第137話 言葉こそが原初の炎であり【6】

文字数 1,879文字

 渋谷区円山町のナイトクラブ、CLUBブエノスで、僕らはライブを行った。
 その直後、八王子のライブハウスでクリスマスライブを行う。
 僕らは快進撃を続けていた。
 コーゲツとは音信不通になっていた。
 なので、小説を書けない僕は代わりに、ミシナに長い長いメールを書いて送っていた。
 ミシナにとって、それは迷惑だっただろう。

 警備員のバイトをしながら、僕のこころは浮かれていた。
 だって、インディーズデビューが決まったのだから。
 カケは、
「インディーズくらいになら、なれると思っていたよ」
 と、自信満々だった。
 ドラムも、借歌のお姉さんとして仕事を続けていて、自身に満ちあふれていた。

 ある日、僕の携帯電話にミシナから、
「るるせ! 今度会おう! 高井戸まで行くよ!」
 と、メールがあった。
 同時に、僕の父親から、赤坂見附で料理をおごるから来い、とのメール。
 さらに、打海文三氏から、出版社のパーティに一緒に行こう、との電話。
 この三つが、全部、同じ日での約束で、であった。
 つまり、ミシナ、赤坂見附、出版社のパーティの三つから、僕はどれかを選択しなければならなかった。
 そして僕は……阿呆なので、もちろん、女性を選んだ!
 僕は、この選択肢のなかで一番どうしようもないと思われる、ミシナと会う、という選択肢を選んだのであった。







 その夜、高井戸駅にいると、ミシナが現れた。
「僕の部屋にでも行くかい?」
 首を横に振ってそれを嫌だと言うミシナは、クリーニング屋から持ってきたような男性向けのジャケットを持っていた。
「えーっと、ミシナはどこに住んでいるんだっけ」
「品川区の五反田だよ」
「そのジャケットは?」
「……うん。えっとね、クリーニング屋に寄って来たんだ」
「ふぅん」
 僕らは温水プールの前の広場まで行き、そこで話をすることにした。
 ベンチ代わりにして、広場のコンクリートブロックに座る。
 街灯だけが、僕らを照らす。

「ミシナはさ、確か奨学生なんだよね」
「うん。新聞屋さんで朝刊と夕刊を届けてるんだ」
 自分の手のひらを見せるミシナ。
 その手は、皮がボロボロだった。
「新聞を配ってると、こうなっちゃうんだ」
「そっか」
「うん」
 僕は、ミシナにCDを貸した。
「これを返しにもらいに、そのうち五反田に行くよ」
「五反田に?」
「確か、あの近くに、〈星製薬〉の跡地があったんじゃないかな。星製薬の跡地を見てから、そのついでに、ミシナのとこに行くよ」
「わたし、新聞屋さんに住んでるから、部屋には上がれないよ?」
「星製薬の跡地に行く、そのついでだ、って行っただろ」
「その、星製薬って、なに? 初めて聞いたよ」
「SF作家で、ショートショートの第一人者である、星新一の親がやっていた製薬会社が、星製薬なんだよ」
「へぇ。知らなかった。星新一って、なんだか漫画の名探偵みたいな名前だね」
「あの漫画の主人公が小さくなった時の名前は、江戸川乱歩から、江戸川。下の名前の方はシャーロック・ホームズの作者、コナン・ドイルからだね。ちなみに江戸川乱歩は、エドガー・アラン・ポーからもじってつくった名前だね。新一って言う本名の方の名前は、やっぱり作家である、星新一から取ったのじゃないかな。昔、サイエンスフォクションが日本に入って来たときは、SFはミステリの亜種だと思われていたのだよ。さらに言うと、日本のSF御三家は星新一、小松左京、筒井康隆だけど、筒井康隆をデビューさせたのは、江戸川乱歩だよ。江戸川乱歩と言えば、明智小五郎だね」
「あ。そこでコナンと重なるんだ!」
「そうだね」
 僕は笑う。
 その笑顔を見て、ミシナは瞳に涙を浮かべる。
「るるせ!」
「なに? ミシナ」
 ミシナは、前に僕に尋ねたことと同じことを尋ねる。
「るるせは、なんで笑っていられるの! 楽しくなんてないでしょ!」
 そうだ。
 僕は、自殺未遂をしている。
 楽しくなんかない。
 つらいことばかりだ。
 ミシナは言う。
「るるせは小説を書きなよ! 小説家の才能があるよ! 普通はるるせみたいな文章は書けないよ! 作家になって! るるせ!」
 叫ぶミシナを僕は抱きしめる。
 頭をなでようとすると、ミシナは僕の腕から逃れて、頭を振って、撫でさせなかった。
 ミシナは、街灯に照らされながら、涙を流す。

 思えば持ってきたジャケットは、僕に渡すつもりだったのかもしれない。
 五反田から高井戸まで持って来るのが、そう考えないと意味不明だ。

 僕らは、いつだって擦れ違う。
 僕とミシナも、擦れ違って、違う道を進むのは、わかっていた。
 泣きたいのは、僕だって同じだった。





〈了〉
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登場人物紹介

成瀬川るるせ:語り手

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