第10話 吉祥寺のシンさんのイタ飯屋

文字数 1,759文字

 僕が住んでいたのは井の頭線でいう高井戸駅の、高井戸である。
 少女漫画が好きなひとには、『ハチミツとクローバー』の舞台である浜田山の隣の駅、と言った方がわかるだろう。
 もちろん、ハチミツとクローバーの思い出話もあるが、今回はその話ではなく、吉祥寺の話である。
 井の頭線というのは、渋谷から吉祥寺を繋ぐ路線である。
 駅の中には、下北沢もある。
 なかなかに文化的な場所である。
 僕は、たまに知り合いの手伝いで吉祥寺のイタ飯屋でバイトをしていた。
 イタ飯屋の店長はシンさん、と言うひとで、映画俳優である。
 のちに、大河ドラマの『龍馬伝』などに出演することになる。
 俳優では飯を食えないので、基本的にはイタ飯屋の店長をしている、というわけだ。

 シンさんとどう知り合ったかというと、サクラオカさんというおじいちゃんの紹介で、である。
 サクラオカさん自体が昔めちゃくちゃ無双していた人物なのだが、このひとは家系が由緒正しい、お坊ちゃんであることを、一応付記しておいた方がいいように思う。
 明治維新といえば、忘れてならないのが井伊直弼を暗殺した、万延元年に起こった桜田門外の変だが、それは水戸藩浪士が薩摩と共謀して起こしたのは、よく知られていることである。
 だが、浪士に軍資金があるかと言えば、浪士だけに、金なんてないのである。
 そこに資金提供したのが、サクラオカさんの先祖の桜岡家である。
 また、水戸藩は結局内ゲバのように内部分裂して明治政府にその姿がない、という状況に陥るのだが、その発端は、天狗党の乱、と呼ばれるものである。
 その天狗党に資金提供したのもまた、サクラオカさんの先祖の桜岡家である。
 つまり、今に続く政府が生まれたのに加担、暗躍していたのが、サクラオカさんの先祖であったのである。
 後年、サクラオカさんは、自身の家に伝わる古文書の解析と、それを現代風にアレンジして本を書く、という事業をライフワークにして、隠居することになる。
 まあ、そんなひとである。

 サクラオカさんは昔、テレビドラマやラジオドラマの脚本家だった。
 とある芸能人の自伝のゴーストライターをして、その本はミリオンセラーだったのだが、悲しいことにゴーストライターという仕事は買い切り商品であり、印税が全部その芸能人に入り、自分が書いたことすら公表されないのに対し、未だに腹を立てていた。
 また、同じ事務所の友人、寺山修司にお金を貸したらずっと返してくれなかった話や、新宿の某デパートで三島由紀夫と挨拶したのだが、その一週間後に三島が自決してびっくりした話などがある。
 話がたくさんある、面白おじいちゃんがサクラオカさんである。
 そんなサクラオカさんには弟子がいて、その中にはテレビのバラエティ番組『学校へ行こう』の音響を担当したことで有名なエンジニアがいる。
 また、そのサクラオカさんコネクションで、シンさんのイタ飯屋で働いていた大学生などは、ラジオ局やテレビ局などに就職するひとも多かった。
 その中で、僕だけがダメな奴で、今はこうしてウェブで小説を書いている身の上だ。
 実に情けない話である。







 シンさんの店は、吉祥寺駅から徒歩10分くらいの、NTTのビルの向かい側の雑居ビルの二階にあった。
 厨房にエックスジャパンのヨシキさんとシンさんが並んで写っている写真がある。
 たまに店に来ることがあるらしい。
 ヨシキさんが訪れるというのも、シンさんの店は、バイトで働いている中に、プロのモデルの男性がいるなど、かなり「華がある」職場だったので、有名な店だった、ということもあるだろう。
 それ故に、女性客のリピーターが多かった店である。
 僕はそこの店がパーティのときに呼ばれることが多かった。
 パーティ要員である。


 いろいろあったのでこの連載でこのイタ飯屋の想い出を語ることもあろうかと思うが、長くなると読むのが大変だし、今回はこのくらいで区切っておこうと思う。
 あの頃、一緒に働いていたメンバーは……きっと元気で、僕だけが病気で呻いているだけなのだろうなぁ、と思いながら、今、僕はこの文章を綴っている。
 今はそのお店はないそうだ。
 今度、吉祥寺に行くことがあったら店のあった場所に寄ってみよう。
 書きたいことがたくさんあったけど、それはまた今度。




〈了〉
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