第114話 光について【2】

文字数 1,509文字

 東京に来てからは、作曲をするときにはギターを抱えてやるけれども、基本的に弾き語りをすることは、なくなっていた。
 楽器が出来る友人たちと集まって僕の書いた設計図をもとにリハーサルスタジオでジャムセッションを行うことはあったけど、だらだらした日常を送っていた。
 設計図、と書いたけど、それは要するにコード譜である。
 歌詞の上にコードが書いてある奴。一小節ごとに斜線を引くこともある。
 今となっては捨ててしまったけれども、その頃は大量のコード譜がたまっていた。
 楽器が上手い奴でも、作曲能力と演奏能力は別であり、むしろ楽器の演奏家たちがメロディをつくると、歌えない難しさや、ひとの声にすると味が消えてしまうような楽曲をつくりがちだ。
 それに、僕はストックが数百曲以上あったし、メロもテレコ(テープ録音だね、要するに)でわかるようになっていたので、こぞって使って、ジャズの演奏みたく、みんなで演奏することがあった。
 僕がそのスタイルになったのは、『月刊歌謡曲』という雑誌があったからだ。
 略してゲッカヨ、と呼ばれていたその雑誌は、その月に発売する新曲や人気曲などのコード譜や一段譜(コード譜に、メロディも五線譜で書いてあるもの)が300ページくらい載っている月刊雑誌で、僕は毎月買って、ギターをかき鳴らして歌っていた。
 そういうわけで、たくさん曲をつくっていた僕だったが、結成したバンドの方は、全く動いていなかった。







 僕は、しゃべるとき、唾液を飛ばしてしまうことがある。
 汚いので嫌な顔をされてしまうが、これは、僕が高校一年生のとき、人前で歌う弾き語りを覚えた時に由来する。
 高校一年生のとき、先輩で弾き語りの得意な、バンドでボーカリストをやっているひとがいた。
 彼が吹奏楽部の部室にやってきて、弾き語りを実演してくれた。
 また、即興で歌詞とメロをつくって、コードに載せる方法も教えてくれた。
 これは、ブルースの作り方と類似している。
 ブルースは、コード進行が決まっていて、そこにメロと歌詞をつくって、載せて歌う。
 で、その先輩はおそらく長渕剛とかが好きで、その関係で、よだれというか、唾液を飛ばすのだ。
 要するに、大声で歌う。
 僕も見様見まねで始めたら、これがまた、気持ち良い。
 かくして、僕も唾液を飛ばすのを気にしない人間になっていく。







 僕もギターを持ってきて、吹奏楽部の部室で歌っていたら、いつもは冷淡なブラバンの先輩たちが喜んでくれた。
「フレット見ないでまっすぐ前見て歌うんだね〜!」
 そりゃまあ、そうなのだが、褒めてくれたので嬉しかった。
 今はYouTubeなどで練習の講座がたくさんあるので、楽器を始めるハードルは格段に下がっているが、昔は大変だったのだ。
 それこそ、近くに先輩がいないと、まず無理があった。
 僕が最近、若い奴と話をすると、そういうことが全くわかっておらず、そんなものは、出来るのは当然だと思っていることが多い。
 ウェブ小説だって、いわゆる「10万文字の壁」と呼ばれるものなどが存在するが、越えて当然と言えば当たり前ではあっても、実際越えるのは大変なのがわからない奴が多い。
 情報化社会になって、〈上澄みにいるひと〉が普通のひとと紛れて見えるので、それが当然だと思ってしまうのだろう。
 そういう方は、一度、創作をしてみることをオススメする。
 努力の必要性を、感じるはずだ。
 ほとんどの人間は、天才ではない、というのがわかると思う。
 それはとても大切なプロセスだ。

 そして僕は、なんの考えもなしで、大海に放り込まれてしまったのである。
 とても困った奴である。
 いつものことだが。




〈次回へつづく〉
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成瀬川るるせ:語り手

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