第44話 世界の果てのフラクタル【1】
文字数 2,199文字
高校二年生が終わった春休み。
いつものようにギンと馬鹿話をして過ごそうと、ギンの家に向かって歩いていた。
町に流れる川にかかった橋の向こう岸に、人影が見えた。
それは、まだ幼さの残る、中学生くらいの女の子だった。
可愛い女の子で、モデルではなく、言うなれば〈アイドル体型〉で、肌の綺麗な、僕好みの女の子だった。
栗毛色のロングの髪の毛をなびかせた彼女は、僕と一瞬、目が合う。
ドキッとした。
ドキッとした僕は、反射的に目を閉じてから、ゆっくりと目を開いた。
すると、橋の向こう岸にいたその女の子は、いなくなっていた。
春の桜が見せたまぼろしだったのだろうか。
目をこすった僕は、もう一度、女の子がいた場所を見る。
彼女はいなかった。
息を大きく吸って、それから吐いて。
呼吸を整えた僕は、町営住宅にあるギンの家に向かって、再び歩き始めた。
ギンには、この不思議な出来事は黙っていることにした。
☆
夏にたくさん一緒に遊んだミッションスクールの女の子は、横浜から来た、ということで、チャイナドレスを着ていることが多かった。
大胆なスリットが開いてある奴だ。
その姿をみるたび、悩ましげな気分になる僕だったが、平生を保っていた。
大切な友達なのだ。
彼女はある日、僕に涙声で電話をかけてきたことがあって、なにかと思ったら、夏祭りの屋台で僕が買った指輪をなくしてしまった、という内容だった。
そんなのすぐに買ってあげるよー、と気軽に答えてしまったが、この娘にとっては、重要なことだったのだと思う。
オンナゴコロの理解度がゼロどころかマイナスの僕だった。
全く、こんな僕は、虚数空間でも彷徨えば良かったのだ。
それほど阿呆な選択肢を選び続ける僕だった。
喫茶店で、
「るるせくん、口を開けて。はい。あ~ん」
と言ってスプーンでパフェを食べさせてくれるこの娘は、しかし重要なのは、その場に教師が臨席しているなかでそういうことをする、ということで、僕も阿呆みたく言われた通り口を開けてパフェを食べさせてもらうことについて、もうちょっと冷静によく考えた方が良かった。
めちゃくちゃ、臨席していたその娘の学校の先生に怒られてしまった。
まあ、そういう関係性だった。
で。
春休み。
部活は毎日あるのである。
何故かというと、目標が出来たからだ。
進学校のスタープレイヤーを倒すこと。
廃部寸前の部活で、頭数は増えたけど、まだまだ廃部の危機を救ったことにはならない。
県大会への切符は二枚しかない。
しかし、県北地区の演劇部は強豪校揃いで、特に昔、名門だったうちの高校の演劇部と双璧を成していた名門演劇部を擁する高校があって、そこは廃れずに、そのときも強豪校の名をほしいままにしていた。
他にも、今のうちの演劇部の顧問・セヤ先生は名の知れた顧問教師で、顧問になるとマジックのように、部員を強化させてしまうことで有名だった。
そのセヤ先生が一年前まで在籍した高校。
ここも今では勢いのある演劇部だった。
そしてなにより、スタープレイヤーを擁する進学校の演劇部が、誰がどう考えても、地区で一番だった。
あきらかに県どころか関東演劇祭への切符は間違いないだろう、と囁かれていた。
僕は、こいつに、勝たなければならなかった。
僕が勝つ、というのは、うちの演劇部が勝つ、ということである。
難しい任務だ。
ハードレベルだ、ゲームだったなら。
県内でも随一のスタープレイヤーを倒す?
普通だったら無理ゲーだとあきらめるだろう。
だが、僕らは立ち向かうことにした。
セヤ先生にしても、部長にしても、対策を色々考えていた。
そんな部長が、部活動の〈本編〉を終わらせ、〈日常系漫画モード〉に入るとき、だいたい私服に着替えて、みんなで珈琲など飲みながら雑談したり突如寸劇をはじめたりするのだが、この春休み頃は、ブームが来たのか、部長もチャイナドレスを着ていた。
もちろん、大胆なスリットが開いてある奴だ。
なにか僕に言いたいことでもあるのかよ、と思いつつ、部長を見る。
部長の電話が鳴る。
着信する部長。
相手は、春に卒業した、演劇部の先輩からだった。
「はい、もしもし、わたしだけど? 元気? ……はい? 今、彼氏と彼氏の友達と自分の三人で3Pをしてるから混ざれって? フン。考えておくわ。話はそれだけ? わかったわ。じゃ、また」
電話を切る部長。
咳払いをしてから、
「〈新歓〉公演で経験値、ためこむわよ!」
と、言う。
「3Pをして、変な経験値ためるのかと思ったぜ」
とは、さすがに言わない僕と、部員一同である。
新歓公演、頑張らなくちゃな、と思う僕は、拳を握る。
「生きてるって気がするぜ。負ける気がしねぇ」
僕は唸る。
戦いはもう始まっているのだ。大会は8月。
それまでに、やれることはすべてやる。
〈万事を尽くして天命を待つ〉のだ。
☆
春休みが終わり、僕は三年生になった。
同時に僕は、視聴覚委員長に就任した。
委員会の初めての会合は、視聴覚室で行われた。
教壇からまわりを見渡す。
ゾクッとした。
見間違いかと思った。
だが、その子はいた。
視聴覚室に。
笑顔で。
それは、僕が町に流れる川の橋の向こう岸にいた、あのアイドル体型の女の子だった。
春の桜が見せたまぼろしではなかったのだ。
僕は、その娘に、話しかける。
〈次回へつづく〉
いつものようにギンと馬鹿話をして過ごそうと、ギンの家に向かって歩いていた。
町に流れる川にかかった橋の向こう岸に、人影が見えた。
それは、まだ幼さの残る、中学生くらいの女の子だった。
可愛い女の子で、モデルではなく、言うなれば〈アイドル体型〉で、肌の綺麗な、僕好みの女の子だった。
栗毛色のロングの髪の毛をなびかせた彼女は、僕と一瞬、目が合う。
ドキッとした。
ドキッとした僕は、反射的に目を閉じてから、ゆっくりと目を開いた。
すると、橋の向こう岸にいたその女の子は、いなくなっていた。
春の桜が見せたまぼろしだったのだろうか。
目をこすった僕は、もう一度、女の子がいた場所を見る。
彼女はいなかった。
息を大きく吸って、それから吐いて。
呼吸を整えた僕は、町営住宅にあるギンの家に向かって、再び歩き始めた。
ギンには、この不思議な出来事は黙っていることにした。
☆
夏にたくさん一緒に遊んだミッションスクールの女の子は、横浜から来た、ということで、チャイナドレスを着ていることが多かった。
大胆なスリットが開いてある奴だ。
その姿をみるたび、悩ましげな気分になる僕だったが、平生を保っていた。
大切な友達なのだ。
彼女はある日、僕に涙声で電話をかけてきたことがあって、なにかと思ったら、夏祭りの屋台で僕が買った指輪をなくしてしまった、という内容だった。
そんなのすぐに買ってあげるよー、と気軽に答えてしまったが、この娘にとっては、重要なことだったのだと思う。
オンナゴコロの理解度がゼロどころかマイナスの僕だった。
全く、こんな僕は、虚数空間でも彷徨えば良かったのだ。
それほど阿呆な選択肢を選び続ける僕だった。
喫茶店で、
「るるせくん、口を開けて。はい。あ~ん」
と言ってスプーンでパフェを食べさせてくれるこの娘は、しかし重要なのは、その場に教師が臨席しているなかでそういうことをする、ということで、僕も阿呆みたく言われた通り口を開けてパフェを食べさせてもらうことについて、もうちょっと冷静によく考えた方が良かった。
めちゃくちゃ、臨席していたその娘の学校の先生に怒られてしまった。
まあ、そういう関係性だった。
で。
春休み。
部活は毎日あるのである。
何故かというと、目標が出来たからだ。
進学校のスタープレイヤーを倒すこと。
廃部寸前の部活で、頭数は増えたけど、まだまだ廃部の危機を救ったことにはならない。
県大会への切符は二枚しかない。
しかし、県北地区の演劇部は強豪校揃いで、特に昔、名門だったうちの高校の演劇部と双璧を成していた名門演劇部を擁する高校があって、そこは廃れずに、そのときも強豪校の名をほしいままにしていた。
他にも、今のうちの演劇部の顧問・セヤ先生は名の知れた顧問教師で、顧問になるとマジックのように、部員を強化させてしまうことで有名だった。
そのセヤ先生が一年前まで在籍した高校。
ここも今では勢いのある演劇部だった。
そしてなにより、スタープレイヤーを擁する進学校の演劇部が、誰がどう考えても、地区で一番だった。
あきらかに県どころか関東演劇祭への切符は間違いないだろう、と囁かれていた。
僕は、こいつに、勝たなければならなかった。
僕が勝つ、というのは、うちの演劇部が勝つ、ということである。
難しい任務だ。
ハードレベルだ、ゲームだったなら。
県内でも随一のスタープレイヤーを倒す?
普通だったら無理ゲーだとあきらめるだろう。
だが、僕らは立ち向かうことにした。
セヤ先生にしても、部長にしても、対策を色々考えていた。
そんな部長が、部活動の〈本編〉を終わらせ、〈日常系漫画モード〉に入るとき、だいたい私服に着替えて、みんなで珈琲など飲みながら雑談したり突如寸劇をはじめたりするのだが、この春休み頃は、ブームが来たのか、部長もチャイナドレスを着ていた。
もちろん、大胆なスリットが開いてある奴だ。
なにか僕に言いたいことでもあるのかよ、と思いつつ、部長を見る。
部長の電話が鳴る。
着信する部長。
相手は、春に卒業した、演劇部の先輩からだった。
「はい、もしもし、わたしだけど? 元気? ……はい? 今、彼氏と彼氏の友達と自分の三人で3Pをしてるから混ざれって? フン。考えておくわ。話はそれだけ? わかったわ。じゃ、また」
電話を切る部長。
咳払いをしてから、
「〈新歓〉公演で経験値、ためこむわよ!」
と、言う。
「3Pをして、変な経験値ためるのかと思ったぜ」
とは、さすがに言わない僕と、部員一同である。
新歓公演、頑張らなくちゃな、と思う僕は、拳を握る。
「生きてるって気がするぜ。負ける気がしねぇ」
僕は唸る。
戦いはもう始まっているのだ。大会は8月。
それまでに、やれることはすべてやる。
〈万事を尽くして天命を待つ〉のだ。
☆
春休みが終わり、僕は三年生になった。
同時に僕は、視聴覚委員長に就任した。
委員会の初めての会合は、視聴覚室で行われた。
教壇からまわりを見渡す。
ゾクッとした。
見間違いかと思った。
だが、その子はいた。
視聴覚室に。
笑顔で。
それは、僕が町に流れる川の橋の向こう岸にいた、あのアイドル体型の女の子だった。
春の桜が見せたまぼろしではなかったのだ。
僕は、その娘に、話しかける。
〈次回へつづく〉