第105話 僕の心を取り戻すために【4】

文字数 1,270文字

 作家の宮崎学さんが、これを書いている今年の、3月30日に老衰で逝去された、という。
 享年76歳。
 宮崎さんは、暴力団など社会問題を扱った著書で知られる作家である。
 ずっと警察たちや、多くのひとたちからとある刑事事件で〈キツネ目の男〉と目されていた人物でもある。
 ウィキ的には、1945年京都市生まれ。
 週刊誌記者を経て、戦後日本の裏社会や経済の実態を描いた1996年の自伝的著作「突破者」でデビュー。
 暴力団や被差別部落などをテーマに執筆を重ねた、とされる。

 早大闘争に参加、また共産党系の秘密ゲバルト組織・あかつき行動隊の隊長に就任し、東大闘争で全共闘と対立した、らしい。
 その宮崎学さんのもとで火炎瓶部隊を束ねていた、そのセクトの幹部が打海文三氏である。

 宮崎学さんの代表作である「突破者」に出てくるとある人物と打海文三さんが大学時代からの友人で、そのひととハルビンに行ったことが、打海さんが、大藪春彦賞を受賞した『ハルビンカフェ』を書くきっかけの一つになった、と僕は聞いている。

 今年4月から、徳間文庫で『打海文三Memories of the never happened』が刊行開始なのではしゃいじゃっていた矢先に、打海さんとゆかりのある宮崎学さんが亡くなってしまったのを、これを書く少し前に知ったので今、びっくりしながらこれを書いているのである。
 本当に驚いている。
 なお、徳間書店からの、その打海文三復刊プロジェクトの第一弾は「ロビンソンの家」なのは、前にこの小説内で語った通りだ。







 僕は、宮崎学さんを見たことがある。
 東京會舘で行われた故・打海文三お別れ会で、僕の対面に座っていたのが「噂の真相」の編集長と、宮崎学さんだった。
 花輪を会場に宮崎学さんは送っていた。
 お別れ会が始まる前、僕はギンに、「ここで写真撮ろうぜ!」と、花輪のプレートに大きく〈宮崎学〉と書いてあるその前でギンと僕が写っている写真撮って貰った。
 ぶっ殺され兼ねない悪ガキぶりだったと自分でも思う。
 カメラで僕とギンを写したのは、出版社で町田康さんの担当をしていた編集者さんである。
 あの写真は一体、どこにあるのか。
 それを僕は知らない。
 出版社のカメラで写したのだろうから、どこか出版社に保存してあるのだろうか。
 謎である。

 花輪を送ったから来ないだろうと思っていたら、ゆっくりとした足取りで会場に、宮崎学さんはやってきた。
 死ぬかと思った、花輪の前でピースなどしている写真を撮っていた僕だから。


 雑誌『噂の真相』では、ジョークネタとして、〈打海文三、バーのマスターになる!〉という記事が掲載されたことがある。
 打海さんはバーのマスターにはもちろんなっておらず、わかるひとにだけわかるジョークであった。
 それを読んだ打海さんは、僕の前で『噂の真相』を見せてくれて、それで、楽しそうに、でもいつも通りシニカルに笑っていたのを覚えている。

 それはそうと、最近、本当にバタバタ倒れるひとが僕のまわりで多い。
 僕も気をつけて生きようと思う。




〈次回へつづく〉
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

成瀬川るるせ:語り手

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み