第41話 成瀬川るるせと新世界【5】

文字数 1,809文字

 茨城県の水戸市にある、水戸芸術館で行われる柳瀬尚紀講演会へと、僕は東京から向かった。
 2004年6月5日の、土曜日のことである。


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 プレ上演16:10~16:40 / 講演会17:00~18:00 / 演奏会18:30開演。
 プレ上演とは、ベリオの電子音楽作品の紹介のことを指す。
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 ルチアーノ・ベリオも、ジェイムス・ジョイスが「猥雑」だ、として焚書になったのと同じく、「猥雑」なものとして放送用電波から追放された。
 ベリオの曲を聴けば、確かにえろいが、ジョイスの『ユリシーズ』だって、高尚なトーンで猥雑な内容を書いているのと同じように、ベリオもアカデミックのなかにエロスと思わしき声やブレスを混ぜることをしているのだ、と僕は考える。
 この講演会&演奏会は、僕にとって、最高なのは目に見えていたし、実際に、僕の心を揺さぶった講演会&演奏会だった。







 指定の座席を見たら、僕は前列の方の、どまんなかの席だった。
 僕は、その、センターにある自分の席に座る。
 開演間近になって後方の列にやってきたのは、高校生、しかも女子高生ばかりだった。
 僕のいるまんなかは席が開けてあって、右と左にわかれて、大勢の女子高生たちが着席した。
 ベリオの紹介を兼ねた楽曲の音源が流れ。
 柳瀬尚紀さんが舞台に登壇した。

 柳瀬さんは、僕の身体を真っ二つに割るかのように垂直に手刀を切るモーションをして、
「お客さんは、まんなかの、ここから半分が吹奏楽部、あと半分が、演劇部だね」
 と、言った。
 どうやら、どこかの高校が、チケットを独占していて優待したらしいことがわかる。
 そう、そのときはわからなくても、この講演会&演奏会は、あとで絶対に役に立つ。
 教師たちも、チケットを配って参加させるだろう。
 それはいいのだが、僕が一人だけ、場違いのようにその場の、しかも前列中央に陣取ってしまったのだから、これは本気で講演会を聴くしかないな、と思ったし、もとから本気だ。
 僕は柳瀬尚紀さんの話を、本気で聴いた。







 僕が持っていた本の中で、一時期同居していたカケのお気に入りは、柳瀬さんが執筆した講談社現代新書の『ナンセンス感覚』という本だった。
 また、僕は河出文庫版の、全3巻のジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』を、ブックファーストの渋谷文化村通り店で購入していた。
 講演のあった2004年に発売したのだ。
 それを、発売した3月に購入したばかりだった。
 文庫化のものではあるが、新刊である。
 柳瀬尚紀さんは、『フィネガンズ・ウェイク』を本格的に翻訳する作業のために、勤めていた大学の職を辞めた。
 筋金入りのひとだ。
 だから、文庫化直後だし、僕はてっきりジョイスの話をするのだとばかり思っていた。
 だが、柳瀬さんは、ひたすらジョイスの弟子である、サミュエル・ベケットの話をした。
 ベケットの話しかしなかった、と言っても良いだろう。
 そのくらい、ベケットの話をしたのだ。
 ベケットとは、戯曲『ゴドーを待ちながら』の作者だ。
 不条理劇の大成者である。
 日本では、花田清輝経由で、安部公房に深く影響を与えていることが有名だ。

 ジェイムス・ジョイスは、小説家としては、基本的には『ダブリナーズ』『若き芸術家の肖像』『ユリシーズ』『フィネガンズ・ウェイク』しか書いていない。
『ダブリナーズ』は、柳瀬尚紀さんが新潮文庫版に翻訳したときに付けた名前(ていうか、原題がダブリナーズである)で、一般的には『ダブリン市民』である。
 僕は『ダブリン市民』も『ダブリナーズ』も、新潮文庫で読んでいる。
 そして、短編集『ダブリナーズ』と並行してつくっていた『スティーヴン・ヒーロー』は、『若き芸術家の肖像』のベースになった作品なので、作品としてカウントするかは微妙なところである。
 そして、『フィネガンズ・ウェイク』は、ひとによっては『フィネガン通夜祭』と呼んでいるひともいる。
 もちろん、「立ち上がる」と「通夜」の、どちらの意味もこめての、「ウェイク」である。


 と、いうことで。
 ダブリンを生涯描き続けた男、ジョイス。
 彼が残した四作品、『ダブリナーズ』『若き芸術家の肖像』『ユリシーズ』『フィネガンズ・ウェイク』の話を、ちょっとだけしよう。
 僕もジョイス作品が大好きだからだ。
 なので少しだけ、お付き合い願いたい。





〈次回へつづく〉
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