第58話 世界の果てのフラクタル【15】

文字数 1,425文字

 引き続き、米文学の話だ。
 マーク・トウェイン、という作家がいる。
『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒険』の、作者だ。

「米文学、そのすべてはマーク・トウェインから始まった」

 と、いう内容のことを、アメリカのノーベル賞作家である二人の作家が発言している。
 その二人とは、アーネスト・ヘミンウェイとウィリアム・フォークナーである。

 ヘミングウェイは、「あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』と呼ばれる一冊に由来する。……すべてのアメリカの作家が、この作品に由来する。この作品以前に、アメリカ文学とアメリカの作家は存在しなかった。この作品以降に、これに匹敵する作品は存在しない」と、『アフリカの緑の丘』で述べている。
 また、フォークナーは「最初の真のアメリカ人作家であり、我々の全ては彼の相続人である」と、言っている。

 ウィキから書き出して見ると、「トウェインのスタイルはジャーナリズムの影響を受け、方言を取り入れ、直接的で飾り気が無いが高度に感情に訴えるものがあって不敬にもユーモラスである。これがアメリカ人の言語を書く方法を変えた。その登場人物は方言と新しく発明した言葉や地域のアクセントまで使って実在の人物のように話し、明らかにアメリカ人のように聞こえる」と書かれている。
 今引用した短い部分からでさえも、
「あの作家もトウェインの影響を受けたのかな」
 と、米文学をかじったひとたちはそれぞれ、色々な作家の顔と名前を思い浮かべるだろう。
 わくわくする、フロンティアスピリットも感じさせる冒険を描き出した作家がトウェインだ。
 トウェインが冒険を演出するために方言と新しく発明した言葉や地域のアクセントまで使って実在の人物のように話をさせたこと、その応用としてかもしれないが、ウィリアム・フォークナーは、もっと大胆に出る。
 それは、〈架空の土地〉である〈ヨクナパトーファ郡〉を造りだし、登場人物も作品間で繋がりが生まれるようにして、〈架空の町の偽史〉の上に成り立つ〈サーガ〉を生み出す、という試みだった。
 ヨクナパトーファは、典型的なアメリカ南部の町で、非常に保守的であり人種差別が平然と行われている、という町だ。

 小説というのは、ある程度の時間が流れたあとでなければ、客観視するのが難しい事柄もあって、政治的にブレイクスルーがないと書けない状態になっていることも多い。
 差別や凶悪な犯罪などのヘヴィーな題材を扱うには、〈架空の町〉が必要だったし、描く題材を通すためには、架空の町の歴史……〈偽史〉が必要だった。
 歴史のリソースの蓄積があまりないところでは、古い故事を語って、今について語らず、それで「察しろよ!」とはならない。
 例えば日本人が大河ドラマを観て今現在の自分やその周囲の人間関係などのメタファーとして鑑賞するようなことが、フォークナーの活動していた当時のアメリカの文学では、なかなかに難しいことだったのだろう。
 それを克服するために、フォークナーは、〈ひとつながりの物語〉つまり〈サーガ〉を生み出したのだと僕は受け取って、ずっとフォークナーを読んでいた。

 前回、前々回で表層、表面を描く話をしたが、〈内面の深み〉を持たせるためにも、それ相応の戦略が必要で、そこに、フォークナーは挑んだ、という、これはそういう話だ。

 ……では、あともうちょっとだけ、この話を続けたいと思う。







〈次回へつづく〉
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成瀬川るるせ:語り手

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