第20話 キッチンドランカーだったひと
文字数 1,469文字
僕の母親の母親、つまりおばあちゃんの面倒は、母と、僕の弟がみていた。
僕が東京に引っ越して、アルコール依存症のおばあちゃんの面倒は、田舎にいる母と僕の弟が頑張ってみるしかなかった。
その経験があるから、僕の弟はガッツがあるし、今では職場では偉い地位にいる、兄貴肌の人物に育った。
僕が上京するとき、母親は僕に、
「あたしたちを捨てるお前を絶対に許さない」
とにらみつけてきたことがある。
弟は色々事情があった女の子をかくまって、その子と一緒に生活をしていたことがある。
母親があるとき、僕のモバイルバッテリーを見て、丁度良い袋があるから使いなさい、と言って、丁度良いサイズの布袋をくれた。
母親と会う機会があったときに、母親は僕に、
「その袋はねぇ、お前の弟がかくまっていた女の子とセックスするときに使っていたコンドーム入れに使っていた袋なのよ! お前は? お前はセックスが出来ない! あんたは将来、老後のあたしの面倒を見て暮らすしかないのよ? あんたは一生、あたしの面倒を見て過ごす! あんたは一生、セックスが出来ない! いい気味! オーッホッホッホ!」
と、大爆笑した。
介護殺人って言う言葉を知らないのだろうか、このひとは。
たぶん自分で言ったことも忘れてけろりとしているだろうけど、いじめられっ子というものは、いびられた体験などを覚えているものだよ。
阿呆だなぁ、と思う。
それはともかく、今回は、その、おばあちゃんが少しだけ元気だった頃の話だ。
☆
おばあちゃんは、キッチンドランカーだった。おじいちゃんである人物が厄介な人物で、アルコールに救いを求めるしかなかったようだ。
いろいろあって、二人は別れた。
おばあちゃんは、もうおばあちゃんと呼ばれる年齢になっていたのに、その年齢で、ヘルパーの資格を取って、家政婦として働いた。
家政婦、と言ってもいろいろあって、入院しているひとに付き添って、病院で面倒を見る仕事が多かった。
どれくらい年月が経っただろう。
僕は高校一年生になっていた。
おばあちゃんと別れたおじいちゃんが、末期がんになってしまった。
おじいちゃんが最後の入院をするとき、貸家の縁側でおじいちゃんは、
「おれは宝くじが当たったんだ。本当だぞ。部屋の中を探してみろ。宝くじが当たったんだ……」
と、繰り返し言っていた。
宝くじと言われたのでその貸家の部屋を探していたら、ドストエフスキーの『罪と罰』が、棚のガラスケースの中に入っていた。
部屋に本なんて一冊も置かないひとなのに、不思議だなぁ、と僕は思って、宝くじを探し続けた。
宝くじらしきものは見つからなかった。
入院する、となったとき、家政婦をしていたおばあちゃんが、やってきた。
なにをしに、やってきたのか。
それは仕事をするためであった。
仕事?
おばあちゃんは、家政婦だ。
そう。
末期がんで入院するおじいちゃんに付く家政婦として、やってきたのだ。
おじいちゃんはおばあちゃんに、
「おれが手術に成功してこの病気が治ったら、みんなに謝ってまわろう。みんなに迷惑をかけてしまった。二人で、謝ってまわろう」
と、言っていた。
こうして、おばあちゃんは、おじいちゃんを看取った。
貸家の整理をするために、僕らはおじいちゃんが亡くなったあと、その貸家に出向いた。
読もうかな、と思って棚のガラスケースの中を見たら、あったはずの『罪と罰』がなくなっていた。
出来すぎた話かもしれないが、罪と罰がなくなっていたのであった。
忘れもしない、僕が高校一年生のときの話だ。
〈了〉
僕が東京に引っ越して、アルコール依存症のおばあちゃんの面倒は、田舎にいる母と僕の弟が頑張ってみるしかなかった。
その経験があるから、僕の弟はガッツがあるし、今では職場では偉い地位にいる、兄貴肌の人物に育った。
僕が上京するとき、母親は僕に、
「あたしたちを捨てるお前を絶対に許さない」
とにらみつけてきたことがある。
弟は色々事情があった女の子をかくまって、その子と一緒に生活をしていたことがある。
母親があるとき、僕のモバイルバッテリーを見て、丁度良い袋があるから使いなさい、と言って、丁度良いサイズの布袋をくれた。
母親と会う機会があったときに、母親は僕に、
「その袋はねぇ、お前の弟がかくまっていた女の子とセックスするときに使っていたコンドーム入れに使っていた袋なのよ! お前は? お前はセックスが出来ない! あんたは将来、老後のあたしの面倒を見て暮らすしかないのよ? あんたは一生、あたしの面倒を見て過ごす! あんたは一生、セックスが出来ない! いい気味! オーッホッホッホ!」
と、大爆笑した。
介護殺人って言う言葉を知らないのだろうか、このひとは。
たぶん自分で言ったことも忘れてけろりとしているだろうけど、いじめられっ子というものは、いびられた体験などを覚えているものだよ。
阿呆だなぁ、と思う。
それはともかく、今回は、その、おばあちゃんが少しだけ元気だった頃の話だ。
☆
おばあちゃんは、キッチンドランカーだった。おじいちゃんである人物が厄介な人物で、アルコールに救いを求めるしかなかったようだ。
いろいろあって、二人は別れた。
おばあちゃんは、もうおばあちゃんと呼ばれる年齢になっていたのに、その年齢で、ヘルパーの資格を取って、家政婦として働いた。
家政婦、と言ってもいろいろあって、入院しているひとに付き添って、病院で面倒を見る仕事が多かった。
どれくらい年月が経っただろう。
僕は高校一年生になっていた。
おばあちゃんと別れたおじいちゃんが、末期がんになってしまった。
おじいちゃんが最後の入院をするとき、貸家の縁側でおじいちゃんは、
「おれは宝くじが当たったんだ。本当だぞ。部屋の中を探してみろ。宝くじが当たったんだ……」
と、繰り返し言っていた。
宝くじと言われたのでその貸家の部屋を探していたら、ドストエフスキーの『罪と罰』が、棚のガラスケースの中に入っていた。
部屋に本なんて一冊も置かないひとなのに、不思議だなぁ、と僕は思って、宝くじを探し続けた。
宝くじらしきものは見つからなかった。
入院する、となったとき、家政婦をしていたおばあちゃんが、やってきた。
なにをしに、やってきたのか。
それは仕事をするためであった。
仕事?
おばあちゃんは、家政婦だ。
そう。
末期がんで入院するおじいちゃんに付く家政婦として、やってきたのだ。
おじいちゃんはおばあちゃんに、
「おれが手術に成功してこの病気が治ったら、みんなに謝ってまわろう。みんなに迷惑をかけてしまった。二人で、謝ってまわろう」
と、言っていた。
こうして、おばあちゃんは、おじいちゃんを看取った。
貸家の整理をするために、僕らはおじいちゃんが亡くなったあと、その貸家に出向いた。
読もうかな、と思って棚のガラスケースの中を見たら、あったはずの『罪と罰』がなくなっていた。
出来すぎた話かもしれないが、罪と罰がなくなっていたのであった。
忘れもしない、僕が高校一年生のときの話だ。
〈了〉