達人の教え~著作権意識過剰バージョン~

文字数 2,127文字

……。

 梅雨の谷間。朝早くにバードウォッチングへ赴く。

 私は定年を迎えてからの素人だ。専門器具を揃えた先達の邪魔をせぬようにと心掛けている。というのも、私は静かな環境で集中すると放屁する癖があり、彼らの高感度の集音機に捉えられてしまうからだ。

『オオルリの囀りを録音できました』
『きれいに鳴いていますね。しかし、十七秒ごとに聞こえる放屁みたいな音は?』
『近くにいた男性の放屁です』
 そんな会話が聞こえてきそうなので、離れた穴場を探す。
……。

 いくらでも放屁できる場所を見つけたが、鳥の声はカラスとドバトだけになってしまった。峠を越えて、どこぞの集落の山寺まで下りてしまったようだ。ツーリングのバイクが放屁よりうるさい。

 本堂の階段に腰かけて休もうとすると、中で男が一人座禅を組んでいた。

…………。
 白い道着と紺色の袴。初老の男からは達人の空気が漂う。
あなたは達人でしょうか

 失礼と思いながらも声をかけてしまう。プス

 男が目を開ける。

そんな域にはまだまだ達していません。


明鏡止水という言葉がありますが、私はまだ暗鏡流水です

……。

(なるほど。心に邪念なき境地の対義語ならば疑心暗鬼を用いるべきだが、それをあえて斯様な造語を使うとは。すでに、この方は達人の域にいるのだろう)

どうぞ、お入りください
 男に誘われるままに、私は靴を脱ぐ。ひんやりとした心地よい空間。彼はポットからお茶を注いでくれた。
お寺の方ですか?

プス

 紙コップを受けとりながら尋ねる。男は白髪を総髪にしており、僧侶には見えない。

いいえ。勝手に使わせていただいています。

それはそうと、武田節を知っていますか?

はい(上司の十八番だったので、月三回が二十五年。九百回は聞かされた)
それを作詞した高名な僧が、こんな言葉を残しています。『心頭滅却すれば火もまた涼し』。

私が目ざす境地は、『水もまた熱し』です

……。


(清らかな沢の水で火傷するのを求めるというのか。……もっと奥深い答えがあるはずだ)


プス


その心は?

まだそこまで達しておりません。それより三橋美智也さんは、こんな言葉を捧げました。

疾きこと風のごとく。静かなること林のごとし――

 部長の詩吟を思いだして胃もたれしてきた。

すべて言わなくて結構です。

風林火山ですね。志半ばで倒れた戦国武将の旗。


それと誤解を招きかねないので言っておきますが、それは歌詞でなく孫子の兵法、古典からの引用です。さきほどの作詞家だって違います。ギャグのつもりでも許されないこともあるのでお気を付けください。

そうですか。


さて風林火山とは、軍は素早く隠密であり、そしてキラウエア火山のように激しく戦うべき。そう解釈されています。

しかし私は、本当の趣旨を探り当てました

(それは、山梨県民が愛してやまない四文字を否定することになる。達人であっても許される行為だろうか)


プス

……静寂だ。ご本尊であろう不動明王が二人を見おろしている。

プス

あなたは十七秒ごとに放屁する癖があるようですね。それはさておき風林火山本来の意味は、そのままです。

すなわち、そよぐ風、緑の林、キャンプファイヤー、そして山盛りのカレーライス




 

“静かな湖畔の森の影から、もう起きちゃ如何と郭公が鳴く……”
“マイムマイムマイムマイム、マイムベッサンソー……”




 

 青春を彩った名曲が脳裏に流れだした。著作権は問題ない。
まさしく林間学校ではないですか

 この達人は中学校の国語教師だったのかもしれない。

 男は微笑みながら頷いたあとに。

信玄公は、きつい行軍も楽しくやろうと、三橋さんの声を借りて足軽に伝えたかったのかもしれません
 男はお茶をすする。 プス



 

興じ過ぎたようです。あなたを巻き込んでしまった
 男がふいに厳しい顔で立ちあがる。
何があるのですか?プス
本来なら隠すべきですが仕方ありません。私の正体は正義の味方です。

今日ここで、悪の一味と果し合いの約束をしていました

えっ、プス
 唐突な話に十三秒しか経てないのに放屁してしまった。しかし、達人の立ち振る舞いを見れば嘘偽りでないことは分かる。この男は何十年に渡り、日本の平和を守ってきたのだろう。
悪とは?
六天魔王です。……やってきました
 男が本堂から出る。
ヒヒヒ……
(第六天魔王……。仏の敵であり教えの敵であり、衆生を惑わす魔。そのような巨大なものと、ただ一人の男が戦うと言うのか)

 本尊の不動明王が括目した気がした。


プス


 遠くでカッコウが鳴いている。近くでカラスとドバトが騒いでいる。

 石段を複数人が上る気配。

……。
待たせたな、熱血教師ライダーよ
 悪の一味が中庭で横に並ぶ。
悪の魔王。エビ天プラーだ
同じく、イカ天プラー推参
天ムスだぎゃー
カキ揚ゲンもいるわよ、ライダーさん
そして私が、旬の山菜盛り合わせだ
……。

(恐るべきことに、第六天魔王は現在においては天婦羅として具現されるのか?)

ちなみにアナゴ天プラーは公欠、ぐぎゃあああ!
 六天のうち五天が瞬殺された。プス
情けは味方、仇は敵。しかし戦いに情けは無用
 達人が武田節の神髄を言い残し立ち去る。ではなく、甲陽軍鑑からの引用を言い残し立ち去る。
……。
 私は天婦羅づくしに胃もたれを感じながら、放屁を我慢して見送る。

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