第132話 言葉こそが原初の炎であり【1】

文字数 1,137文字

 昨日のことである。
 友達に嫌な思いをさせてしまった。
 友達は、同性の友達である。
 友達が好きなバンドのライブに行ったのだが、そのバンドを取り違えて、僕は自分のウェブ日記に間違ったバンド名を書いてしまったのである。
 とても立腹しているだろう。
 どう謝れば良いのかわからない。
 友達は僕のウェブ日記を読んでくれているのだ。
 そんな友達思いの奴は、今どきそうそういない。
 土下座して謝ったところで意味はないだろうし、困った。

 僕は酷い奴だ。
 ただ、言い訳を言うことは出来るし、その言い訳の理由は、僕に根を張る重要な問題なのである。
 僕はあえて、つまり、わざと、同性の友達に対して、ずさんな対応を取る。
 何故、ずさんな対応を取るのか。
 普通なら友達にべたべたするくらい親切で優しい方が、好印象だし、異性からも「友達思いで素敵ね」なんて言われるから、そっちの方が通常なら生き方として、褒められるものであるし、自身でも誇らしく生きられる。
 が、僕はそうしない。
 ずさんな対応を取る。
 何故かというと、僕が同性に親切で優しい態度を取ると、女性たちは「あなた、ホモでしょ?」と言って来るからだ。
 言いがかりであり、僕はホモではないし、通常ならそれはその女性たちなりの気の利いたジョークだろう。
 だが、である。
 僕には小学生のときのとある事情があり、女性たちは〈好奇の視線〉で僕を見て、「わたしはあんたの秘密を知っているのだぞ」という陰湿ないじめの意味を込めているのが透けて見えるのである。
 実際、中学生のとき、クラスの女子から、
「あんた、こういうの好きでしょ! あげるから!」
 と言われ、直接的な同性愛描写が描かれている同人漫画アンソロジー本を押し付けられたことがある。
 酷いいじめられ方だ。
 確かに、高校生の頃になるとルビー文庫というボーイズラブのレーベルの小説をオススメされて買って読んでいたのは前にこの小説に書いた通りだが、それにしても、である。
 このねじれが生まれた、僕が好奇の視線で見られていたことに関して、どうやら書かないとならないようだ。
 それは小学生の低学年の頃の僕を語る、ということだ。
 身を切り刻むように、僕にとって、それは死ぬほどつらいことである。
 本来なら、小学生低学年の〈そのこと〉は、黙って終わりにするつもりだった。
 だが、何故僕は同性の友達をずさんに扱うか、という理由を述べねば、ただの酷い奴であるし、フェアであるためには、重いフタを開けて、血がにじむように痛い、このことについて語る必要がある。
 紙面の関係もあるから、次項で、語りたいと思う。
 ある意味、これを語っちゃったら、怖いものはないくらいである。
 語るときが来たか。
 やれやれだぜ。




〈次回へつづく〉
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成瀬川るるせ:語り手

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