第66話 真夏の夜のサクリファイス【1】

文字数 1,752文字

 高校三年生の一学期。
 一年生の女の子、メアリーは毎日お花屋さんに寄って、花束を買ってから、バスに乗って町の新興住宅団地まで帰るのであった。
 僕は学校から駅前のバス停まで見送ってから、帰宅することにしていた。
 花束を持って歩く彼女の姿ははかなげで、現し世よりも隠り世の方がこの子の世界なのではないか、と思うことがあった。

 ある日、僕の家に遊びに来たメアリーが、僕に誕生日を教えて、と言ってきた。
 僕は誕生日の日付を答える。
 平手打ちが飛んできた。
「ふざけないでくれる?」
 彼女は言った。
 意味がわからない。
 僕は自分の学生証をメアリーに見せた。
 すると、納得した彼女は首をかしげながら、
「お姉ちゃん? 先輩はわたしのお姉ちゃんだよ!」
 と、僕に微笑んだ。
「お姉ちゃん? 僕が?」
「そう。先輩は、お姉ちゃんだよっ」
 ふむ、と頷いて、僕は話題を変えて、その場をうやむやにした。







 一学期もいろいろあるのでそれはそのうち記述することになるけど、今はメアリーと僕の話だ。
 八月。
 僕の誕生日がやってきた。
「お誕生日おめでとう、先輩!」
 メアリーはケーキを手作りして持ってきた。
 ホールサイズのケーキまるごと。
 ホールケーキは、ふたつ用意されていた。
 メアリーの誕生日は、秋だ。
 今じゃない。
 じゃあ、誰のためのケーキなのだろうか。
「うふふ。ケーキ、ひとつは先輩の。もうひとつはお姉ちゃんの」
 頭の上にはてなマークが浮かぶ。
 古典的な漫画のようにクエスチョンマークが浮かんだのだ。
 僕が「説明を願う」と言う前に、くすくす笑うメアリーは答えを返した。
「わたしの死んだお姉ちゃんの誕生日は、先輩と同じ日なの。だから、祝うの。先輩と、お姉ちゃんの誕生日を」
 なるほど、と頷く僕は、たらふくケーキを食べた。
 花屋で毎日買う花は、亡くなったメアリーのお姉ちゃんのためのものだったのだ。







 彼女のお姉ちゃんは轢死した。
 この時点から数年前の話だ。
 メアリーは、そのときはまだ回復していない。
 いわゆる〈喪の作業〉というものが人間には必要で、メアリーは、そのためか、よく眠っていた。
 よく眠る娘だった。
 僕の部屋でも、無防備にぐーぐー眠っていた。


 話はいったん逸れて。
 僕が高校生の間の三年間、僕に、
「わたしはるるせくんと結婚するー!」
 と、登下校時に会うと必ず言ってくる女の子がいた。
 結婚とはまたおおごとだな、と思った僕は、からかわれているのだろう、と判断して、その子をあしらっていた。

 高校卒業後、元クラスメイトのシガくんから電話がかかってきた。
「死んだってよ」
「誰が?」
「おまえがよく知っている子だよ」
 シガくんが、その死んだ女性の名前を言う。
 だが、僕は名前を言われても思い出せなかった。
「バカ! おまえと結婚したいって言っていた女の子だよ!」
「死んだって、まさか」
「そうだよ、こんな若い年齢での死因と言やぁ、自死だろ。轢死だよ! このとんちき!」
「…………」
「はぁ。おまえは本当に阿呆だな。じゃ、また」
 シガくんが電話を切る。

 そんなことがあって、僕はメアリーに、その子が亡くなったこと、轢死だったこと、僕と結婚したいと言っていたことなどを話した。
 彼女は激怒した。
「なんで放っておいたの! 先輩ならば助けることができたじゃない!」
 僕は死んだその子と、高校卒業後、会ってない。
 あしらっていて、一緒に遊びに行くことすらしていない。
 電話番号すら、知らない。
 僕は、その子を助けることなんてできなかった。
 メアリーは僕に平手打ちをしてから、怒鳴り散らした。
 僕は自分の無力さを、改めて感じていた。
 僕になんか、できることなんて、なにひとつとしてなかった。
 メアリーは、僕の部屋でわんわんと泣いた。
 死んだメアリーのお姉ちゃんをどうすることもできなかったし、僕と結婚したいと言っていた子をどうすることもできなかった。
 目の前にいるメアリーすら、僕にはどうすることもできない。
 僕はなにをすることもできない、無力で無能なただのバカだった。
 噛んだくちびるから血がにじむ。
 悔しかった。
 でも、なにに対してなのか。
 僕はバカだ。
 僕は自分が地獄へ堕ちていく予感が、その頃にはもう確定事項のように思えていた。





〈次回へつづく〉
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成瀬川るるせ:語り手

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