第138話 ミスキャスト【1】
文字数 1,917文字
星新一が、自分のお父さんである星一のことを書いた『人民は弱し 官吏は強し』に詳しく書いてあるけど、1910年に、SF作家である星新一の父である星一は星製薬を創業し、1911年に星製薬株式会社が設立された。
国内初の、医療用のモルヒネなどを扱う会社だった。
しかし、戦後になり、経営不振に陥り、後を引き継いだ星新一は、ホテルニューオータニを創業した大谷家へ譲渡して、借金をチャラにしてから、作家の道を歩むことになった。
その星製薬は品川区の五反田にある。
僕が訪れたときは、星製薬跡地に、本の流通センターのようなテナントが入っていたのを覚えている。
僕は星製薬の跡地に来て、少しこころが震えて、それから、ミシナの住む五反田の新聞屋まで、歩いていった。
僕はミシナにCDを返してもらう、という名目で、高井戸から五反田まで会いに来た。
ミシナが住み込みで働いているその新聞配達屋を見つけた僕は、新聞屋の店内に入った。
「ミシナって子が働いていると思うのですが、どこにいますか」
新聞屋の店長っぽいひとがいたので、訊いてみた。
「ミシナぁ? あいつはいつもどこをほっつき歩いているのか、知れたもんじゃないぜ」
と、店長らしきひとは、吐き捨てる。
すると、上の階からひとが階段を下りてくる音と、
「るるせー! るるせ、本当に来てくれたんだ! びっくりだよ!」
と、ミシナの声。
「来ちゃったよ。あはは」
僕は笑う。
「店長。外出してきます」
そう言うミシナに店長は言葉を返す。
「ああ。今日は最初から遠出してくる予定だったもんな。行ってこいや」
頭を下げるミシナ。
ミシナはグランジっぽいちょっとよれた素材のフリル衣装だった。
fra-foaっていうバンドのボーカリストが『澄み渡る空、その向こうに僕が見たもの。』という曲のミュージックビデオで着ているものにかなり近かった。
とにかく、目立つ格好だった。
「近くにカフェがあるから、るるせ、そこで話そうよ! わたしがおごるよ! るるせはお金なんて持ってないでしょ!」
その通りだった。
僕はほぼ無一文だった。
☆
僕は、星製薬の話を、再び、ミシナにした。
感動した、って話を。
僕は小学生の低学年のとき、国語に掲載されている小説やエッセイを、大事に何回も読んだ。
エッセイは数学者の森毅が最高だった。
そして、小説は、星新一が最高だった。
読んだ小説のあらすじを、未だに覚えている。
それだけ何回も繰り返し読んだ、ということだ。
それは、こんなあらすじだった。
人類が生まれる前、宇宙人が地球にやってきて、地中深くにモノリスのようなものを埋めて、違う星に帰っていった。
そのモノリスには、科学が発達したときに、地球人が宇宙の一員になれるように、平和になるための科学の制御の仕方かなにかを記したものだった。
それは宇宙人から来るべき地球人類への優しさだった。
時は過ぎて、地球人が誕生する。
地球人は、戦争を起こした。
核爆弾などを使って、人類は一人残らず滅亡した。
宇宙人が埋めておいたモノリスも、人類とともに消し炭になって消えてしまったのであった。
宇宙人の優しさを知ることもなく、地球人は全滅したのだ。
おしまい。
と、そんな内容だった。
僕はそれをミシナに語った。
ミシナは、喜んでそれを語る僕を、泣きそうな瞳で見ながら、何度も頷いていた。
ミシナがおごってくれた珈琲とワッフル、スコーンはおいしかった。
☆
話していたら、夜の帳が下りていた。
外は真っ暗だ。
ミシナは言う。
「今夜は友達がやるライブがあるんだ」
「どこでやるの?」
「聖蹟桜ヶ丘!」
「じゃあ、駅まで行こう」
「遅れちゃう」
「じゃあ、走ろう」
「うん!」
僕らは店の外に出ると、二人で走った。
駅のロータリー近くの、横断歩道の信号が赤になって、僕らは止まる。
僕とミシナは、息が上がっていた。
冬なので、息が上がって上気した頬が、気持ち良い。
信号待ちで止まっていると。
ミシナが僕の方に、手を差し出した。
僕は、ミシナのその手を握る。
新聞の配達でざらざらになった、それは冷たくて小さい手だった。
その手をぎゅっと掴んで、僕はミシナを見る。
ミシナも、僕を見た。
目と目が合う。
僕らは無言で頷き合った。
信号が青に変わる。
乗用車やタクシーのヘッドライトがスポットライトのように、走る僕らを映し出す。
真っ暗闇の中、きらきら光るライトに照らされて、手を繋いだ僕らは、五反田駅まで走った。
星降る夜だった。
ステージにいるより何倍も、そのときのミシナと僕は、輝いていたと思う。
そして、僕がミシナに会ったのは、それが最後だった。
〈次回へつづく〉
国内初の、医療用のモルヒネなどを扱う会社だった。
しかし、戦後になり、経営不振に陥り、後を引き継いだ星新一は、ホテルニューオータニを創業した大谷家へ譲渡して、借金をチャラにしてから、作家の道を歩むことになった。
その星製薬は品川区の五反田にある。
僕が訪れたときは、星製薬跡地に、本の流通センターのようなテナントが入っていたのを覚えている。
僕は星製薬の跡地に来て、少しこころが震えて、それから、ミシナの住む五反田の新聞屋まで、歩いていった。
僕はミシナにCDを返してもらう、という名目で、高井戸から五反田まで会いに来た。
ミシナが住み込みで働いているその新聞配達屋を見つけた僕は、新聞屋の店内に入った。
「ミシナって子が働いていると思うのですが、どこにいますか」
新聞屋の店長っぽいひとがいたので、訊いてみた。
「ミシナぁ? あいつはいつもどこをほっつき歩いているのか、知れたもんじゃないぜ」
と、店長らしきひとは、吐き捨てる。
すると、上の階からひとが階段を下りてくる音と、
「るるせー! るるせ、本当に来てくれたんだ! びっくりだよ!」
と、ミシナの声。
「来ちゃったよ。あはは」
僕は笑う。
「店長。外出してきます」
そう言うミシナに店長は言葉を返す。
「ああ。今日は最初から遠出してくる予定だったもんな。行ってこいや」
頭を下げるミシナ。
ミシナはグランジっぽいちょっとよれた素材のフリル衣装だった。
fra-foaっていうバンドのボーカリストが『澄み渡る空、その向こうに僕が見たもの。』という曲のミュージックビデオで着ているものにかなり近かった。
とにかく、目立つ格好だった。
「近くにカフェがあるから、るるせ、そこで話そうよ! わたしがおごるよ! るるせはお金なんて持ってないでしょ!」
その通りだった。
僕はほぼ無一文だった。
☆
僕は、星製薬の話を、再び、ミシナにした。
感動した、って話を。
僕は小学生の低学年のとき、国語に掲載されている小説やエッセイを、大事に何回も読んだ。
エッセイは数学者の森毅が最高だった。
そして、小説は、星新一が最高だった。
読んだ小説のあらすじを、未だに覚えている。
それだけ何回も繰り返し読んだ、ということだ。
それは、こんなあらすじだった。
人類が生まれる前、宇宙人が地球にやってきて、地中深くにモノリスのようなものを埋めて、違う星に帰っていった。
そのモノリスには、科学が発達したときに、地球人が宇宙の一員になれるように、平和になるための科学の制御の仕方かなにかを記したものだった。
それは宇宙人から来るべき地球人類への優しさだった。
時は過ぎて、地球人が誕生する。
地球人は、戦争を起こした。
核爆弾などを使って、人類は一人残らず滅亡した。
宇宙人が埋めておいたモノリスも、人類とともに消し炭になって消えてしまったのであった。
宇宙人の優しさを知ることもなく、地球人は全滅したのだ。
おしまい。
と、そんな内容だった。
僕はそれをミシナに語った。
ミシナは、喜んでそれを語る僕を、泣きそうな瞳で見ながら、何度も頷いていた。
ミシナがおごってくれた珈琲とワッフル、スコーンはおいしかった。
☆
話していたら、夜の帳が下りていた。
外は真っ暗だ。
ミシナは言う。
「今夜は友達がやるライブがあるんだ」
「どこでやるの?」
「聖蹟桜ヶ丘!」
「じゃあ、駅まで行こう」
「遅れちゃう」
「じゃあ、走ろう」
「うん!」
僕らは店の外に出ると、二人で走った。
駅のロータリー近くの、横断歩道の信号が赤になって、僕らは止まる。
僕とミシナは、息が上がっていた。
冬なので、息が上がって上気した頬が、気持ち良い。
信号待ちで止まっていると。
ミシナが僕の方に、手を差し出した。
僕は、ミシナのその手を握る。
新聞の配達でざらざらになった、それは冷たくて小さい手だった。
その手をぎゅっと掴んで、僕はミシナを見る。
ミシナも、僕を見た。
目と目が合う。
僕らは無言で頷き合った。
信号が青に変わる。
乗用車やタクシーのヘッドライトがスポットライトのように、走る僕らを映し出す。
真っ暗闇の中、きらきら光るライトに照らされて、手を繋いだ僕らは、五反田駅まで走った。
星降る夜だった。
ステージにいるより何倍も、そのときのミシナと僕は、輝いていたと思う。
そして、僕がミシナに会ったのは、それが最後だった。
〈次回へつづく〉