不如帰旧道

文字数 2,045文字

ザーザー
ゴロゴロ
モタモタ
 梅雨前線は停滞中で、夜になっても窓を殴りつけてくる。白い軽自動車のワイパーはフル稼働だ。
高速道路は通行止め
 助手席の妻がスマホの情報を棒読みする。
雨のせいで?
いいや。多重事故だって
……長引くかな? 何事もなければ三時間で帰宅できたのに
分かんないよ。下を行く?
 ここは妻の故郷だ。僕たちは法事の帰り道で、すでに二十一時過ぎ。二人とも明日から普通に仕事。
そうだね。国道をたらたら進む
たらたら
ジリジリ

微動だにしないね

(妻がじれだした)
うん。みんなが迂回したにしても……こっちも事故かも


 二十二時を過ぎてしまった。雨は強まったり弱まったり。
山越えしよう
はい?
旧道から峠を抜けて帰る。通行止め区間をスルーできたりして。

すれ違い困難が多いけど、この車なら問題ない

……この天気だと危険だよ。土砂崩れしていたりとか
そしたら引き返せばいい。そんで明日は会社休もう。そこ右折して
……。
 妻は渋滞で立ちどまるより、行き当たりばったりを選ぶ性質(たち)だ。優柔不断な僕はちょっとだけ躊躇して、白い軽自動車は右車線に割り込む。
カチ、カチ、カチ…
この道ヤバすぎる
記憶よりはね。しかし夜だと真っ暗なんだ
 未舗装があったり、沢みたいになっている場所があったりで運転に緊張しまくる。幸いにも対向車とすれ違わないが、僕たちしかこの山にいないからだろう。
ビクビク
 雨はやんだ。代わりに濃い霧に包まれていく。引き返したい。ひさしぶりに脇に待避所があったので停車する。
あとどれくらいかな
もうすぐトンネルがある。そこから下りだけど、心霊スポットとして有名な場所なんだ。今夜は雰囲気ありすぎるね
なんて名前?
文目(あやめ)峠。


スワイプ、スワイプ


(あや)め峠だって。うまいこと言うし

……。

 妻は笑うけど、僕もスマホで検索する。菖蒲(あやめ)のことかな……文目鳥はホトトギスか。この鳥も不吉ぽいよな。二つ名は夜鳴き鳥、血吐き鳥、他人に子育てさせる托卵野郎。鳴かないってだけで殺したい人がいるし、本来の漢字は不如帰だし……。僕だって帰りたい。我が家でなくていいから人のいる場所に。

……。
………………。
 それは霧の向こうに突然現れた。コンクリートでドーム状に築かれた、すれ違いできない一本道へのエントランス。灯りは当然なく、二百六十メートル向こうの出口も見えない。虚ろな穴の上に嵌めこまれた金属製の扁額には『文目隧道』の文字。
へえ、隧道って本来は棺を納めるため墓に掘られた道のことなんだ
(妻がこの局面で教えてくれる)
君は何を調べているの?
対向車が来たらどうするかだけど、このトンネルの情報は片寄り過ぎている
 たしかにスポットらしいけど。車を叩く音? 女性の泣き声? 追いかけてくる人? ……幽霊車はネタだろ。
ジャンケンで負けた方がバックすればいいんだよ。それじゃ出発進行!
ソー

 マイクロバスが身動きできなくなりそうな暗黒空間へと、白い軽自動車はゆっくり進む。同時に屋根を盛大に叩かれる。


ぱんぱんぱぱんぱんぱぱん

……。
 染み出た地下水というか雨水が滝の出来損ないほどに降ってくる。軽自動車のペコペコした板金を太鼓の達人みたいにリズムよく叩く。まぎれて聞こえてきた。
うう……
やだな、人の声みたい。

(アクセルをもっと踏みたい)

なんの音だろう

ううう……
まだ聞こえるし
これ? 動画サイトのお経だよ。悪霊に効果あるらしいけどうるさい?
というか――
 マジですか。出口から明かりがふたつ近づいてきた。
ちょっと先の右側に待避所があるよ。入ったら思いだした
(あるに決まっているよな)
オサキニドーゾ
 道を譲るために狭いスペースへ車を寄せる。お経と頭上のドラムのなかで対向車を待つ――ライトが近づかない。
どうしたのだろ?
 妻へと顔を向ける。
……。
……。
 助手席の窓から人が覗いていた。
きゃああああああ……
モタモタ
……。
すごいシャウトだったね
 妻がまた笑う。
この先で土砂崩れが発生しました。引き返してください
 森林管理事務所の人が親切にも車から降りて教えてくれた。おかげで僕は、妻が悲鳴を上げるほどに絶叫してしまった。
ゲートが閉鎖されてなかった? 常識で判断してください
 職員さんたちから怒られたうえに、
ここは大雨の後は落石が多い。

毎年事故がある。

死者もでている

 散々に脅される。一分ほど下るとターンできるスペースがあるというので、そこまで進むことにする。
 それらしきにたどり着いたところで、前方の霧がかすかに照らされた。でもここだと労せずしてすれ違える。ナイスタイミング……。
いまライト見えた?
ごめんスマホいじってた。でも土砂崩れで来れるはずなくね
だよね。見間違いだね
ウイイイイン
 白い軽自動車は乱暴に切り返す。白いのに暗い霧の中を登り返す。
うう……
そろそろお経をとめてくれない?
 泣き声みたいで、手肌をさすられるように気色悪い。
とっくに消したよ。急に圏外になったから
うう……
…………。
ううう、置いてかないで……
ブーン
おしまい
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