第141話 坂の途中【1】

文字数 1,040文字

 三月。肌寒い中を、夜に紛れて僕は歩いていた。
 公園に着くと、屋根の下でテーブルのある椅子に、僕は一人、座ってフィッシュマンズを聴いていた。
 そこに、煙草の箱と吸い殻と、卒業証書を入れる筒が置いてあった。
 卒業式があったのだろう。
 そして、卒業証書の筒を投げ捨て、ここで煙草を吸った、その跡なのだ。
「高校の卒業式か……」
 もちろん、僕は体育館の放送室にいて、卒業証書を取りに行くときだけ、放送室の階段を降りて、校長から証書だけもらって、また体育館放送室に戻っていったのだった。
 煙草の吸い殻を捨てたこいつらは、どんな学校生活を送ったのだろうか。
 そんなことを考えながら、僕は椅子から立ち上がって、夜の散歩を続けた。

 思えばこの時期の東京は、狂っていた。
 僕の使っていた貸しスタジオの脇の建物には「ラッシュ、ありマス」と書かれたガラスのある入り口から入る、脱法なんちゃらを堂々と売っている店もあった。
 明治通りには、「ペヨーテのステーキ食べられます!」と書かれた大きな看板があった。
 ペヨーテとは、幻覚サボテンのことで、ウィリアム・バロウズがアレン・ギンズバーグと喧嘩したとき、怒りに駆られてメキシコに旅に出て探し歩いたものである。
 バロウズの本もずいぶんと読んだなぁ。

 この年の三月と言えば、僕はルーズリーフにまた、へんてこな歌詞を書きつけるだけのあたまのおかしいひとに逆戻りしていた。
 ブコウスキーみたく、マッキントッシュを買いたかったが、お金を僕は持っていなかった。
 パソコンもMacもない僕は、手書きで文章を書く生活だ。
 そんなとき、コーゲツから半年ぶりくらいに、連絡が入ってきた。
 コーゲツは、ジャンクPCを、三千円で僕に売った。
 これからはこれで文章を書け、と。
 だが、まだ僕は執筆を始めない。

 僕はコーゲツの住む、京王堀之内に向かう。
 閑静な場所だった。
 業務用パスタの買い出しを手伝うと、スクランブルエッグとパスタをつくってくれて、
「ミヤダイが、大学に聴講に来ていいってさ。行こうぜ。最初の一回は、付き合うよ」
 と、コーゲツは言った。
 ミヤダイとは、宮台真司のことである。
「絶対に行く!」
「講義は月曜日の午前中だ。ゼミは水曜日の夜。どうする?」
「夜は歌舞伎町でバイトだし、基礎を学ぶよ。月曜日の講義に出る」
「おーけい」

 こうして僕は、南大沢まで、毎週通うことになったのである。
 僕は一学期間、毎週ミヤダイの元に通い、社会学を学ぶことになるのであった。




〈次回へつづく〉
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成瀬川るるせ:語り手

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