である新宿駅から始めてみる。ホームにも改札にも美帆は見当たらない。

“郊外の終着駅で運命的な出会いが待っていたりして?”

“それ面白いかも”


 はるか遠い終点を目指そう。遠く離れようが再び巡りあえる二人。

 愚直な僕は、江の島へと電車で向かった。駅周辺のカフェとかで、かなり真剣に美帆を探す。コンビニ脇に公衆電話を発見。彼女への電話はつながらない。

 遠く離れようが再び巡りあえる。それは想像以上に困難だから、やっぱり二人は離れてはいけない。

 季節外れの海水浴場。美帆がいるはずない。一人で眺めたりして。……部屋に戻ったら彼女の荷物がなくなっていたりして。僕は贅沢にもロマンスカーでとんぼ返りする。

 

 十五時前に帰宅する。僕には心地よく窮屈な部屋。美帆の私物はそのままで、充電したままのスマホに彼女からの着信があった。

『運命的出会いはなかったね』


 ちょっと残念そうな声。一人きりの数日を確認し終えた声。
僕は台風が近づいてない海を見てきた

なにそのアレンジ! ちょっと素敵かも!

 いま駅構内だけど、スイカが空になって帰りの電車代が足りないんだ。だから後ほど向かえに来て

どこの駅にいるの?
『お風呂に入るか聞いたよね? 蒼くんは核心を突いたんだよ』
もしかして箱根?
うん。ロマンスカーに乗れないからちょっと遅くなるかも。じゃあね
 僕と美帆は小田急線それぞれの終点にいた。彼女は温泉地で待っていた。試練を成し遂げられなかった二人だし、追いかけて捕らえられる人でないし、アパート最寄りの駅で待つ。
おかえり
ちゃんと返すから
 チャージを済ませた美帆がでてくる。着替えで膨らんだリュックサック。さすがに疲れた感じの美帆。
なるべく早く返すから

 僕は返事しない。


 コンビニのレジ袋に夕食を入れて、暗くなりだした道を二人並んで歩く。

お題を二つクリアしたよ。しかも海を見てきた
私もネットカフェで目覚ましセットしないで起きた
そんなところで寝泊まりしていたんだ

別々の店をはしごした。三日が限度ぽい。……私が選んだお題だけが残ったね


公園でおままごと。今からする?

 踏ん切るための最後の試練。それを済ませたら、君は思い残すことがなくなるかもね。


 そんなの声にするはずなく、僕は首を横に振る。

二人のあいだの北極海が溶けだしたのは美帆のせいだと思う
どうして?

 君が真剣に生活してないから。僕に依存しているから。そんな日々に、優秀で可能性だらけの君は耐えられないから。でも夢を追わないで。つまらなくても僕といてほしい。


 そんな言葉こそ、僕は口にださない。ままごとをまだまだ続けたいから、僕が気づいていることに気づかせない。

美帆がいれば冷えるはずないし
 だからそんな言葉を選ぶ。
うまい!

 彼女は僕の背中をぱんと叩く。

 この関係よいつまでも続け。二人は並んで歩く。

 公園は真っ暗。
帰ろうかな。


地元の国立大でも似たような研究している

 その言葉を切りだすための一連の儀式。五つのお題。僕と別れるための三つの試練。美帆は面倒なほどに変わっている。
一緒に行くよ

 二人が共有する試練はこれから始まりだって。

 眼鏡の美帆は返事をしない。並んでアパートへと歩くだけ。……きっと、彼女の故郷への電車でも並んで座っているはず。北極の氷が溶けきるはずないし、よった糸がほどけるはずない。そうに決まっている。

 そうに決まっている。




外伝04完

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